吉村正前監督(昭44教卒=京都・平安)というソフトボール界の重鎮が監督の座から去り、早稲田男子ソフトボール部の監督に高杉聡(平10スポ卒=群馬・前橋育英)が就任してからはや4年。この4年間は目標であるインカレ(全日本大学選手権)優勝を成し遂げられずにいる。しかしことしはここまで公式戦で14勝2敗と圧倒な成績を残すなど、5年ぶりの優勝に向かって突き進んでいる。インカレを前にし、今対談では監督が自らインタビューに答えてくれました!

※この取材は8月23日に行われたものです。

ソフトボールを通じての人間教育


言葉を選びながら、しっかりと考えて話をしていただいた

――現在女子部の監督を務める吉村正監督(昭44教卒=京都・平安)が男子部の監督を退任されて(監督に)就任されましたが、当時のことを振り返ってもらってもいいですか

吉村先生は自分が学生の頃からのお付き合いなので、その時は総監督というかたちで関わっていただきました。自分が卒業したのは1998年の3月ですが、自分が4年生の代の1年生からコーチを務めてます。そういう意味で言うと、吉村先生とのペアはずっとやっている感じです。そういう意味で変な感じではあるのですが、監督であるものの吉村先生が総監督でいるということは、この部における吉村先生のお力や話の重みをわきまえて、吉村先生があってのソフトボール部だということを当時すごく意識した覚えはあります。なので、監督になったから何かをやってやるというよりかは、今までと同じように吉村先生にご指導をいただきながら学生の役に立てるような監督になれるようにと思った記憶はあります。ただ監督に就任することは重たいことなので、身が引き締まる思いはありました。

――吉村先生が率いていた時には全日本大学選手権(インカレ)3連覇を成し遂げていますが、就任当時に部としての目標はどこに置きましたか

コーチ時代から監督になっても常に同じですが、ソフトボールを通じて人間教育をすることを大事にしています。勝てばいいだけのチームではなく社会に出ても通用するような大人としての人間教育をしっかりするということが、大前提としてあります。分かりやすい目標はインカレ優勝と、世界に出ていくということですかね。最近は海外遠征をしてないですが、機会があれば海外遠征(もしていきたいです)。我々の時もしていましたし、世界に通用する人間になるかたちを大事にしてやっています。その一つとしてのインカレ優勝という分かりやすい目標があると思っています。

――早稲田のソフトボールとは

伝統的に1球に対する集中力を大事にするソフトボール。投手も打者もとにかく一球一球の集中度を高めて、着実に結果を出して相手を潰していくような感じです。狙い球に相当こだわる。その時点で打つ確率は上がると思います。前の打者が必死につないでくれたらその確率はさらに上がる。吉村先生曰く、早稲田だからこそのつながり、一人の人間が持ち合わせる1の力を足し合わせるのではなくて、早稲田ならではのつながりで初回から5点、10点を取るソフトボールですね。それが理想だし、丹野自身も自分たちのソフトボールと言っているはずなので、最後までそれを追求し、インカレの舞台でできるように最後まで調整することだと思います。

――ここまで指導されてきた代で印象に残る代はありますか

監督に就任する前と後で区切りをつけたりはしないですし、コーチでやっている時から毎年思い出深いです。ですが監督就任した1年目の4年生は、インカレ当日にけががあったりしたので、覚えています。インカレに向けて出発する前日に、主将が交通事故にあって出れない。一回戦のシートノックの時に暴投したボールがエースの顔面に当たって、投げられなくなる。3年前のインカレではこのような出来事があったので、それは覚えていますね。監督になってからのインカレがそういうかたちで始まるんだなと。そういう意味では思い出深いですね。金子(祐也、平29スポ卒=長崎・佐世保西)の代…、まあ他の代も思い出深いな。塩沼(泰成、平30スポ卒=福島・安積)の代では東日本で国士舘に勝った思い出はあるし、去年の鳥岡(健、平31スポ卒=岡山・高梁)の代は久しぶりに最終日までいった代ですし、各代とも思い出深いですね。

――監督になってからの成績で手応えは感じていますか

まず、自分が学生の時は最後に主将を務めてベスト4。コーチの時は2003年に準優勝、そして2005年にインカレ初優勝があって、しばらくその後は優勝できなかったです。そして2012年から3連覇。そこから1年間を空けて監督になった訳なのですが、自分が監督になってからはまだインカレ優勝をしてない訳なので、去年インカレ準優勝というかたちでしたが、早くインカレを制覇しないといけないなという感じはあります。そういう意味で今年は『あと1つ』、去年取りきれなかったものを取りにいく感覚ではあります。

