【スポルティーバ Interviews】

塚越広大 TSUKAKOSHI KOUDAI プロとして生きる術 >>前編を読む



 

■2008年秋に発生した国際的な金融危機「リーマンショック」は、モータースポーツの世界も直撃した。自動車メーカーは経営が悪化し、ホンダやBMWはF1からの撤退を余儀なくされ、モータースポーツ活動を縮小する。その影響を受け、子どもの頃からの夢だったF1の目前まで迫っていた塚越のレース人生は大きく変わっていくことになる。

――2008年に21歳でレース本場のヨーロッパに渡り、ミドルフォーミュラのヨーロッパF3に参戦。シーズン終了後にはF1直下のGP2のテストに参加して好タイムをマーク。順調にステップを重ねていたところに、リーマンショックが発生します。ホンダはF1の撤退を発表し、塚越選手も帰国することになりましたが、国内レースのシートはまったくない。まさに天国から地獄という状況です。

「ホンダの方にも『2009年のシートはない』と言われ、本当にツラかったですね……。そんな中で、リアルレーシングの金石勝智監督から08年12月に電話をいただき、日本最高峰フォーミュラカーレース、フォーミュラ・ニッポンのオーディション参加の機会を与えていただきました。そのテストでトップタイムを出すことができ、何とかシート獲得につなげることができました。さらに、金石監督からは開幕直前のタイミングでスーパーGTにも参加するチャンスをいただきました。この時は本当にうれしかった。しかも、この年から初めてお金をもらって走ることになりました。いわばプロになったわけです」



今季スーパーGTもリアルレーシングから参戦(写真提供/ホンダ)

――それから現在まで、日本のトップカテゴリーであるスーパーフォーミュラとスーパーGTでプロとして10年間戦ってきました。

「あらためて振り返るとあっという間でした。帰国した当初はホンダがF1から撤退した中で、どうやってヨーロッパに戻ればいいのかと考え、スーパーフォーミュラとスーパーGTで結果を出すことが一番だという結論になりました。日本最高峰のふたつのカテゴリーで結果を出すために、これまで必死にやってきました。

2013年5月、ホンダが2015年からF1に復帰するという発表を行ない、もう一回世界にチャレンジしたいという気持ちが沸き上がってきました。その頃にはもう20代後半になっていましたし、F1は20代前半のドライバーがステップアップする時代になっていました。それでもチャレンジするしかないと思い、GP2のテストに参加したのですが、残念ながらそこでヨーロッパで戦うチャンスは得られませんでした。

でも、いつかはF1に限らず、ヨーロッパやアメリカの世界のトップカテゴリーで走ってみたい。アメリカのインディカーやナスカー(NASCAR)、ヨーロッパにはル・マンなどのスポーツカーレースもあります。ひとりのドライバーとして世界のいろんなレースに出場してみたいという気持ちを持っています」

■プロとしてお金をもらって走るようになった2009年以降、塚越は国内のトップカテゴリーで10シーズン以上も戦ってきた。幾多の困難を乗り越え、これまで競争の激しい世界で生き残ってきた彼は、「速く走ることだけではプロとして不十分」と語る。その真意とは。

――プロのドライバーとして生きていくうえで、もっとも大切にしていることは何ですか?

「メーカーやチームがお金を払ってでも乗ってもらいたいというのがプロだと思います。ただプロになっても、レースの世界では毎年若くて勢いのあるドライバーがどんどんステップアップしてきますし、最近は海外からも有力ドライバーが続々と日本のカテゴリーに参戦してきています。そんな中でも常にチームやメーカーから必要とされるドライバーであり続けなければならないと思います。

そのために大事なのは、単に速く走るだけでは不十分です。チームのスタッフを牽引して、クルマを開発する能力も必要です。またメーカーの看板を背負うわけですから、人をひきつける魅力があり、発信力があることも大事になっています。たくさんの選手がいる中で、自分がチームやメーカーに対して何ができるのかを常に問われますし、それに応えていくのがプロだと思います」



スーパーフォーミュラでは今季ここまで9位が最高(写真提供/ホンダ)

――これからモータースポーツの世界でプロを目指す子どもたちに対しては、どんなアドバイスを送りますか?

