優勝を逃した昨夏の決勝から1年。抜けるような青い空の下で、サックスブルーのユニホームを纏った選手たちの笑顔が弾けた。鈴木勝大監督は1年越しの歓喜に安堵の表情を浮かべ、2年生CBの奈良坂巧は人目を憚らずに号泣。昨年の悔しさを晴らすかのよ…

 優勝を逃した昨夏の決勝から1年。抜けるような青い空の下で、サックスブルーのユニホームを纏った選手たちの笑顔が弾けた。鈴木勝大監督は1年越しの歓喜に安堵の表情を浮かべ、2年生CBの奈良坂巧は人目を憚らずに号泣。昨年の悔しさを晴らすかのように、桐光学園に関わる誰もが感情を爆発させた。



初の日本一に輝いた、桐光学園

 沖縄で開催された令和最初のインターハイ。1年前、三重の地でどん底に突き落とされた桐光学園が冬の選手権を含めて初となる日本一を勝ち取った。誰もが喜びに浸った優勝。だが、1年次から10番を背負ってきた西川潤はその脇で冷静にピッチを眺めていた。

「正直優勝してホッとしています。『ヨッシャー』というよりも、優勝できてよかったという気持ちがありましたね」

 1年前、西川は失意のどん底にいた。2年生エースとして初めて挑んだ夏の檜舞台。左足を駆使したドリブルと類い稀な決定力で観る者を唸らせ、準々決勝では4人抜き弾を含むハットトリックの大暴れで一気に評価を高めた。

 準決勝でも1ゴール。優勝すれば、”西川の大会”と言われていたに違いない。だが、サッカーの神様は最後の最後に微笑んでくれなかった。山梨学院との決勝。自身のゴールで1点を先行するも、後半アディショナルタイムに失点。延長戦で逆転されて、優勝を逃した。

 この時、自らのシュートミスがGKにキャッチされ、カウンターから同点弾を決められる要因となった。試合後、自責の念に駆られたのは言うまでもない。

「自分の得点で勝利ができれば、いちばんいい。とにかくチームを勝たせる選手になりたい。あの形で決めていればと思いますし、あそこから失点した。それは何度も思い出してしまいます。あとは決めるだけだったのに、うまく弾かれてしまったので悔しい……」

 あまりにも残酷な結末。自らのミスで優勝を逃した苦しみは当人にしかわからない。だが、その悔しさを成長のエネルギーに変えられたからこそ今がある。

 昨年の決勝後、鈴木監督は西川に向けて、厳しくも愛情に溢れる言葉を送っていた。

「小川航基(桐光学園出身、現水戸)にも同じような言葉を掛けましたが、自分の放つシュートがアジア予選を勝ち抜く1本になるかもしれない。西川は日本の未来も背負ってプレーをしている。そういう1本で景色を変えるプレーを彼には学習してほしい。自分自身で優勝や代表権を勝ち取れるような選手に成長してほしい」

 高校2年生の若者に送るメッセージとしては、少々重いかもしれない。だが西川は、その意味を理解し、脚光を浴びても、心が折れそうな敗戦を喫しても、ブレずにやり続けて結果を出すと心に決めた。

 以降、普通の高校生では味わえないような日々の中で懸命にもがき続けてきた。

 同年の秋に出場したAFCU-16選手権。西川は翌年のFIFAU-17ワールドカップの出場権をかけた国際舞台で、準決勝まで無得点と苦しんだものの、ファイナルでは値千金の決勝ゴールを決めて大会MVPを獲得した。ところが、続く冬の全国高校サッカー選手権では1回戦で大津に0−5で大敗。今度は鼻をへし折られた。

 1月下旬にはレバークーゼンのU-23チームの練習に参加。課題も感じたが、武器である個人技は十分に通用する手応えを得た。そして、2月にはセレッソ大阪への来シーズン入団が内定した。すぐに2種登録されると、3月にはルヴァンカップでJリーグデビューし、4月にはJ1のピッチも経験。注目度は右肩上がりで高まっている。

 期待に応えられる時もあれば、結果を出せない時もある。そうした難しい状況に置かれ、自分を見失ったとしても不思議ではない。それでも、地に足を着けて、戦い続けた。

 飛び級で参戦した5月のFIFAU−20ワールドカップもそうだった。西川は思うようなプレーができず、世界との差を痛感。とりわけ韓国との決勝トーナメント1回戦では相手と競り合った際、ハンドを主張できずにVAR(ビデオ・アシスタント・レフリー)を取ってもらえなかったのは記憶に新しい。大会後、批判的な声も届いたが、西川は動じなかった。

「言われるのは仕方がない。A代表の人はもっと言われているから気にしていません」



チームを優勝に導く活躍をした西川潤

 もちろん、責任は感じている。だが、立ち止まっていても何も始まらない。受け入れて、次につなげる。過去に挫折を乗り越えた時と同じように、結果で応えるしかない。

 ブレずに貫いた信念。今回のインターハイでは序盤こそ沈黙したが、準々決勝の西京戦ではアディショナルタイムの勝ち越し弾を含む2ゴール、準決勝の京都橘戦でも終了間際に均衡を破る決勝点を沈めた。

 決勝では自らのゴールでチームを勝たせられなかった。そこは反省点かもしれない。だが、1年間で精神的にタフになって桐光学園を優勝に導いたのは確かだ。

「1年前の決勝はとにかく悔しかった。今後プロに行っても、一生忘れられない」

 決勝後の囲み取材で、鈴木監督は最後にこう言った。

「大会を通じて、彼の出来は決して褒められるようなものではないし、彼が目指しているところはこんなものではない」

 横浜F・マリノスのジュニアユースから、ユースではなく、戦う姿勢を身に着けたい一心で自ら挑んだ高校サッカーも残り半年。端正な顔立ちでクール。気持ちが表にあまり出ない場面も多いだけに、「あいつはなんだ!」と批判に晒されることもあるかもしれない。だが、1年前に味わった悔しさはいつも心の中にある。「夏の優勝に満足していてはいけない」と言う西川にとって、夏の日本一は通過点に過ぎない。