スポーツにはプレーヤーがいるのと同時に、多くの支える人たちが存在する。 今も昔も機械ではなく、スポーツは人が作る。その中…
スポーツにはプレーヤーがいるのと同時に、多くの支える人たちが存在する。
今も昔も機械ではなく、スポーツは人が作る。その中には楽しさだけではなく、様々な想いや葛藤、ストーリーがある。
今回の「志事人」は、日本野球機構セントラル・リーグ統括 杵渕和秀さん。
前編はこちら >> https://sportsbull.jp/p/604386/
前回の続きにはなるが話を聞いていこう。
2017年のクライマックスシリーズ第2戦、阪神-DeNA戦のこと。
実は私もあの試合の時に控え室にいたので、どれほどの重圧が杵渕さんにかかっていたのかが痛いほどわかっていた。
「中止を判断してしまえば簡単だったかもしれないが、何とか試合開始が出来ないか、それだけを考えた。ご批判は多々あり苦渋の決断であったが、ベストを尽くせたと思っています。」
この言葉を聞き私はすぐに感じた。これは自分だけではなく、両球団、グラウンドキーパー、審判員、球場関係者、さらにはお客さんのことも含めて語った言葉だと。
当時の状況はプレイボール前から雨は降り続き、NPB審判12年間の私の経験上、普段の公式戦であれば試合を行うことは極めて難しいと判断する状況であった。
しかし、球場にいた私の耳には、不思議と両球団からの不満の声は全く聞こえてこなかった。
阪神園芸さんは試合を完了することに尽力していた。あの場にいた全ての人間が、この試合の意味が単純なものではないことがわかっていた。『中止』の2文字を冗談でも口にするものは誰1人としていなかった。
そんな中で私にできたことは試合球を用意し続けることだけであった。間違いなくプロ野球史上、最もボールを使った試合であった。
「直接的な判断基準では全くないですが・・・」杵渕さんは少し声が詰まった後に続けて答えた。

「私は第1戦の当日、新幹線で東京から甲子園に向かったのですが、車内には試合を楽しみにしている笑顔の子供の姿があったんです。」
毎日試合をしていると気がつかなくなる事がある。選手を含めた関係者であれば、試合は毎日のことであっても、見に来る方には特別な1日なのだ。
「もしかしたら人生で、最初で最後の試合観戦になる方がいるかもしれない。」
もちろん予備日はもう無い、ペナントレースとは違うプレーオフであった、他にも様々な要素もあったとは思う。しかし、野球が少年時代から大好きであった杵渕和秀という人間だからこそ感じる事ができた要素であったのかもしれない。
「あのグラウンド状態でプレイしてもらった選手、最後まで見守って下さったファンの方々には申し訳ない思いと、感謝の気持ちしかありません。セ・リーグ統括として全ての責任は私にあると思っています。」
杵渕さんの肩にのしかかった“モノ”の重さは相当なものであったことは想像がつく。最後まで何度も杵渕さんが口にし続けたのは「皆さんの協力があって私はこの仕事ができている」この言葉であった。
この言葉を何度も聞くにつれ、言葉の重さがいかに大きな“モノ”なのかが私にも伝わってきた。