「プロになると速く走るのは当たり前で、上のクラスに行けば行くほど技術の差は本当に少なくなっていきます。同じマシンで走ったら、ほとんど同じようなタイムで走ってくるはずです。では、どこで差がつくかといえば、最終的にはレースに対する熱量や情熱になっていきます。

少しでもクルマを速くするために何ができるのか、それを常に考えていれば、日々の生活での食事やトレーニングの方法が変わってきます。そういう小さいことの積み重ねが結果となって表われてくる。それは、どのスポーツでも、あるいは仕事でも一緒だと思います。熱意をもって、いかに自分が打ち込んでいる競技に真剣に向き合い、夢中になることができるのか。そこがすごく大事だと思います」

■モータースポーツの世界でプロを目指すうえで、避けて通れないのは「お金の問題」だ。塚越は一般のサラリーマン家庭の子どもで、そこからプロになることができたが、現実的にプロドライバーの多くは裕福な家庭に育っていることが多い。モータースポーツは道具を使うスポーツで、道具の優劣が勝敗を大きく分ける。資金力のある選手が有利なのは明白であるが、それを乗り越えるための方法はあると塚越は断言する。そして、その方法を身につけた者こそが、レースの世界でプロとして生き抜いていけると語る。

――モータースポーツの世界は、他の競技に比べると、道具や練習にかなりお金がかかります。練習するのも簡単ではありません。途中で挫折する人も多いですが、どのように乗り越えていけばいいのでしょうか?

「モータースポーツの場合、当然、お金の問題は避けて通れません。でもお金がないからできない、と言っているだけでは仕方がありません。それを乗り越えるためには、親や周囲の協力なしでは不可能です。まずは子ども本人がいかに親を動かすことができるか。そこが最初のポイントになりますが、家族のサポートだけではいずれ限界が来ます。さらに支えてくれる仲間を増やしていくことが求められます。実は、そういった力は、プロになったあとも必要となるんです。

レースは『チームスポーツ』です。ドライバーはひとりでは何もできません。クルマを準備してくれるメカニックやエンジニアだけでなく、レース主催者やスポンサー、メディアなど、いろんな方と仕事をしていきます。その中でいかに自分を応援してくれる人をたくさん見つけていくことができるかが、結果的に速さにつながっていきますし、資金の壁を乗り越えていく力にもなるんです」

――これからモータースポーツの世界にどのような形で貢献していきたいと考えていますか。

「いつかは自分でチームを持って、チーム運営をしたいという気持ちはあります。モータースポーツの世界で生きていくからには、いつの日かモータースポーツの世界に恩返しできるような活動をしていきたいと思っています。

今、僕は縁があって、『フォーミュランド・ラー飯能』というカートコースのオーナーを務めています。子どもの頃、僕はそこで初めてレーシングカートに乗ったのですが、いま、そこでカートスクールを開催して、これまでに何千人という子どもたちに教えてきました。その中から現在は全日本のカート選手権などで活躍している選手もいます。僕の教えた子どもたちが、いつの日か自分のライバルであったり、チームメイトであったり、自分がチームを持った時にはドライバーになってくれたら、すごくうれしいですね」

――最後にモータースポーツの魅力をあらためて教えてください。

「モータースポーツはいわば非現実的な世界で、日ごろはなかなか見ることできないいろんなタイプのクルマが、考えられないスピードや音を立てながら走り、競い合っています。フォーミュラカーやGTカーが高速コーナーを曲がっていく姿を間近で見ると、すごい迫力で、きっと驚くと思います。まずはピクニックや遊園地に行くような感覚でレース場に来てもらって、そういう世界をまずは肌で体験してもらいたいですね。サーキットでお待ちしています!」



 

■プロフィール 塚越広大(つかこし・こうだい)
1986年11月20日生まれ。栃木県日光市出身。父親のすすめで6歳からレーシングカートを始め、12歳で公式戦にデビュー。その後、各クラスで勝利を重ね、2002年には鈴鹿戦シリーズMFCクラスでチャンピオンを獲り、鈴鹿レーシングスクール・フォーミュラ(SRS-F)のスカラシップを獲得。2004年にSRS-Fに入校し、首席で卒業。同スクールのスカラシップ制度によりフォーミュラドリーム(FD)に参戦し、2005年にはシリーズチャンピオンに輝く。2006年から全日本F3選手権にステップアップし、2007年のF3マカオGPでは2位表彰台を獲得。2008年に渡英し、F3ユーロシリーズにフル参戦。シリーズ・ランキング6位に輝く。シーズンオフにはF1直下のGP2シリーズ(現在のF2)のテストに参加する。2009年からは活動の場を再び日本に移して、国内トップカテゴリーであるフォーミュラ・ニッポン(現:スーパーフォーミュラ)とスーパーGTにリアルレーシングから参戦中。今年でトップカテゴリーに参戦して11年目のシーズンを迎える。公式ホームページ>>https://www.tsukakoshikoudai.net/