【連載】チームを変えるコーチの言葉~大村巌(2) 選手のタイプや現状を聞くことで把握し、自分自身がいろいろな人間に変…
【連載】チームを変えるコーチの言葉~大村巌(2)
選手のタイプや現状を聞くことで把握し、自分自身がいろいろな人間に変化する。「オレはこういうコーチだ。おまえら従え」ではなく、各選手に合わせて何人もの違う自分になる。ロッテ打撃コーチの大村巌は、いわば”選手ファースト”に徹している。そのコーチングスタイルはいかにして確立されたのか。過去に日本ハム、DeNAでも指導経験がある大村に原点を尋ねた。
「現役を終えてから2年間、解説をやらせていただき、その後、ファイターズから二軍コーチのオファーをいただきました。自分では、指導者になるなんてまったく思っていなかったので、まずやりたかったことをやろうと。選手の時にこうだったらよかったな、というものを逆の立場になってやってみようと。その時、すべて選手に聞くことから始めたんです。まさに解説者としての経験が生きたと思います。選手に取材をして、文章を書いたりしていました」
2006年、大村は日本ハムの二軍打撃コーチに就任した。解説者として選手に取材する前に下調べをしていたとおり、選手個々をきっちりとリサーチして2月のキャンプに臨んだ。タイプや特徴はもとより、その選手がオフに何をやってきたか、プロセスを知らないと先に進めないと思ったからだ。
「新しいコーチが来て、いきなり『おまえ、こう打て』というのはあり得ないと思ったんです。現役の時にそんな経験をして、疑問に感じることもありましたから。そうじゃなくて『あなたはどんなタイプ?』『どういう練習をしてきたの?』と聞くことから始める。と同時に、球団が実施したコーチ研修を受けて、これが70時間から80時間……相当に長い時間でした。全コーチ対象だったんですけど、僕は面白いなと、すごく興味を持ちました。そこから勉強して自分のものにしていったんです」
研修を受けたなかで、「コーチとは教えるものではない」と学んだ。コーチには<導く>という意味があり、<教える>のはティーチ。まずコーチングとティーチングは違うものだと理解して、そのこと自体に共感した。大村自身、選手に聞くことから始めるスタイルは、ティーチングとは別物と気づいたからだ。
「聞いて、その選手のプロセスを知ったからこそ、自分が言う言葉を用意できる。選手も『この人は僕のことを多少なりとも知ってくれている』といった安心感があると、口を開いてくれる。だからまず、心を開かせて、今、何に取り組んでいるのか、どう思って取り組んでいるのか、というところは徹底的に聞いて、こちらはその取り組みをサポートするような感覚でしたね。それでうまくいかなかったら、じゃあ、こういう方法があるねと。違う引き出しを与えて『やってみたらどうだろう』って、うながすんです」
二軍なのだから、試行錯誤をして、ある程度の時間がかかるのは仕方がない。そう考えていた矢先の2006年4月、大村はコーチ1年目にして異例の指導を任されることになる。投手・糸井嘉男(現・阪神)の打者転向が決まり、「専属コーチ」に指名されたのだ。糸井は自由枠入団3年目ながら制球難が改善されず、当時のGM 高田繁が野手としての潜在能力に懸けた。大卒の糸井に時間はかけられない、ということで、GM と専属コーチの間でこんなやり取りがあった。

入団3年目に投手から野手に転向し、球界を代表する選手になった糸井嘉男
「糸井を1カ月でなんとかしろ」
「1カ月なんて無理です。2年ぐらいかかります」
「いや、そんな時間ねえんだよ」
「時間ないって、いろんなことがありますので……」
「いや、1カ月でもう試合に出さすから。お前は(二軍の)試合を見なくていい。ずっと付きっきりでやれ」
早速、鎌ヶ谷の室内練習場でマンツーマンの指導が始まった。大村は50項目におよぶ糸井専用カリキュラムを組み、1日に3~4時間。最初は200球ほど打つと音を上げていた。まだ投手への未練もあっただけに、1カ月後に打者として二軍の試合に出る目標を伝えたうえで、大村は糸井に聞いた。
「まず、どういうバッターになりたい? ホームランか、打率か」
「ホームラン、打ちたい」
「ああ、そう。まあ、ホームランバッター目指すのもいいんだけども、打率3割を3年続けたらすぐ1億円プレーヤーだよ、今の時代」
「じゃあ、そっちにします」
大村は糸井のスイングを見て、「打率を残せてホームランも打てる打者になれる」と確信していた。が、あえて方向を明確にしてモチベーションを上げさせたのだった。
一方で技術的には、糸井の吸収力に驚かされた。大村がその場で実演してみせた動きをすぐに再現する能力があり、コースや球種などに応じた打撃を日ごとにクリアしていく。ただ、プロでの打撃は初めてゆえに、ついつい”ダメ出し”をする時も多かった。
「コーチ1年目でしたから、『それじゃダメだよ』を繰り返していて……。1週間ぐらい経った時、『そんなにアカン、アカンって言ったら、ほんまにアカンようになってしまうでしょ!』って糸井に言われましてね。真剣にどう指導すればいいか悩みましたけど……。でも、ある時に『そうか』と気づいて。褒めることができていなかったなと。それからはちゃんと、項目をクリアしたら『今のオッケー、よかった。じゃあ、次いくぞ』って」
悩んでいる時、書店で目に留まった一冊の本が救いになった。ペットの飼い方の本で、子犬のしつけについて書いてあった。
<おしっこを廊下でしても怒っちゃダメ>
<トイレに行ってできたら褒めてあげる>
読んだ翌日から褒めようと思った。そうして妥協なく、逃げることもなくカリキュラムは順調にクリアされ、3週間が経過した頃には1日に1000球を打ち込んだ。大村自身が打撃投手を務める時には、1球1球、実況・解説をしながら投げた。
「いい感じで打てるように、『9回裏、ツーアウト満塁。さあ、ここで糸井選手です。ピッチャー、西武の誰々』って。ここでも解説をやっていたのが生きましたね。そうすると、あいつも『ああ、興奮してきた』って言って、1回、打席を外すんですよ(笑)。しかも『今日のヒーローは糸井さんです』って、お立ち台までビジュアライゼーション、イメージングして。『今は誰も見てないけど、やがて5万人の前でお前がデビューする日が来る』って伝えました」
練習量の多さと会話の量が比例した。”宇宙人”の異名があり、ほかのコーチから「難解」と言われた糸井を、当初は大村も難しく感じた。だが、話せば話すほど、自分をうまく表現できず、伝えられないだけなのだとわかった。そのうえで両親の人となりを尋ね、生まれ育ちを探ることで糸井の人間性を深く理解できて、1カ月限定指導も完了した。
「それはほかの選手にもそうでしたし、違うチーム、横浜でも、ロッテでも、いろんなふうに探るようになりました。だから、僕のコーチの最初のスタートの時、そこまでの仕事を与えてもらって本当によかったと思います」
つづく
(=敬称略)