――それでは準優勝した昨年の大会を振り返ってもらえますか

吉村先生がグラウンドに立って投手の指導をしてくださりました。金曜の喜久井を中心に見てくださるのですが、去年はエースの杖子を指導してくれたことが大きいと思っています。インカレの現地には吉村先生はいらっしゃらないですが、それまでに投手(を見てくれたのが大きいです)。ソフトボールは投手(の出来に左右される部分)が大きいので、指導してくださったおかげという部分はありました。それとは別に去年のインカレを一戦一戦、組み合わせは楽ではなかったですが、鳥岡・前多(悠登、平31人卒=東京・小山台)を中心とした4年生の力で着実に勝っていけました。ハイライトは国士舘大戦で、1年間で1回も勝てなかった国士舘を相手にタイブレークでサヨナラで勝つことができた。その後の決勝の日体大戦は力尽きた訳ではないですが、完敗しました。去年の甲子園の決勝、大阪桐蔭対金足農業のような試合になった感じはありましたね。1年間勝てなかった国士舘を相手にインカレの舞台で勝つ。今までの早稲田らしく、インカレの集中力で語り継がれる試合をすることができたのは、後輩たちに勇気を与えたと思いますし、自分自身も学生の力を再認識させられた大会だったと思います。

――新チームに移行してからインカレ優勝という大きな目標を定めていますが、ここまでのチームの出来について

やはりチームは勝ち続けないといけないなと思っています。イメージが明確に湧くということが大事だと思います。一回も勝ったことがない人が優勝しようと言っても、優勝はしたいがどうすればいいか分からない。イメージを明確なものとするには時間と労力がかかる訳ですが、去年準優勝をしたおかげで『あと1つ』という明快なところから今年のチームがスタートをできでいることが、何よりのアドバンテージだと思っています。相手も打倒日体大であり、相手の投手が引き続き残るということで、我々が日体大の小山投手をどう打つかという明快な目標を持ちながら、1年間やってくることができました。丹野にも「去年のあの場面のこういうことが」と具体的に話ができることは非常にチーム運営としてやりやすかったと、そして彼らにとってもやりやすかったと思います。「また同じことになるよ」などと話を進めることができたので、だいぶいいのではないかと思います。関カレ(関東大学選手権)の決勝で負け、春のリーグ戦では1回勝つが、ページで負けた。東京都予選(全日本総合選手権東京都予選)は日体大がいない中で国士舘や中大にきっちりと勝て、関東予選(全日本総合選手権関東予選)も勝ち、東日本も全部勝って最後に日体大に負けたことはステップとしては順調だと思います。あとはインカレで去年の借りを返すのみだと思っています。

――選手からは去年の東京都大学連盟秋季リーグ戦(秋季リーグ戦)での中大戦の負けが大きかったという声がありますが、中大戦の敗戦はどのように捉えていますか

彼らからすると、絶対的なエースであった杖子(量哉、平31スポ卒=岡山・新見)が抜けて、投手力が落ちるチーム編成。4年生はそこまで抜けてないものの、投手の負担が重かったので、山内が投げ始めるという中で、今まで中大に負けることはなかったと思うのですが、それで負けたので相当危機感があったと思います。中大も巡り合わせの関係でいい投手だったので、そういう意味で負けたということは、今までリーグ戦では日体大と国士舘大という三つ巴の中で4位になったので危機感は感じたのだと思います。ただ自分からすると、僕が主将の時も同じ状況で秋にボコボコにやられているので、こういうこともあるよなくらいの感覚でした。秋から冬にかけての学生たちの伸びとか、山内(壮起、スポ3=千葉・成田国際)や松下(直矢、スポ3=京都・南陽)が吉村先生に指導していただいた時に確実に伸びてくることは分かっていたので、彼らにとっては非常に危機感が募った負けだったと思いますけど、それを自分は最後に勝てばいいくらいに捉えていたので、危機的に壊滅的に追い込まれた感覚ではなかったです。

