2016年のリオ五輪で日本人初の五輪メダリストになるなど、男子卓球界を長らくけん引してきた水谷隼は、来年の東京五輪を最後に日本代表から退くことを表明している。出場が決まれば自身4度目の五輪出場となるが、現時点での世界ランキングは13位…

 2016年のリオ五輪で日本人初の五輪メダリストになるなど、男子卓球界を長らくけん引してきた水谷隼は、来年の東京五輪を最後に日本代表から退くことを表明している。出場が決まれば自身4度目の五輪出場となるが、現時点での世界ランキングは13位で、4位の張本智和、12位の丹羽孝希に続く日本人3番手。来年1月時点のランキング上位2名が選ばれる、シングルスの代表争いで後れを取っている。

「ボールが見えにくい」という目の症状の影響もあり、7月に開催された韓国オープン、オーストラリア・オープン、T2ダイヤモンドはいずれも初戦で敗退した。苦しい戦いを強いられる中、8月から新たにドイツ人のパーソナルコーチを迎えて巻き返しを図る。

 連戦がひと段落した7月31日、水谷は都内で行なわれたイベントに出席。健康的で美しい歯を持ち、活動を通して感動と希望を与えている人物に贈られる「歯が命アワード2019」を受賞し、笑顔を見せた。そんな水谷に、現在の状況や東京五輪にかける思いを聞いた。




4度目の五輪出場を目指す水谷

――現在の自分の状態について、どう自己分析していますか?

「最近の大会での結果にも表れていますが、調子はよくないです。これまでの卓球人生の中でも、一番のスランプと言っていいかもしれません。いろんなところが嚙み合っていないのですが、何より気持ちの部分が投げやりになっていたように思います。連戦の疲労もあり、『試合に勝つ』ということより『もういいや、疲れた』という気持ちが上回ってしまった。僕のよくない部分が出てしまいましたね」

――プレー面に関してはいかがですか?

「日々進化していくプレースタイルや技術に、僕が追いつけていない。同時に、自分が30歳になって『弱くなっているな』とも感じています。以前は絶対にやらなかった凡ミスが増えているんです。フッと気を抜いて、トップ選手でいるためにはやってはいけないプレーをしてしまうことも多くなり、『昔だったらこんなプレーをしなかったのに』と思うことがありますね」

――8月からドイツ人のパーソナルコーチがつくことが、状況を打開するきっかけになるかと思います。そのコーチはどういった方なのでしょうか。

「僕が10代の頃にドイツに留学していた時のチームメイトで、ダブルスを組んでいたこともあります。年齢は僕よりも7歳くらい上。彼は選手としては強くなかったですけど、卓球に対する情熱が人一倍ありました。日本に帰ってきてからも連絡を取り合っていて、2017年の全日本選手権ではベンチコーチを務めてくれるなど、ずっと僕に情熱を注ぎ続けてくれていたんです」

――正式にコーチ要請をしようと考えたのはいつ頃からですか?

「今年の2月か3月くらいですね。パーソナルコーチに関しては、ずっと前から探していたんですが、日本の卓球界はそういうコーチの人数が少ないんです。みんな別の仕事を持っていて、自分に100パーセントの力を注いでくれる人がなかなか見つけられず、半ば諦めていました。それでも、『強くなるためには彼の力が必要だ』と強く思うようになって、コーチをお願いしたら快く引き受けてくれた。勤めていた卓球ラバーの製造工場を辞めてまで日本に来てくれたので、感謝しかありません」

――水谷選手は今年6月のジャパンオープン後に、当時66キロあった体重を8月までに60キロまで落とすという前言をしました。それもコーチと前もって話をしていたのでしょうか。

「いえ、それは僕個人で決めたことです。厳しい目標を立てて自分を追い込みたかったので。あと2.5キロくらい落としたいんですが、なかなか体重が減らなくなってきました(笑)。脂肪を減らしてプレーにキレを出すことも狙ってのことで、一度60キロに達したら、今度はパワーをつけていこうと思います。