■試合後のファンへの挨拶は、Jリーグを参考に生まれた
「今では当たり前になっていますが、選手が試合終了後にファウルラインに並びファンの方に挨拶する。あれは、ある方にお願いして始まった日本の文化なんです。」
今では当たり前過ぎて違和感なんてないが、杵渕さんがある方にお願いしたことがきっかけで始まったようだ。
自身がヴェルディのマネージャーをしている時にサッカー選手は勝ち負けに関係なく、サポーターに挨拶に行く姿にすごく感銘を受けていたそうだ。
「あれをなんとか野球に取り入れたかったんです。」
そんなとき、2002年巨人に新しく原辰徳監督が就任した。就任前から交流もあったこともあり、原監督にダメ元でお願いをした。
「勝った時に手を振るだけでもいいので、チーム全員でファンに挨拶して欲しい。」
ファンとの距離を少しでも近づけたいと願う杵渕さんならではの、お願いであった。
これに対して原監督は二つ返事で「よしわかった。開幕から本拠地で勝ったらやるよ。」と承諾してくれた。
言葉では「やる」と言ってはくれたが、今まで誰もやってこなかった事だ。言わば、これまでのプロ野球には全くなかった儀式だ。
シーズンは開幕し公式戦で巨人が勝利した。原監督は選手たちと勝利のハイタッチをした後、ホームベース付近に向かい、選手もその後に続きファウルラインに一列に並んだ。約束通り、チーム全員がスタンドに一礼、手を振ってファンに向けて挨拶したのだ。
「あくまで私は提案をしただけで、まずは原監督、ジャイアンツが協力してくれ、次第に他球団へと広まり、今では12球団が協力してくれている。NPBでは当たり前の光景になりました。今では負けてもファンに挨拶するチームもあります。」
とても嬉しそうに語り、最後まで自分が作り上げたとは言わずに、皆さんの協力が作り上げた“モノ”だと言っていた。
新しい制度や決まりではない。本人が口にしなければ誰にも知られないことだ。しかし、何が今必要かを感じ、それに賛同する者が現れ、みんなで協力してできた、人にしか生み出せない文化だ。そこには機械では生まれることのないストーリーがあった。
他にもセ・リーグの優勝チームが翌年のユニフォームに優勝トロフィーのエンブレムをつけている。これはW杯で優勝した国が次の大会まで優勝エンブレムを付けるサッカーの文化を見習って始めたそうだ。
「必ずしも野球を盛り上げたいからって野球からヒントを探す必要はないと思っています。もちろんMLBなどから取り入れることも多くあるのですが、野球ばかりに目を向けていると、どうしてもその中だけの考えになってしまうんです。他のスポーツからまだまだ見習うこともたくさんあると思っています。」
今では当たり前になっている文化は、野球以外のスポーツからヒントを得ていたとは驚いた。
「皆さんの協力で支えられ根付いた文化なんです。僕の野球人生の中での大きな達成感の1つですね。いつかは変化して行くかもしれませんが、出来ることなら僕が定年し退職した後も残っていて欲しいなと思います。」
「僕らは黒子なんで目立つ必要はないんです。一番は選手や、審判員やグラウンドに立つ人達。ファンから見える人達が主役なんです」
自分の仕事が大好きで、誇りがあるから出る言葉であったのだろう。
では最後に杵渕さんが志す事とは?
「誰もがやりたい仕事につけるわけではないと思うんです。そんな中、私は大好きな野球に携われています。なので、おこがましいかも知れませんが、何らかの形で野球に恩返しがしたいと思っています。そして今(統括になり)、やっと恩返しできる機会を頂けていると思っています。物事は先人の努力があって今があります。私もいつかは退職の時を迎える時がやってきますが、一つでも多くNPBで仕事をした証を残したいです。」

今回インタビューで私はこう感じた。
「志事人」杵渕和秀は野球少年の心を持った大人だ。野球馬鹿?いや大馬鹿だ。
しかし、こんな大馬鹿だから今の立場になっても、目を輝かせた子供達に何ができるのか。夢や希望をどうすれば与えられるだろうか。こんなことを忙しい日々の中で、常に考える事ができる大人がどれほどいるだろうか?
大人になるにつれて忘れてしまう、一番大切な“モノ”を忘れることのない素晴らしい「志事人」であった。日本の野球界の更なる発展と、たくさんの子供達やファンの方々に夢や希望を見せ続けたいと、熱く語るNPB職員がいることに安心した。
さて、次は一体どんな「志事人」に会うことができるのだろうか。どこかにいる、まだ知らない「志事人」を見つけに行こうと思う。