PLAYBACK! オリンピック名勝負---蘇る記憶 第7回

東京オリンピックまで、あと1年。スポーツファンの興奮と感動を生み出す祭典が待ち遠しい。この連載では、テレビにかじりついて応援した、あのときの名シーン、名勝負を振り返ります。

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 女子マラソンで、有森裕子が2大会連続でメダルを獲得した1996年アトランタ五輪。陸上女子長距離は、トラック種目でも快挙を果たしていた。



96年アトランタ五輪で女子1万m決勝を走る千葉真子(写真中央)と川上優子(同右)

 なかでも1万mは、6月の日本選手権の際に鈴木博美と川上優子、千葉真子が熾烈な戦いを演じた種目だ。この日本選手権で優勝したのは、1月の大阪国際マラソンで2位になりながら代表を逃していた鈴木。当時の日本記録を更新する31分19秒40というタイムだった。2位の川上は31分20秒19で、3位の千葉は31分20秒46。現在の日本歴代ランキングでも11位と13位に残るハイレベルなの歴史的死闘だった(川上は00年に31分09秒46をマーク)。

 当時、93年から世界記録を連発して女子長距離界を席巻した、中国の馬俊仁率いる「馬軍団」の勢力に陰りがさしていた時期だ。アトランタ五輪に出場した中国のトップ選手は、94年末に軍団を離脱した1万m世界記録保持者の王軍霞のみだった。

 アトランタ五輪の頃はまだ予選が実施されており、中5日おいて決勝が行なわれるスケジュール。7月27日の予選で第1組になった川上は、序盤で全体のペースが上がらないのを見ると、1200m過ぎから王軍霞の前に出て、4000mまで先頭で走る積極性を見せて5位で予選を通過した。

「先頭で走ったからには決勝に残らないとシャレにならない、と思いました。ダメだったら『先頭に立たなければよかったね』と言われるから」(川上)

 第2組では千葉が、「前の組で川上さんが先頭に立ったから、『オーッ、前で走ってる』と思いました。速いペースで行って確実に残るほうがいいなと思ったので、自分のリズムで行きました」と、中盤に独走状態にして4位。鈴木は7位、と全員が決勝に進出した。

 決勝進出者がゼロだった男子1万mとは対照的な結果だった。なかでも2000m過ぎから6800mまで先頭を独走した千葉は「いつもの私のレースをやっただけ。気持ちいいけど、決勝でもああいうことができればいいなと思った」と、初出場の五輪にもまったく臆する様子がなかった。

 8月2日の決勝は世界記録保持者の王だけではなく、錚々たる選手が揃った。92年バルセロナ五輪1万m優勝のデラル・ツル。後年の00年シドニー五輪1万mで2位、5000mで3位、さらにマラソンでもワールドマラソンメジャーズの初代女王になったゲテ・ワミ。この2人のエチオピア勢に加え、95年に5000mで世界記録を出したフェルナンダ・リベイロ(ポルトガル)や、ニューヨークシティマラソンを連覇中で98年には世界記録を樹立するテグラ・ロルーペ(ケニア)、という顔ぶれ。

 予選から少し重い走りだった鈴木は、日本選手権で見せたようなキレのある走りを披露できなかった。「マラソンを走ったことから来る疲労がずっとあって、体が思うように動かなかったのが今日の結果」と話したとおり、4400mから16位という結果になった。

 一方、「優勝争いできる選手なら誰をマークするか考えるだろうけど、まだ自分たちはそういうレベルではないので、速く走っている人について行くしかないと思っていた」という千葉と川上は、世界の選手を相手に大健闘の走りを見せた。

 とくに千葉は、王やリベイロ、ツルなどの先頭集団に入り、しっかりと前で勝負した。

 3000mを9分17秒21で通過したあとは「ペースが落ちたなと思った時に、スペースがあったので前に出ました。それをきっかけに、誰かがペースを上げてくれればいいなと思った」と振り返るとおり、先頭に立った。予選のような独走状態にはしなかったが、4000m手前までは集団を引っ張った。さらに6700mからも前に出たが、予選の印象が強いのか、そのたびに場内アナウンスで”千葉”の名前が連呼された。

 予選では自分の名前がアナウンスされるのが聞こえたが、決勝では気づかなかった、という千葉は、レース後に「先頭を走るのは気持ちいいですね。こういう舞台に私も参加していることをアピールしたかったから、先頭に立ってみました」と、アッケラカンとした表情で話した。

 8800m手前からリベイロと王、ツル、ワミがスピードアップ。この時、「気がついたら前にいなかった」と、千葉は一気に離されてしまったが、ラスト1周で落ちてきたロルーペをかわすと、5位でゴールした。

 レースは、ラスト100mで5000mとの2冠を狙った王をリベイロがかわし、31分01秒63で優勝。王は0秒95差の2位で、ワミとツルがともに約4秒差で続く結果。千葉の記録は31分20秒62。日本記録に1秒強まで迫り、「あとちょっとだった」と悔しがった。

「最後まで盛り上がっていたので、『これが五輪なんだな』と実感した」と言う千葉。指導する宗茂監督は「世界で誰が強いのかを何も知らず、リベイロやツルの強さも知らないから、ノビノビと自分のレースができた。それが千葉のいいところ」と話した。

 川上は大会前に少し体調を崩していたが、中盤まではしっかり先頭集団につき、6000m過ぎからは何度も脱落しそうになりながらも盛り返す粘りを見せた。7600mでは完全に遅れてしまったが、終盤には盛り返して、バケイロ(スペイン)などをかわし、最後はロルーペに1秒差まで迫る自己セカンドベストの31分23秒23。7位でゴールした。

「国内のように一列状態にはならないので、位置取りに気を使うレースでじりじりと遅れたけど、せっかくここまで来たのでもうちょっと頑張りたい。『動きたい、動きたい』と思って走っていました。これで満足してはいけないけど、体調を崩したことを考えれば120点です」と、笑顔で話した。

 20歳の千葉と21歳の川上の走りは、世界に通用した。2人は後日、この決勝を振り返って以下のように話した。

「決勝に残って世界と戦えるだけでいい、と思っていたけど、ああいう形になったから頑張れたのだと思います。当日は、すごくあわただしかった。バスで移動したらすぐにみんなのいる部屋に入れられて、籠を置いたとたんに係の人が『レッツゴー!』というので、『エーッ』っていう感じで」(川上)

「みんながそこで着替えていたから、私たちも恥ずかし気もなく着替えたけど、グランドに入場してからが長かった。スタートは他の選手のヒジが当たるくらいだったので、ちょっとでも気を緩めるとコケるような感じでした。だから、コケないようにすることに必死で、ほかのことを考えている暇はなかった」(千葉)

 そんなアッケラカンとした気持ちで臨めたからこそ、2人はそこまで戦えたのだろう。千葉はその快走を97年の世界陸上アテネ大会でも披露し、銅メダルを獲得。5000mグランプリファイナル出場へつなげた。

 アトランタ五輪での千葉と川上の成果は、翌97年の世界陸上アテネ大会女子マラソンでの鈴木博美の優勝に始まる、日本女子マラソン黄金期へ向けた下支えになったと言える。