写真:福原愛/提供:AP・アフロ天才卓球少女“泣き虫愛ちゃん”の愛称で知られた福原愛。15歳でアテネ五輪代表に選出されると、その後も北京、ロンドン、リオと4大会連続で五輪出場を果たし、日本チームを引っ張った。そんな福原愛が駆使したサーブのひ…

写真:福原愛/提供:AP・アフロ

天才卓球少女“泣き虫愛ちゃん”の愛称で知られた福原愛。15歳でアテネ五輪代表に選出されると、その後も北京、ロンドン、リオと4大会連続で五輪出場を果たし、日本チームを引っ張った。そんな福原愛が駆使したサーブのひとつに、“王子サーブ”と呼ばれる必殺サーブがある。

しゃがみ込みながら変則的なフォームで強烈なスピンをかける“王子サーブ”が生まれた地、「王子卓球センター」の過去と今に迫った。

王子サーブの生みの親は“八百屋のおっちゃん”

王子サーブは大阪府大阪市阿倍野区王子町の路地裏にある卓球場・王子卓球センターで誕生した。王子卓球センターの作馬六郎氏が王子サーブの生みの親だ。

作馬氏は17歳のときに集団就職で大阪へ。市場へ就職後しばらくして、センターに通うようになった。

「勝ったらずっと卓球ができたからサーブを研究した」。




写真:作馬六郎氏/撮影:ラリーズ編集部

センターでは勝ち続ければ常に台に入ることができる“勝ち抜き戦形式”が取り入れられていた。作馬氏にとって、勝つことだけが長く卓球を楽しむ方法だった。

「少しでも長い時間、卓球がしたい」という強い思いを胸に、作馬氏は一人でも練習ができるサーブの研究に明け暮れた。

市場が休みの日には大量のボールをセンターに持ち込み、サーブ練習をする。そんな日々が続いていた。

「もう、ずるいわ~。サーブだけで点数取んねんもん」。

次第に周囲からそう言われるようになり、作馬氏が発明した王子サーブはセンターで敵なしの必殺技になった。

虎の穴の始まり

その後、同じようにセンターに通っていた子どもを中心とした小学生チームを創設。王子卓球センターが卓球界の虎の穴になるきっかけになった。

岡崎恵子や武田明子といった2000年前後に活躍した“のちの世界選手権代表選手”がメンバーだった。彼女らが小学生だった頃に作馬氏が指導を行い、王子サーブを武器に団体戦の全国大会で初出場初優勝。教え子の大躍進を機に、「5本に4本は返ってこなかった」という王子サーブはその名を一気に全国に轟かせた。

数多くのトップ選手を輩出

作馬氏が王子サーブを授けた愛弟子の中で、世界でも通用する武器に昇華させた選手がいる。北京五輪代表の福岡春菜だ。




写真:王子サーブを使う福岡春菜/提供:アフロスポーツ

福岡は女子卓球の名門・四天王寺の門を叩き、作馬氏の指導を受け始める。みるみるうちに才能を開花させ、中学・高校と日本のトップレベルに上り詰めた。約20種類とも言われた福岡の王子サーブは、“七色の王子サーブ”と呼ばれるようになった。

“七色の王子サーブ”を武器に、日本大学進学後の2004年にユニバーシアード競技大会でシングルス優勝を果たすと、世界選手権や北京五輪でも日本代表入りし、チームの勝利に貢献した。さらに、2006年の荻村杯ではのちの世界女王・丁寧(中国)を破り、王子サーブは世界をも震撼させた。

「王子卓球センターを通り過ぎた選手はたくさんいる」と語る作馬氏。福原愛、成本綾海、松平志穂、森薗美月、阿部愛莉など、女子卓球界のビッグネームを次々とあげる。他にも同センターを訪れ、腕を磨いた選手は多数いる。

教え子の話をしている作馬氏の表情は常に暖かく、王子卓球センターが卓球界の虎の穴である所以が垣間見えた。彼のデスクには教え子の写真がたくさん保管されており、教え子に注いだ愛の深さも見て取れた。




写真:デスクに並ぶ教え子の写真/撮影:ラリーズ編集部

大金を払う覚悟…「面倒を見させてください」

指導を依頼されることが常だった作馬氏が、自ら「指導をしたい」と思った教え子が阿部愛莉だ。

四天王寺高校に進学した阿部を見て、光るセンスに目を奪われた。すぐに阿部の親に電話をかけ、「この子は国内トップ3になるから面倒を見させてください」と初めて自分から指導したい旨を口にした。その時の気持ちは生半可なものではない。

「トップ3にならなかったら、大学入学金は私がすべてお支払いします」。

作馬氏の強い覚悟が伝わり、阿部への指導が始まった。作馬氏が見抜いたセンスはすぐに花開き、阿部は約8ヶ月後のインターハイでシングルスのチャンピオンに輝いた。

作馬氏が監修したラケット『剛力』の記念すべき1本目(当時は未発売)を使って優勝してくれたことも深く印象に残っているという。




写真:当時の阿部と母親からの手紙/撮影:ラリーズ編集部

王子卓球のゼッケンをつけるには塾通いが必須

名門・四天王寺の卒業生にスポットライトが当てられがちであるが、四天王寺の選手以外にも作馬氏の下でラケットを振った“王子卓球センター所属”の選手たちがいる。作馬氏は、彼らには卓球以外の大切な教えを与えているという。

「卓球だけではなく、塾に通って勉強もしっかりとすること」。これができなければ王子卓球のゼッケンをつける資格は与えられない。

「選手として大成できなかったときにも社会で活躍できるように」と、短期的な卓球の上達のみならず、人生を考えた長期的な指導方針に、作馬氏の教え子への深い愛が隠されている。

この教えを守り、卓球と勉強の両立をしながら腕を磨いた選手には、京都大学や大阪大学といった関西の名門大学に進学した卒業生もいる。二人は勉強ができるだけでなく、高校選抜でも優勝するなど卓球の実績も残しており、まさに作馬氏の文武両道の教えを体現した選手だ。作馬氏も彼らを「王子卓球の誇り」と称賛する。




写真:京都大学・大阪大学へ進学した教え子との写真を持つ作馬六郎氏/撮影:ラリーズ編集部

現役門下生はただ一人

文武両道のための塾通いのルールに耐えきれず、王子卓球のゼッケンをつける選手は稀有な存在になっている。現在は小学6年生の片上優奈ただ一人だ。

「塾にはまってしまって、卓球よりも勉強の方が多い」と作馬氏が語るように、片上は勉強も頑張っている。彼女は作馬氏の愛を一身に受けながら、日々、王子サーブの練習に励んでいる。今後どのような“成績”を残してくれるのか、非常に楽しみだ。




写真:唯一の現役門下生・片上優奈/撮影:ラリーズ編集部

世界を震撼させた王子サーブの聖地でもあり、卓球界の虎の穴にもなっている古びた卓球場には、今日も教え子思いの“八百屋のおっちゃん”が座っている。

文:中川正博(ラリーズ編集部)