向正面から世界が見える~大相撲・外国人力士物語第2回:臥牙丸(後編)身長186㎝、体重200㎏超。パワーあふれる取り口で、ファンから「ガガちゃん」の愛称で親しまれる臥牙丸は2005年、グルジア(現・ジョージア)から来日し、角界入りした。明る…
向正面から世界が見える~
大相撲・外国人力士物語
第2回:臥牙丸(後編)
身長186㎝、体重200㎏超。パワーあふれる取り口で、ファンから「ガガちゃん」の愛称で親しまれる臥牙丸は2005年、グルジア(現・ジョージア)から来日し、角界入りした。明るく人懐っこい性格で、力士仲間たちからも愛されている臥牙丸。現在、十両で相撲を取る彼が、これまでの相撲人生を振り返る--。
◆ ◆ ◆
2009年の九州場所(11月場所)、新十両に昇進した時は本当にうれしかった。幕下が長かっただけに、特別な思いがあったし、幕下優勝の表彰式から引き揚げる時、(同郷の)黒海関と栃ノ心が花道の奥で出迎えてくれたのにも、感激した。2人とも、それまでの僕をはがゆく思っているのは知っていたし、ようやく2人に近づけたという意味で、忘れられない思い出になっています。
でも、僕がくすぶっている間に、ジョージアで悲しい出来事が起きてしまって……。黒海関の家と僕の家は近所で、お父さん同士も仲良くしているんですが、2006年に黒海関のお父さんが病気で亡くなり、その半年後に、僕のお父さんが交通事故で亡くなってしまった。
それで、相撲を辞めることを覚悟して、黒海関に相談したら「自分のためだけにがんばるんじゃなくて、(亡くなった)お父さんのために、相撲をがんばらないと」と言ってくれたんです。
そうだよな。何のためにがんばっているのかと言ったら、故郷のお父さん、お母さんのためにがんばっているんだ。辞めるのはいつでもできる。喜んでくれる人たちのためにがんばろう! そして、いつも励ましてくれる黒海関、栃ノ心のためにも……って思い直したんです。
関取になって、雑用などがなくなり、付け人が付いたり、自由にゴハンが食べられるようになると、体重は200㎏を超えるようになりました。「相撲だけに集中できる」環境になって、心のゆとりもできたんだと思うんだけど、新十両の次の場所には、十両で優勝して、2010年の名古屋場所(7月場所)では憧れの新入幕を決めた。
23歳。思えば、この頃は元気いっぱいだったなぁ。2011年の秋場所(9月場所)では、初日に安美錦関に負けたけど、その後は10連勝と絶好調。大関の豪栄道関や把瑠都関にも勝つことができて、敢闘賞をいただいて……。
2012年初場所(1月場所)も体が動いていたね。後半戦、9日目から7連勝して12勝3敗。「同級生」の栃ノ心にも勝ったし、2度目の敢闘賞を取ることができた。大勝ちしたことで、翌春場所(3月場所)には新三役(小結)に昇進することもできた。
この頃、僕はずっと体重199kgで通していた。実際は200kg以上あったんだけど、お相撲さんって、自分の本当の体重を公表するのって、すごく恥ずかしいんだよね。だから、東京場所(5月場所)前の体重計測は受けないで、自己申告で「199㎏」って言っていたの。
だけど、周囲の力士やメディアの人から、「ガガちゃん、絶対200㎏以上あるよね?」と言われて、2012年の秋場所前にしぶしぶ体重計に乗ったら、212㎏。「やっぱり、199㎏じゃないじゃないか!」とか言われて、困ったこともあった(笑)。
それからもなるべく体重が増えないように気をつけていたんだけど、常に200㎏以上はあったなぁ。
お相撲さんにとっては、体重は武器だからね。自分が土俵で動けるのであれば、体重の増減は、僕はさほど気にしない。
最近では、逸ノ城が200㎏を超えた時、「太り過ぎだ」と指摘されたよね。本人も相当気にして、炭水化物ダイエットとかに取り組んでいたみたいだけど、お相撲さんは米を食べないと力が出ないのよ。逸ノ城も悩んだ結果、極端なダイエットはやめて、今は224㎏。ベスト体重は本人が決めるものだから、外野がいろいろ言うのはどうかと僕は思っているよ。
だけど、太ることでの弊害はある。
