東海大・駅伝戦記 第59回 東海大の選抜メンバーはいま、アメリカのフラッグスタッフで合宿中である。全日本インカレと秋からの駅伝シーズンに備えて、ハードな練習をこなしている。 4月から7月までのトラックシーズン、なかなか調子の上がらなかっ…

東海大・駅伝戦記 第59回

 東海大の選抜メンバーはいま、アメリカのフラッグスタッフで合宿中である。全日本インカレと秋からの駅伝シーズンに備えて、ハードな練習をこなしている。

 4月から7月までのトラックシーズン、なかなか調子の上がらなかった選手がいる一方で、安定した走りでしっかりと結果を残した選手もいた。

 阪口竜平(4年)は、関東インカレ、日本選手権の3000mSC(障害)で優勝を飾るなど、圧巻の走りを見せた。そして、もうひとりトラックシーズンで大活躍したのが、ルーキーイヤーながら関東インカレの1500mを制するなど衝撃のデビューを飾った飯澤千翔(いいざわ・かずと/1年)だ。



トラックシーズンで大活躍した1年生の飯澤千翔

 飯澤は、4月上旬の東海大・日本大対抗戦1500mに出場し、いきなり3分45秒64の自己ベストを叩き出し、エースの館澤亨次(4年)を抑えて優勝した。続く5月のゴールデンゲームズ in のべおかでも3分42秒07とまたしても自己ベストを更新し、館澤に勝利。さらに関東インカレでは、3連覇を狙う館澤がラストスパートで得意の逃げ切りを計ったが、最後は胸の差で飯澤が制し、初優勝を果たしたのだ。

 そして、6月の日本選手権では予選を2位で通過。決勝では、館澤の3連覇を阻止して「優勝するのは飯澤だろう」という声が圧倒的だった。しかし、決勝は実業団選手のラストスパートについていけず、12位に終わった。レース後、勝てなかった悔しさと自分への怒りをぶちまけながら待機所に引き上げていく姿が印象的だった。

 両角速(もろずみ・はやし)監督は、そういう飯澤の姿に可能性を感じている。

「自分が失敗して、周囲に気を遣って申し訳ないとか、そういう優等生みたいな感じじゃないですよね。闘争心のある選手は面白い結果を出す。魅力ある選手です」

 阪口も「飯澤はいい」と太鼓判を押す。

「1500mで結果を出しているし、5000mでも鬼塚(翔太/4年)と一緒に走って、1200mまではガンガンレースを引っ張っている。そういう積極的な選手は伸びます」

 1年生ながらここまで結果を残し注目を浴びたのは、黄金世代の鬼塚、關颯人以来だろう。

 8月上旬、飯澤は白樺湖でのチーム全体合宿に参加していた。

 ある日の午前中、チームは各グループに分かれてファルトレクトレーニング(※)をしていたが、飯澤はグループには加わらずに単独で調整していた。走っている姿を見ると、少し体が重そうだった。

※速いペースとゆっくりのペースを繰り返しながら走り続けるトレーニングのこと

「この夏合宿に入る前にようやく悪いイメージがなくなって、いい流れで合宿に入ったんですけど、初めてということもあって、今は疲れが……」

 そう苦笑いしながら話をする飯澤の言葉がちょっと気になった。

「悪いイメージ」とは、どういうことなのだろうか。トラックシーズンは、日本選手権で負けるまで悪くはなかった。その後、何かが起きたということなのだろうか。

「日本選手権は、大会前に風邪で39.6度の熱が出て2日ほど緊急入院したんです。戻ってきたのが10日前の東海大の記録会で、自信はなかったんですけど、(日本選手権の)予選では走れたので『これはいけるかも』って思ったんです。決勝前のアップも関カレ(関東インカレ)で優勝した時みたいな感じで、監督からも『これは勝ったな』と。

 でも、決勝ではラストでスピードが上がった時についていけなくて……体が動かなかった。風邪のダメージがあって、1本は走れたけど2本はごまかしがきかなかった。そのレースが終わってから、なんか悪いイメージしか残っていなくて……練習できつくなった時、そのままズルズル落ちていくようになったんです」

 ポイント練習できつくなった時、ふとこう思ったという。

「あれ? どうやったらスピードが上がるんだっけ?」

 スピードを上げて走る自分の姿を見失ってしまったのだ。

 春からレースが続き、疲れもあったので疲労を取り、ゆっくり走ることから始めた。そうして徐々に体を回復させ、8月2日、1500mに特化した東海大記録会”ブレーキング40”に出場した。飯澤は3組でスタートし、4年の關颯人、木村理来らを抑え、3分41秒06で今シーズン3度目の自己ベストを更新したのだった。

