文と写真●KTa☆brasil(ケイタブラジル)

第1回:<前編>

「日本では20年ほど前までマイナーであった外国の伝統的文化・スポーツが、どのように修得、輸入、運営され、発展・普及する事が出来たのだろうか?」

上記の観点から、今回から連続シリーズとして「カポエイラ」に迫りたい。「リズムと音楽とが完全に密接にシンクロするスポーツ」であることがカポエイラの大きな特徴の1つだ。一方、サッカーJリーグは当初、ブラジル譲りのサンバの楽器でそのリズムが演奏されていた頃もあったが、今はどうだろうか? NPB:プロ野球には既に日本独自の人気応援歌・チャンステーマ曲が多彩にある。いずれも外国から輸入されたスポーツであり、音楽・拍子(リズム)が存在し影響を与えたり、全体の一体感を作っているのは言うまでもない。
 
*第1回はボリューム上、前編・中編・後編と3回に分けてお届けします。
 
 
▼ 去る7月7日に日本を代表する団体の1つ、カポエイラ・テンポの大久保道場(東京新宿区)で行われた、一年に一度の大きな昇段式イベントを取材した。

須田竜太氏率いる団体「カポエイラ・テンポ」は毎年必ず、本場ブラジル・サルヴァドールの本部よりメストレ(師範)を複数名招聘し続け、昇段式とパフォーマンスを公開。他団体の招待や交流も続けている。本場現地に行く前に、かなりのレベルまで日本で間違いなく習得、昇段する事が出来る。そして本場の師範との共演を体験することが出来る。(画像をクリックすると「カポエイラ・テンポ」のサイトにジャンプ)
動画●本場サルヴァドール・ダ・バイーア(ブラジル)の道場の様子

はじめに

「Capoeira:カポエイラ」とはブラジルの「音楽舞踊的な要素のある格闘技/スポーツの事。」そのルーツは多岐に渡る。南米大陸で面積の半分を占める大国:ブラジル連邦共和国のバイーア州サルヴァドール市周辺で原型が広まり、20世紀前半に同地の達人:メストレ・ビンバによって、カポエイラは近代化と社会的評価/地位を確立した。

しかし、その主な担い手であったアフリカ系民(奴隷解放は1888年)が支配層に抵抗する手段や集まりと見なされ、19世紀後半〜奴隷制が廃止された後も20世紀前半まで禁止されていた。その後、一転して国の独自化政策に用いられ、ブラジル全国に普及した。主な流派は「ヘジョナウ」、「アンゴーラ」、そして双方の要素を併せ持った「コンテンポラーニア」。それぞれ異なる流儀/プレイスタイルとなる。

写真●本場サルヴァドール・ダ・バイーア(ブラジル)にある近代カポエイラの祖、メストレ・ビンバの後継者による団体の道場。

世界に広がったカポエイラの略史

▼1990年代からはカポエイラを含む種々の“アフロ・ブラジルの伝統音楽のリズムや音色”が世界的に大きく注目され、それらをMIXした様々な最新ダンスミュージックが欧米から多数発信されヒット、世界的なムーヴメントとなっている。また、スポーツやエクササイズなど健康志向の高まりや、カポエイラをフィーチュアーした映画「Only The Strong」の影響などなど、カポエイラへの注目と理解は世界各地に一気に広まって行き、現在は普遍的な人気を確立している。

しかし、その最大の魅力はカポエイラ自体が持つ「歴史背景、普遍の精神性、哲学、音楽舞踊性、他の格闘技や舞踊にない独自の魅力」である事は言うまでもない。現在はユネスコの無形文化遺産にも登録されている。少し前にこのコラムで今年の女子サッカーW杯フランス大会を取り上げ、カポエイラ出身のブラジル代表のフォルミーガ選手をご紹介した。しかしスポーツ選手や格闘家に限らず、文化人、アーティスト、知識人に至るまで、世界的にカポエイラは愛され、「カポエイラという生きるための1つの手段・哲学」として広まっている。
 