数年前のことだけれど、僕は全身がだるくて、力が入らないという症状に襲われた。200㎏あった体重が、アッという間に180㎏まで落ちた。さらには筋肉まで落ちてしまって、体はタルタル。
「あ、これは糖尿病だな」
僕はすぐにピンときたね。糖尿病で苦しんでいるお相撲さんは多いし、体を見ていると「この人、糖尿病だな」とわかる。裸の商売だから、そういうところは敏感なんだよ。
すぐにでも病院に行かなくちゃならなかったんだけど、巡業もあったし、病院に行って「糖尿病」と診断されるのがイヤで、しばらくは病院に行かなかったよ。結構、臆病者だよね(笑)。
ようやく病院に行って、自分でお腹にインシュリンを打つようになって、今では症状はだいぶ落ち着いているかな? 食事制限とかをすると痩せてしまうから、食事は普通に摂って、好物の甘いものとかはやめているという状態です。
体のことで落ち込んだ時や、そうじゃない時でも、故郷のお母さんとはテレビ電話で毎日話をしていたよ。お父さんが交通事故で亡くなってから、お母さんの体調もよくなくて、本当に心配だったから。
ジョージアは日本から飛行機の直行便もないし、片道10数時間はかかる。お相撲さんに長い休みはないから、僕がジョージアに帰れるのは、2年に1回くらい。だから、お母さんを日本に呼んで、いい治療を受けさせてあげたいと思っていたんだ。
でも、僕の糖尿病がわかったのと同じくらいの時に、お母さんの病気も悪くなってきてしまって……。僕も十両に落ちたり、幕内に帰り咲いたり、相撲の内容も精彩を欠く感じだった。
そして昨年の7月、とうとうお母さんは亡くなった。何もしてあげられなくて、僕は生きる気力がなくなったような感じだった。
母の葬儀のために、名古屋場所が終わってすぐにジョージアに帰国し、母とのお別れをすることができたのだけれど、巡業を休むわけにはいかない。飛行機の関係で、巡業の初日と2日目は休むことになってしまったけれど、3日目からは巡業に帯同したよ。
巡業に姿を現わした僕の様子がよっぽど変だったんだろうね。横綱の白鵬関と鶴竜関が僕のところにやってきて、「ガガちゃん、大変だったね。大丈夫?」と、声をかけてくれた。もう、涙が出るほどうれしかったよ。そして、こっそりと香典まで渡してくれたんだ。
レスリングの銀メダリストで「モンゴルの英雄」と言われた白鵬関のお父さんも、この年の4月に亡くなられた。愛する両親を近くで看取れないというつらさ。お相撲さんという仕事の性だと言ってしまえばそれまでだけど、こうした不条理が僕たちにはある。同じ外国出身力士だからこそ、気持ちがわかり合える部分もある。
お母さんの死からなかなか立ち直ることができなかった僕は、翌秋場所、負け越して、長く守った関取の座から陥落することが決まった。幕下に陥落したこともそうだけど、「お母さんのために」という目標を失って、僕は本当に相撲を辞めようと思った。だけど、(前編の)最初にも話したように、「もう1回、がんばってみろ!」と師匠からの檄を受けて、もう一度、土俵で勝負するという決断を下したんだ。
考えてみると、お相撲さんでいるということは、人生のいい勉強。なんでかって言うと、どんな世界のどんなエライ人とも会えるし、いろんな出会いは勉強につながる。そして、(勝敗によって)いい時、つらい時がハッキリしていて、それが「がんばろう!」という気持ちの源になっているんだよね。
いろんなところに行けるし、いろんなおいしいものも味わえるけど、最近、相撲の世界で生きている時間は本当に短いよなぁと思うんです。
僕が20歳の頃、知り合いの人にこう言われました。
「相撲人生は、アッという間だよ」
その頃はどういう意味かわからなかったけれど、32歳になった今はよくわかります。
だからこそ、相撲人生の1日1日を悔いのないように生きていかなくちゃならない、そう思っているんです。
(おわり)
臥牙丸 勝(ががまる・まさる)
本名:ジュゲリ・ティムラズ。1987年2月23日生まれ。ジョージア出身。木瀬部屋所属。200㎏を超える巨体とパワフルな突き押し、明るいキャラクターで、子供からお年寄りまで相撲ファンの人気を集めている。2019年名古屋場所(7月場所)時点での番付は、十両2枚目。