その3名とは、元世界ランキング2位、2001年「ウィンブルドン」優勝者のゴラン・イバニセビッチ(クロアチア)、「全仏オープン」2連覇を達成したセルジ・ブルゲラ(スペイン)、そして、9度のメジャ…

その3名とは、元世界ランキング2位、2001年「ウィンブルドン」優勝者のゴラン・イバニセビッチ(クロアチア)、「全仏オープン」2連覇を達成したセルジ・ブルゲラ(スペイン)、そして、9度のメジャー大会でのダブルス優勝、元ダブルス世界ランキング1位のヨナス・ビヨルクマン(スウェーデン)だ。

元WTAのスターで1994年ウィンブルドン優勝者、コンチタ・マルチネス(スペイン)も同じくノミネートされた。国際テニス殿堂に入ることは、テニス界においての究極の名誉であると同時に、選手にとってキャリアの集大成とも言えるだろう。

国際テニス殿堂会長のスタン・スミス氏は「マルチネス、ブルゲラ、ビヨルクマン、イワニセビッチの4人はそれぞれの実績を通じ、素晴らしいテニスへの献身姿勢を貫いた。その結果として最高峰レベルでのグランドスラムチャンピオン、ATPおよびWTAのトップランカー、オリンピックメダリスト、それにデビスカップやフェドカップで優勝など名誉を収める事ができた。彼らは国を代表し、とても良い印象を残した。だから今回、彼等を国際テニス殿堂入りのノミネート候補とし、発表できることはとても光栄に思う」と語った。

まず、イワニセビッチのサーブ・アンド・ボレースタイルのプレーが、2001年の「ウィンブルドン」優勝、それ以前に3度の決勝、2度の準決勝、1度の準々決勝進出という芝コートである「ウィンブルドン」での彼の成功を牽引する。2001年、ランキング125位の左利きのビッグサーバーはワイルドカードでトーナメントに出場した。トロフィーを手にするまで、3人の元世界1位選手たちと1人の当時世界1位になると有望視されていた選手をノックアウトし、そして、決勝でパトリック・ラフター(オーストラリア)との5セットマッチの激戦を制した。

さらに、イワニセビッチは1992年のバルセロナオリンピックでは、シングルスとダブルスで銅メダルをそれぞれ獲得している。

次に、スペインのクレーコートの偉人であるブルゲラは、1993年と1994年に「全仏オープン」2連覇という偉業を達成した。彼の最初のタイトルは2度のディフェンディングチャンピオンであるジム・クーリエ(アメリカ)との試合の第5セット、0-2からの逆転で訪れた。ブルゲラのキャリアではATPシングルスランキング3位が最高、そして14個のツアーレベルタイトルを獲得。1996年のアトランタオリンピックでは銀メダリストだった。

最後に、元ダブルス世界1位で、ダブルスのスペシャリストであるビヨルクマンは9個のメジャータイトル獲得とダブルスでのグランドスラムを達成した。2度のATPファイナルズでの優勝、それに54個のツアーレベルでのダブルスタイトルを獲得している。

シングルスにおいてビヨルクマンは自己キャリア最高ランキング4位、「全米オープン」、「ウィンブルドン」では準決勝まで進んだ。献身的なチームプレーヤーであるビヨルクマンはデビスカップにおいても、3度スウェーデンチーム内で重要な役割を担った。

国際テニス殿堂入りは、選手たちにとって、最高の栄誉であり、彼らのさらなる自信へとつながるであろう。

*写真は2001年「ウィンブルドン」優勝の瞬間のイワニセビッチ

Photo by Gary M. Prior / Getty Images

翻訳ニュース/ATPTour.com