かく言う筆者は世界各地〜ブラジル各地で、「ブラジルに関わる各スポーツや音楽の現場で活動」する中、90年代から20数年余りの間、同じアフロ・ブラジル系近親文化であるSAMBAに取組むともに、その普及・拡大ぶりを世界各地/日本各地で目の当たりにして来た。▼以下に続く

写真●マイケル・ジャクソンのThey Don’t Care About Us (Brazil Version)のMVにも登場する、「ペロウリーニョ」広場。現在は世界遺産の観光地としてポルトガル統治時代のコロニアル建築の風情で親しまれている。しかし、ペロウリーニョとはポルトガル語で「さらし台」という意味だ。かつてアフリカから強制連行された人々が過酷な奴隷使役に売り飛ばされ、非人道的な懲罰刑が行われた記憶を残す広場だ。現在はカポエイラをはじめとしたアフロ・ブラジル文化の民芸品の土産屋が立ち並ぶ。

▼「黒人のローマ」という異名でも知られる、本場ブラジルのサルヴァドール市。その周辺各地を何度も訪れ「本物のカポエイラ」を見て来た。同地でよく見かけるのは本場での修得に励む外部のカポエリスタたちの姿だ。ブラジル各州からの修行者、世界各地からの、そして日本からの修行者たちの姿が常にある。また、サルヴァドールに限らず、大国ブラジルの他州〜リオデジャネイロ、サンパウロ、ミナス・ジェライス、パラー州でも様々な団体・師範・カポエリスタたちと交流・共演して来た。
さらにブラジルだけでなく、シンガポール、バンコク、カリフォルニア、ニューヨーク、ロンドン、パリ、バルセロナ、マドリッド、ポルト、リズボア(リスボン)、トルコのイスタンブール、中東ドゥバーイ(ドバイ:UAE)などブラジル国外でも、実際にカポエイラを見たり、参加・交流して来た(一次情報)。無論、その普及はこれらの国と地域に限る訳もなく、もはや「世界中の国際都市でカポエイラが無い場所は無い」と言える状況だ。▼以下に続く

写真●多国籍移民都市PARIS(フランス)中心街の街角でパフォーマンスするカポエイラのグループ。打楽器演奏で参加し、メンバー全員と話した。彼らのパリでの道場での師範は本場サルヴァドール出身と言っていたが、ブラジルのモチーフをあしらった服をまとう彼らの中に、ブラジル人は一人も居なく、様々な国籍だった。カポエイラは世界各地で人と人とを深い世界観とフィジカリティーをともなったスピリットで強く繋いでいる。

▼物理的に海外の伝統的な民族文化は正しく伝わりづらい。または正しく修得・体現・伝達されていないレベルの事が歴史的に多いここ日本において、カポエイラは過去20年ほどの間に、群を抜いて急速に伝わって来た。そして日本人の体現者「広く社会、一線のシーンや作品、メディアでも活躍できるプロ」を輩出・増加させている事に、大きな驚きと感銘を覚えて来た。
 
何故なら、対比すると、例えばカポエイラより数十年前より、日本に輸入され親しまれてきたはずの「近親アフロ・ブラジル文化のSAMBA」:サンバは未だにその様な取組・修得・技能・資格〜実績・評価を確立し、本場一線や日本社会で知られる様なプロ人材が殆ど居ないのが残念な現状だからだ。
 
対して、後発のカポエイラは「素人の趣味程度〜アマチュア・ブラジル愛好家の自己満足的サークル」にではなく、90年代前半に「日本のストリートダンス・クラブミュージックシーン」の最前線にいた実力派キーパーソンたちに伝わると、一気に注目され発展した。▼以下に続く

●筆者がプロデューサーを務め、須田竜太氏率いるグループが出演したNIKEのイベント“GINGA” at 国立競技場のイメージヴィデオにもカポエイラが登場する。以来、様々な作品・CF・番組・広告・紙面・現場を互いにプレイヤーとして重ねた。

