試合直前の囲み取材の最中、ある記者が「最速は158キロ……?」と遠慮がちに尋ねると、奥川恭…

 試合直前の囲み取材の最中、ある記者が「最速は158キロ……?」と遠慮がちに尋ねると、奥川恭伸(やすのぶ)は眉ひとつ動かさずに「153です」と訂正した。

 すかさず、「あの『158』という数字は『なかった』ということでいいのですか?」と確認すると、奥川はこちらを真っすぐに見て「はい」とうなずいた。

 7月21日、石川大会3回戦の金沢大付戦に登板した奥川は、石川県立野球場のスピードガンで「158」の数字を点灯させた。しかし、バックネット裏に陣取ったスカウト陣の構えたスピードガンとは全体的に5キロほどの誤差があり、その精度には疑問符がついていた。



旭川大高戦で貫録のピッチングを見せた星稜のエース・奥川恭伸

 とはいえ「158」という数字が表示されたのは事実であり、一部では「奥川は158キロを投げた」と報道されている。それでも、本人が「158キロは出ていない」と明確に否定するのは訳がある。それは石川大会では本調子とは言えないほど、奥川の状態が悪かったからだ。

 奥川に石川大会当時の「ボールへの指のかかり具合」を聞くと、「うーん……」とうなってからこう続けた。

「まあ、ベストからは全然ほど遠い、よかったイメージが浮かばないですね」

 奥川は石川大会で24回を投げてチームを優勝に導いたものの、ホームランを3本も浴びている。本人は「ホームランは野球につきものですし、打たれても次のバッターを抑えるために気持ちを切り替えればいい」と語ったが、状態がよければこれほど長打を浴びることは考えにくい。

 甲子園出場を決めて大阪に入ったあとも、状態はなかなか上がらなかった。しかし、試合前日となる8月6日、練習中のブルペン投球で光明が見えたという。

「ブルペンに入って、いい感覚がつかめました。リリースのときに指にボールがかかった感覚が少しずつ出てきているので、その前の2日間に比べると断然よくなってきています」

 旭川大高との試合直前、室内練習場での軽いキャッチボールの段階で「今までと比べるといいな」という感触があったという。甲子園の一塁側ブルペンでも納得のいくボールがあり、「不安がなくなって気持ちが楽になりました」と精神的にも感覚的にもいい状態で試合を迎えられたのだった。

 立ち上がりの奥川の投球は、非の打ちどころがまったくなかった。

 旭川大高の1番打者・佐藤一伎(いつき)を自己最速タイとなる153キロで空振り三振。2番の持丸泰輝は糸を引くような151キロのストレートで見逃し三振。3番の菅原礼央(れお)にはスライダーでカウントを整え、最後も外角への131キロのスライダーで空振り三振。

 試合後、奥川は初回の三者三振についてこう振り返っている。

「立ち上がりが一番大事なので、意図的にギアを上げました。初回のピッチングが今日の9イニングで一番よかったと思います」

 奥川が150キロ台のボールを投げるたびに、スタンドからは大きなどよめきが起きた。恐るべきことに、奥川はこの観衆のリアクションすら意図的に「援軍」に換えていたのだと言う。

「どよめきが起きたことはすごく楽しいなと感じましたし、球場の雰囲気を変えることは大事だと思っているので。雰囲気をこちらに持ってこられたのはよかったです」

 結果だけを見れば、9イニングを投げて被安打3、奪三振9、与四球1の完封勝利。球数はわずか94球だった。しかし、奥川は「勝ち切れたことに関してはよかった」と語った以外は、反省の弁ばかりが口をついた。

「今日は風に助けられました(旭川大高・持丸が9回に放った大飛球が強い逆風に戻されてライトフライになったことに対して)」

「7~8割の力で投げるときのボールをもう少しコースに投げないと痛打されるので」

「変化球が抜けていたので、次は精度を高めてコントロールよく投げられたら」

「(「今日の自分の投球に点数をつけるなら?」の問いに)チームとして勝てたのはよかったですけど、内容だけ見たらまだまだなので。50点くらいですね」

 たしかに完封したとはいえ、旭川大高打線にバットの芯でとらえられるケースも目立ち、奥川が言うように反省点の残る投球だったのかもしれない。

 しかし、圧巻の初回を終え、2イニング目以降の要所をピシャリと抑える投球も、じつに奥川らしいと感じるのだ。

 奥川のピッチングを見ていて頭に浮かんだのが、「上善水如(じょうぜんみずのごとし)」という言葉だった。水のようにしなやかに、水のように強く。打者の顔色を見て、気配を肌で感じながら投球を有機的に変化させていく。それが奥川という投手なのだ。試合前には、こんなことも語っている。

「投げてみないとわかりませんし、相手の反応を把握して、落ち着いて修正できれば。投げながら、バッターの様子を伺いながらボールを投げられればと思います」

 速いボール、凄みのあるボールを投げるポテンシャルにかけては、今年のドラフト候補のなかでは佐々木朗希(大船渡)を超える存在はいないだろう。しかし、野球は凄いボールを投げた者が勝てる競技ではない。投手としての「勝てる能力」にかけては、奥川が今年のドラフト候補のなかでずば抜けている。

 そして試合後、奥川と小学4年時からバッテリーを組む捕手の山瀬慎之助は恐るべきことを口にした。

「本当はもっといろんなパターンがあるんですけど、それを使わずに最低限の力でゼロに抑えるピッチングをしたのはすごいと思います」

 つまり、奥川はこの日、手の内のすべてをさらけ出したわけではなかった。まだ大会中であり、戦略上のことなので詳述は避けるが、きっと次戦以降にその答えを見せてくれるだろう。

 まだまだ、奥川の夏は続きそうな気配が漂ってきた。