――今の4年生の代の印象は

毎年個性的な組み合わせになっていくのですが、3年生の時まではまとまりがある感じではなかったです。個人として動いてる、個人として魅力的な人間がたくさんいる代でした。昨年の秋に最終学年になってからは、丹野(太郎主将、スポ4=兵庫・滝川)が主将になった訳ですが、丹野が意図的に主将として成長しようという意欲がすごい見えてきていました。丹野の成長に引っ張られるかたちで、チームが幹部、4年生がチームの塊になってきている実感です。この部の中でキャプテン(主将)は重たく。20歳そこそこで、20人や30人の練習などでの一挙手一投足を決めて、監督やコーチと相談しながら試合のメンバーの素案まで出す。自分は主将としていい経験をさせてもらいましたが、監督として自分が主将としてできた経験を奪っていけないなと感じていて、その成長できる機会を保ちながら監督としてもどう導いていけるかというのを、すごく考えています。そういう意味で言うと丹野はずっと見てきましたし、彼が最後の大会でチームが一番苦しい時にチームを救うビックプレーをしてくれると思います。あと東日本で当たっていなかった川上(卓也副将、スポ4=岡山・新見)が、きっと打ちますよ。それはこの前の壮行会でも、すごくネタになっていましたよ(笑)。吉村先生も自分も、川上がインカレで打つイメージはすごくあります。過去を見てると、打てる選手が直前スランプになって、インカレで打っていますから。丹野・川上などの4年生が去年の前多や鳥岡のように国士舘戦で見せたプレーをしてくれると思います。

――日体大のエースは3年生で来年も残りますが、早稲田も3年生に厚みがあります。3年生世代の印象をお願いします

プラスの面として、仲が良い印象とノリがいい印象です。あとは、もっともっとできると思っています。それはプレーの面でも、チームに貢献するという意味でもです。能力、才能、素質の面で、一人一人の顔を思い浮かべながら話をしていますが、もっともっと力を発揮できるはずだと思っているので、それがインカレで出ればいいなと思っています。3年生のインカレは人それぞれ捉え方がありますが、自分を思い浮かべると、自分のことにだけ集中してできる最後のインカレ。4年生はチームとかいろいろなものを背負うので、対して3年生は自分のことだけ考えて集中できるので、そういう時に彼らがチームを引き上げることを大いに期待しています。

――スポーツ推薦の選手だけでなく、下級生の頃から出場されている選手がレギュラーに多い印象を受けますが

歴史的にスポーツ推薦が潤沢ではない部なので、昔から体育のソフトボールの授業でスカウトをしたりと部員を確保し、チームをつくってきました。それでいうと昔は澤(優輝、人2=東京・国学院久我山)のように野球をやってきた人間が多く、あとは他のスポーツをやっている人間とかがいました。自分の1個上のエースは三段跳のインターハイ(高校総体)出場者だったりと多様性があった部でした。むしろスポーツ推薦を取るようになってからが、ソフトボールをやっていた人が入部するようになってきました。ソフトボールをやってきたかどうかはあまり関係ないと思っていて、個人の能力をこちら側がいかに引き出せるかだと思います。バントのスペシャリストや走塁を極めたりと、チームに貢献する働きをするにはいろいろ関わり方があると思うので、そこは冒頭で言った人間教育と関わりがあるので、あまり気にはしてないです。たまたま巡り合わせで、今年の3年生とかが(下級生時から)出ているのかなと思います。数年後を考えると2年生が少ないので、もう少し新歓を頑張らないといけないなとは思います。

サラリーマン監督


昔を思い出しながら話してもらった

――ここで話変わりますが、監督の現役生活を振り返ってもらってもいいですか

自分は高校まで野球をやっていて、実家は神奈川県なのですが、前橋育英高校に野球留学をしていました。甲子園に行くために行っていたのですが、結果的に甲子園に行けず。1年間の浪人期間を経て早稲田に入りました。野球はやり尽くしたので、小学校でやっていたソフトボールかサークルかなどと考えた結果、縁があったソフトボール部に入りました。比較的試合には出させてもらって、当時はベンチ入り17人と今みたいにに多くないのですが、1年生の時にベンチ入り。4年生で主将をやらせてもらったりしました。甲子園を目指す野球には区切りをつけていたので、ソフトボール部では、どちらかというと最後の1年間でチームづくりをした経験がすごく思い出深いです。今に生きている思いはありすし、とても成長した思いがあります。学生にはこの部はやるならキャプテンだと言ったりしますね。学生時代は、キャプテンの経験が大きかったです。当時もメンバーは揃っていたのですが、3年生まではインカレでなかなか勝てなかった。1個上の代が今の3年生のように人数が多くいたので、その代が抜けてしまい、レギュラーが僕と副主将を務めた1人だけとチームは弱体化しました。負けまくりましたし、苦しい中でのチームづくりとなりましたが、最後の東日本やインカレで吉村さんが久しぶりに采配を振るったりなどあり、負け続けたけど最後に勝つことができました。ベスト4では負けてはしまいましたが最終日までいくことができ、1年間主将として自分がつくったチームで最後に結果を出せた経験は、その後の人生にも大きな影響はありました。