「狙ったわけじゃないですけど、タイムを出せた。しかも41秒で。絶好調ならまだ3秒ぐらい速く走れた。夏合宿前に結果が出て、ちょっとホッとしました」

 山あり、ちょっとの谷ありのトラックシーズンだったが、とても1年生とは思えない見事な活躍だった。周囲も飯澤を1年とは見ておらず、警戒するようになった。はたして、飯澤の自己評価はどうなのだろうか。

「個人的には、ちょっと試合に出すぎたかなって思いました。それが後半の悪い流れになってしまった。トータルで言うと、60か70点ぐらい。狙ったレースを獲れたのもありましたが、外したものあったので。ピーキングが合わないのもありました。一発、レースを決めにいくと、その後の調子が落ちるんです。日本選手権のように、予選で3分42秒ぐらいのハイペースで走って、次の日の決勝も40秒を切るハイペースになると、体がきつくなる。そこはこれからなんとかしていきたい課題ですね」

 そう語る飯澤だが、成長を感じることもできた。

「走れるときと走れないときの感覚がわかるようになってきました。走れるときは気持ちよく楽に走れるし、走れないときはしっくりこない。嫌だなって、体が正直に反応するんです。あと、何をやったら速く走れるのかというのが、ちょっとずつですけど、わかってきました。調子が落ちると腕が振れなくなり、つま先だけで走ろうとするので、しっかり腕を振って、足もべったりつけて……でも接地時間は短くするとか、いくつかのポイントはつかめてきました」

 ランナーとしての感覚が鋭く、飲み込みも早い。それは練習して身につくことではなく、持って生まれた才能である。しかも根っからの負けず嫌いで、少しでも速く走るためにいろんなことを吸収しようとする。まだ入学して半年ほどしか経っていないが、末恐ろしい選手になる気配を漂わせている。

「これからも1500mをメインでやっていくところはブレないです。正直ここまでは、うまくいき過ぎてって感じですが、結果もついてきているし、周囲からの期待もあるのでちゃんと走らないといけないと感じています。卒業するまでに3分35秒は切りたいですね。将来は1500mと5000mで勝負していきたい。箱根を走る人は『将来はマラソン勝負』というのが多いですけど、僕はまったく考えていません。体型的に長い距離を走ってもいけそうだと言われますけど、トラックで勝負したいですね」

 1500mは東海大のカラーであり、強化の軸でもある。館澤のあとを継いで、飯澤がその中心になっていくだろう。ただ、秋からは駅伝に勝つというチームの目標がある。館澤は1500mで勝ち、出雲駅伝、全日本大学駅伝、箱根駅伝でも結果を出してきた。はたして飯澤は……。

「前に館澤さんに『1500mに専念したほうがいいですか』って聞いたんですよ。長い距離を走っても1500mが遅くなることはないということなのですが、自分でも1500mだけっていうことにはならないと思います。長い距離に対して苦手意識はないですが、5000mはインターハイと国体しか出ていなくて、1万mは高2の時以来走っていません。たぶん5000mは13分台が出せると思うけど、1万mはやってみないとわからないですね。ただ、楽しみな部分はあります」

 まだ長距離の適性や耐性がわらないので、箱根駅伝は微妙だ。だが、飯澤の走力とコース適性を考えれば、出雲駅伝は大いに期待できる。全日本大学駅伝も距離の短い前半区間であれば十分に出走可能だろう。

「出雲と全日本は確実に出たいと思っています。箱根は、距離に対してどのくらい対応できるのか、やってみないと何とも言えないですね。でも、今の4年生が抜けたら出ないといけない状況になってくると思うので、ちゃんと準備していかないといけないかなって思っています」

 出雲駅伝の前に、9月には全日本インカレがある。関東インカレに続いて2冠を達成するチャンスだ。

「アメリカ合宿では、みんなは箱根に向けて距離を踏むことが中心になると思うんですけど、僕はまだそこじゃなくて、全カレ(全日本インカレ)に向けてスピード強化とウエイト中心ですね。阪口さんに『スパイク持ってこいよ』と言われているので、一緒に走ると思います。アメリカではガチで練習してきます」

 恵まれた体と強気な性格、そして高い競技力は、間違いなく将来の陸上界を背負って立つ逸材だ。黄金世代以降、1年生で駅伝を走ったのは、2年前の全日本2区を走った塩澤稀夕(きせき)だけだ。飯澤にはそれ以来の期待がかかるが、まずは全日本インカレでしっかりと結果を出し、秋の駅伝メンバーに入ることだ。1500mでのデビューが衝撃的だっただけに、駅伝でもアッと驚くような走りを見せてくれるに違いない。