28年ぶりに西東京大会を制し、夏の甲子園に乗り込んできた国学院久我山の初戦の相手は、優勝経験(2013年夏)がある前橋育英(群馬)だった。 1回裏と2回裏に1点ずつ失い、3回表に2点を返して同点に追いついたが、先発の高下耀介が5回裏に…

 28年ぶりに西東京大会を制し、夏の甲子園に乗り込んできた国学院久我山の初戦の相手は、優勝経験(2013年夏)がある前橋育英(群馬)だった。

 1回裏と2回裏に1点ずつ失い、3回表に2点を返して同点に追いついたが、先発の高下耀介が5回裏に2点を奪われて再びリードを許した。しばらく夏の甲子園から遠ざかっていた国学院久我山と、4年連続出場の前橋育英では選手の経験値が違う。ここで前橋育英に流れが傾いたように見えた。

 しかし、国学院久我山は諦めなかった。
 
 6回表に五番・高下のタイムリーで1点を返すと、その裏に1点を失ったものの、3-5で迎えた7回表にツーアウトからの5連打で6-5と逆転。8回表にも1点を加えて競り勝った。

 前橋育英のエース・梶塚彪雅(ひょうが)は、群馬大会で全5試合に先発し、40イニングを投げてわずか4失点。その好投手を国学院久我山打線の粘りと勝負強さが上回り、春夏を通じて6回目の出場となった甲子園で初勝利を挙げた。




甲子園で初勝利を挙げた国学院久我山

 この試合で”記録に残らない好プレー”を見せたのが、国学院久我山の背番号17のキャプテン、中澤直之だった。

 ピンチではマウンドまで伝令に走り、攻撃のチャンスでは三塁コーチャーズボックスから的確な指示を送った。7回表のチャンスでは、打席に立つ双子の弟・中澤知之のすぐ近くまで駆け寄ってアドバイスを伝えた。

 中澤直之が言う。

「前半のピンチでマウンドに伝令に走ったときには、『1点は取られても大丈夫』と伝えました。みんなは落ち着いていたので、不安はありませんでした。

 僕たちの代が最上学年になった時に、『甲子園で校歌斉唱する』という目標を掲げたんです。西東京大会の優勝に浮かれることなく、全員で目標を再確認しました。エースの高下は『1回戦で勝たなかったら、甲子園に来た意味がない』とまで言っていましたね。今日の試合では、彼が『勝ちたい』という気持ちをピッチングで表してくれました」

 西東京大会の5回戦以降、4試合を3失点以内で完投してきた高下は、制球に苦しみ9安打を打たれながらも大量失点を許さなかった。

 そんなエースの奮闘に応えた打線は15安打を放ったが、それを得点に結びつけたのは積極的な走塁だ。常に次の塁を狙う走りで、前橋育英の4つの失策を誘発する形になった。三塁コーチャーとして何度も腕をぐるぐる回し、ランナーを導いた中澤はこう話す。

「(国学院久我山も)守備ではミスもありましたが、全員で際どいところをしっかり守ってアウトを取りました。積極的な走塁は、このチームになって徹底していることのひとつ。タイムリーヒットを打った時には、打者が次の塁を狙うことを心がけています。それは、普段の練習や練習試合、西東京大会の時からずっとやっていたこと。常に全力疾走をすることで、相手にプレッシャーをかけられたんじゃないかと思います」

 凡打しても全力で一塁を駆け抜け、フライでも二塁まで走ることを徹底してきたという。ほかにも、中澤がキャプテンになってから言い続けたことがある。

「チーム全員に、それぞれ役割があるということ。試合に出る選手は試合に集中する。スタンドで応援してくれているメンバー外の選手は全力で応援する。僕なら三塁コーチャーの働きをするということですね。それぞれの役割を、普段の生活、練習から意識するように言ってきました。『自分の役割を全力で果たし切ろう』と。このチームは、自分の役割に徹することができていると思います」

 中澤自身、西東京大会では選手としての出場なし。この日もそうだった。もちろん、『試合に出たい』という気持ちはある。

「でも、勝つことが最優先なので。自分の役割に徹することだけ考えています。練習ではバッティングピッチャーをしたり、選手の表情を見ながらコミュニケーションをとったり。試合では、三塁コーチャーとしての判断を大切にしています」

 この試合では”有形無形の力”が国学院久我山の選手たちの背中を押した。アルプススタンドに陣取った大応援団も、得点のたびに大歓声を送った。

「ものすごい応援をしていただいて、本当に心強いです。『甲子園で校歌斉唱する』というのは、選手だけでなく、卒業生、関係者の方々の願いでした。そういう思いがスタンドから僕たちのところまで届きました。応援の力ってすごいですね」

 国学院久我山の2回戦の相手は、敦賀気比(福井)。またも優勝経験(2015年春)のある強豪が相手だが、全力疾走を貫いて再び校歌を歌うことができるか。