――現役時代はどのようなプレーヤーでしたか

僕は、最後の打順は4番ファーストでした。だからどちらかというと打つ人で、今のチームいうと澤とかですかね。右打ちの打つ人でバントとかはしたことないです。コーチの木村(秀雄、平8理工卒=山口・柳井)さんは自分の2個上のなのですが、つなぎの選手。今でいう梶谷(陽介、法3=神奈川・柏陽)のような打者でした。(自分が下級生の時は、)木村さんが7番で、自分が8番でプレーをしていました。

――部の主将として、あるいはそれまでの現役選手時代で、監督から指導を受けた中で印象的なことはありましたか

3年生までは今も東伏見でソフトボールの授業をしている続さんが監督で、4年生は醍醐さんが監督でした。吉村先生が総監督でいる中でその二人がサラリーマン監督をしているかたちでした。吉村先生という厳然たる方がいて、その下に監督と組み合わせで見ていただいてきました。印象深いこととしては、海外遠征ですかね。当時は2年に1回ハワイ遠征に行っていて、向こうの大会に出ていました。大学3年生の時は優勝して初めてWorld Series(ワールドシリーズ)に初めていけたのですが、「早稲田の進取の精神で考えると、海外に出ていかないとあかんのよ」と話をよくしていたことを覚えています。続さんもサラリーマンとして働きながら、30番を背負い監督として、ハワイ遠征まで付いてきてくれました。当時は学生なのでよく分かってなかったですが、今となれば自分はハワイ遠征には行くことはできないので、仕事をしながら帯同してくれる意味も含めて、国内のインカレ優勝は勿論ですが、インカレは所詮日本の大学の大会ではあるのでもっと海外に出て大きく羽ばたくのだと、話をされていたのがすごい印象深いですね。当時はワールドシリーズがどういうものか分からなかったですが、皆で話して、男なら勝負しないとあかんと話があり行ったことは、思い出深いですね。

――久しぶりに全日本総合選手権(全総)に出場することに関して

まず知ってる限りで、(自分が経験したのを含めて)全総本戦に出るのは3回目。その前に何度か先輩方は出ているのですが、ことしに関してはチームづくりの一環の中で、日体大が予選にいなかったことはありましたが、しっかりと東京都予選と関東予選を勝ち抜いて出れることにまず意味がある。全総に出れるというよりは、大事な大会を勝ち抜いて出場できることに価値を感じています。全総は学生だけではなく社会人もいる大会なので少し違った雰囲気になる訳ですが、インカレチャンピオンとして臨むのが一番やりたいことです。2005年に(インカレ)初優勝した時もそのようなかたちでした、あのようなかたちになって臨むのが理想の大会です。昔インカレでベンチから見ていた選手が社会人としてプレーしたりする感じなので、そういう人たちにどうやって勝ちにいくのかなという感じです。インカレを目標に1年間やってきているので、少し難しいですけどね。2003年と2005年の時も一息ついてはしまったので、ことし(の選手)は良くも悪くもその部分の切り替えはできそうかなとは思います。インカレ終わった後に、14年ぶりに出れる全総を楽しまなかったら損だという話になっていければ、自然とスイッチ入ってくるのではと思っています。

――サラリーマン監督として監督をやる中で、難しい部分はどこの辺りでしたか

やはり学生との距離感をどのようにつくっていくのかというところですかね。吉村先生は教授をやっていて、監督の時期も長いのですが、自分とかは行けて週に1回なので。2、3週の土日で1、2回行けるかどうかとなった時に、当然自分は見れないので主将とはやり取りをしています。主将とは見ずにやり取りをし、全て主将を通してチームの状態を把握する。主将から把握した内容を、たまに行ける際に主将から聞いている話と自分のイメージが合っているかを確認して、キャプテンの関係をつくっています。主将との関係をつくる難しさと、その先にいる部員とどう距離感をつくるのかは難しいというか、気は使います。自分が学生なら、たまに来てがみがみと好き勝手に言われることはたまったもんではないですからね。逆にたまに来て何も言わないなら来る意味がないと思われるので、常に学生の立場ならどう思うかなと自分が学生の時を思って、たまに行った際に意味のある一言を言えるか、誰もが気が付いていないことに気付けるかという部分でいる意味を彼らに感じてもらわないと監督をしている意味はないです。選手にとって腫れ物にはならないようにと距離感には気を使います。