▼そして、センス・フィジカリティー・タフネス・フェアネス・知力・精神力などの人間力を強く兼ね備えたキーパーソンたちが、本場バイーアの名門道場に次々に乗込み、修行を積み、本場のメソッド、指導者位(帯)を正式に修得し続けている様子を日本や現地で垣間見て来た。そして結果的に社会の一線で通用するプロとなる技量をもって、日本のシーンを率い、これを間違いないものとして来たのだ。

前編まとめ

● カポエイラ・シリーズ:第1回の前編はここまで。
冒頭の「日本のカポエイラが過去20年余りの間に急速に高いレベルに至り、広く普及出来たのか」をここで一度総括。
 
▼ カポエイラのメソッドとスピリットが本場で、日本の優秀な人材たちによってきちんと修得され、最初から正しく/センスよく伝わったので、その様に広がる事も出来た。
 
▼ 本場公式直系の日本支部が黎明期から運営されて来た。
 
▼ 表層だけを真似たアマチュアのレクレーションレベルでの「利用」ではなく、その本質を突きめ詰め会得し、きちんとした取組がプロの輩出とシーンへの人材の求心力に繋がっている。
 
▼各団体を率いる先駆者キーパーソンたちが、社会一線で広く通用するセンスの良いプロとなり、その評価と実績を積み重ね、競技人口が増えて行った。
 
 
● 次回、中編からカポエイラの道場やシーンはもとより、TVやCF、また一線の作品やイベントで活躍できている日本が誇るカポエイラ界の「キーパーソン」たちをご紹介いたします。
 
 
▼1人目は
【特定非営利活動法人カポエイラ・テンポ NPO CAPOEIRA TEMPO】
理事を務めるカリスマ的存在、須田竜太さんにインタビューしました。お楽しみに! 
https://capoeira.or.jp/

ライターのご紹介

KTa☆brasil(ケイタブラジル)
https://keita-brasil.themedia.jp/
東京うまれ、神奈川育ち。Newsweek誌が「世界が尊敬する日本人100」に、UNIQLO初の世界同時展開広告「FROM TOKYO TO THE WORLD」に選出。パリコレ〜F1GP〜W杯〜本場リオのカルナヴァルまで、世界各地で活躍するミュージシャン、DJ、サッカー関係者、打楽器指導者。ブラジル代表ユニフォームのマークでおなじみの“CBF”=ブラジルサッカー連盟による公式番組“CBF TV”が、“外国人でありながら“80年代前半以来、ブラジルの歴代サッカー選手やクラブチーム、サッカー界と長く深く関わる人生”を番組特集した(現在唯一の日本人)。今年も南米リベルタドーレス杯番組や、CBFブラジル杯公式プロジェクトに招集されている。ブラジルとのご縁は幼少より約35年。10代より両国を往復し続ける活動は2018年で22年目。ブラジル政府各省/リオ市観光局事業公式実績者。サンバ応援の本場:リオの名門クラブチームC.R.Vasco da Gamaの名物応援団サンバ打楽器隊員を経て、スタヂアム殿堂刻名の現上級会員。同クラブの様々な公式プロジェクトに招集され、東日本大震災発生時には南米で一番早く企画・実行された救援プロジェクトの一員でもある。 日本でもTV/FM/新聞/雑誌/WEBなどのメディアではサッカーや音楽を中心にブラジルや欧米ラテン諸国のプレゼンターとして活躍。TBSスーパーサッカー、スポナビ、NIKE FOOTBALL、SONY FOOTBALL、JTB、excite公式ブログ・・・様々な現場とメディアでレポーター、MC、コラム寄稿を歴任。Jリーグ、Fリーグの選手や関係者との関わりも深い。リオ五輪では日本政府のパビリオンJAPAN HOUSEでの音楽イベントを11本プロデユース。命名した共著書「リオデジャネイロという生き方」(双葉社)他、寄稿も数多い。