――トーナメント戦に比べて、リーグ戦ではあまり来られていないですが

公式戦はできるだけ行きたいんですよね。でもリーグ戦を土曜日に組まれると、自分が授業を休講にばっかりしても良くないのでというだけですね(笑)。

――授業は何を担当しているのですか

ソフトボールですよ、一般体育でソフトボールの基礎を教えています。今は土曜日の1、2限に。2005年から去年までは東伏見の土曜の1、2限を担当し、続先生が喜久井町の1、2限をやっていたのですが、今年からは入れ替わって自分が土曜の1、2限を喜久井町で行い、続さんが月曜の東伏見で教えてます。僕は30歳になった時からやっているので、30代の土曜日の午前中はほぼ東伏見にいました(笑)。

「相手にとっては不足なし」

――インカレで対戦する学校の印象は

初戦の神戸学院大、準々決勝で対戦する関大も去年のインカレでやっていたような。インカレは西日本とよく当たるので対戦相手が被るので…。何が言いたいかというと、インカレの決勝で日体大に勝つという明快なイメージはあるのですが、関大や神戸学院大、そして国士舘大にしても、早稲田に去年負けた彼らは死にものぐるいでくるはずなので、相手にとっては不足なし(ということです)。やりごたえのある組み合わせになったと思います。早稲田を潰すと自分が向こうの監督だったら思うはずなので、そういう相手にどうやって勝つのか、底力が求められる戦いになると思います。でも今の彼らなら大丈夫だと思います。1つずつ勝ってくれるイメージはあります。

――決勝では2連覇をしている日体大と対戦することが濃厚ですが、差を感じる部分はどこですか

頭悪いと感じるかもしれないですが差は感じてないですね(笑)。とてもいい投手だし、選手の体格も良く、打球も速く強いと思いますが、勝てると思います。過去にそういう中で勝ってきたのを見てきていますし、自分の中では(勝つための)明快なイメージがあるので、差を埋める1年間というよりは、我々の集中力や一球に懸ける精度、徹する力、つなぐ気持ち、チームとして盛り上がらせる部分をインカレに向けてどのように最大化することだけを考えていて、それができれば勝てると明快に思っているから、足りない差を埋めようという意識はないですね。この前インカレ壮行会があったのですが、吉村先生も全く同じことを言っていて、「日体大は強いけど打てばいい。ストライクゾーンをボールが通るんだから。見えない訳ではないだろ、打てない訳ないんだよ」と喝を注入してくださって。過去のインカレ3連覇した時は、決勝とかもほとんどコールドで勝っているんです。今の選手たちが3連覇した時よりも著しく劣っているかと言えば、そんなことはない。きっちりと徹して、集中して、つないでいければ、初回に6点を取って一気にコールド。優勝した時はほとんどそのパターンなので、それが日体大であろうができるかどうか、できるとは思っていますね。吉村先生とも、選手にも話していますが、夏は打たないと勝てない。いい投手が抑えて、抑えてはしんどいので、打ち勝って、序盤で試合を決めて、投手陣に楽をさせる勝ち切り方に持っていく。それができれば優勝できると思うので、そういう戦いですね。

――最後にインカレに向けての抱負をお願いします

一年間このようなかたちでやってきているので、優勝するだけだと思っています。インカレは4年生が活躍してくれる大会なので、特に4年生が輝く大会なので、それに毎年感動する訳なのですが、4年生の力で結果を出して、「4年生が活躍して優勝する」というイメージだけです。彼らの集中力やパフォーマンスには期待しています。今からそれを想像するだけで楽しみでしょうがないです。

――ありがとうございます

(取材、編集 大島悠希)

インカレでは打って勝つソフトボールを見せてくれるはずだ!

◆高杉聡(たかすぎ・さとし)監督

1974(昭49)年10月12日生まれ。群馬・前橋育英高出身。1998(平10)年人間科学部卒。早稲田男子ソフトボール部監督。サラリーマン監督として多忙な毎日を送っている高杉監督。今回の対談では職場の会議室をお借りし、仕事の空いてる時間を使ってインタビューをさせていただきました。ことしも甲子園の決勝をテレビで見たと語ってくれた監督は、対談当日に掲載された甲子園決勝の記事を主将に送って、インカレでは「こういうのをしたい」と語るなど、ソフトボール部のことを常に考えているのが印象的でした!