 そこは、コーチがフィジカルトレーニングで厳しく追い込んでくれるでしょう。彼は指導者の経験がありませんが、そういったフィジカルトレーナー、コーチングもできますし、いい練習相手にもなる。精神的な支えにもなるので”ひとり4役”ですね」

――コーチと共に再出発を図る中で、8月29日にはTリーグの2年目のシーズンが開幕します。昨シーズンは木下マイスター東京でリーグの初代王者となりましたが、振り返っていかがですか?

「開幕戦とプレーオフファイナルは約5000人の観客動員があり、木下については普段の試合でも1000人を超える方が見に来てくれたので、すごくやりがいを感じました。一方で、地方会場では観客数が少ないこともありましたから、もっと興味を持ってもらえるように選手もいいプレーをしないといけない。他には、照明が暗かったり運営がうまくいかなかったりすることもありましたが、シーズン中に徐々にクリアしていきましたから、2年目はよりいいリーグになるんじゃないかと思っています」

――チームメイトとして戦った張本選手の印象は?

「張本とは年齢がひと回りくらい違うんですけど、自分に対しても遠慮はないです(笑)。本当に卓球が好きで一途。言い方は悪いかもしれませんが、それ以外はチャランポランというか(笑)、私生活で悩みを感じさせません。だからこそ卓球に集中できるんだと思います。プレーも成長していますけど、何より体が大きくなって筋肉がつき、世界で戦える体になってきたなと感じます」

――今シーズンは、丹羽選手(元琉球アスティーダ)も木下に加わり、日本のトップ3が揃う盤石の布陣となりましたね。

「丹羽が木下に入ったことで、『絶対に木下が優勝だ』という見方がより強まったでしょうね。でも、昨シーズンも絶対的な優勝候補に挙げられながら、実際には紙一重の試合が多くて、ファイナルもギリギリの戦いでした。”勝って当然”というプレッシャーも大きくなりますが、それを周りに悟られないようにスマートに勝つのが”強さ”だと思っています。そんなふうに勝利を重ねて2連覇できるように、僕も成長しないといけませんね」

――昨シーズンの途中には、「ここ1年、ボールが見えない」という衝撃の発言もありました。とくに観客席が暗い会場で、コートを囲うフェンスにLEDの掲示板があるとボールが見えづらいとのことでしたが、その頃から症状に変化はありましたか?

「変わっていないですね。相手がサーブを打とうと構えた時にボールが消えて、その後にダイヤモンドのように輝いてこちらに向かってくる感じです。だから、常にボールへの反応が遅れるんですよ。それでも勝てるようにスキルを上げていこうと思っていましたが、会場はどんどん観客席が暗く、反対にコートを照らす照明は明るくなっていき、自分にとっての苛酷な環境になっていきました。

 練習でできていたことが試合で出せないことが続いて、これは言い訳になってしまいますが、『この環境ではどうやっても勝てない』とかなり追い詰められていました。それを”ハンデ”と割り切って、サーブでもレシーブでも何でもいいから、状況を打開できるような術を新しいコーチと見つけて上を目指したいです」

――東京五輪では、フェンスにはLED看板は設置せず、に「紅色にする予定」という発表もありましたが。

「そこが僕のモチベーションになっています。自国開催ということもあって、僕の声も届いているでしょうし、そういう配慮をしてくれると信じている。もし違う国での開催で、スポンサーとの関係もあってLEDの掲示板を使用せざるを得ないとなっていたら、僕はすでにオリンピックを目指していなかったと思います」

――世界ランキングを上げるために重要なワールドツアー、その先にある五輪出場に向けて、意気込みを聞かせてください。

「シングルスで五輪に出場するために、張本か丹羽を(世界ランキングで)上回らないといけないので、この8月から12月までのワールドツアーで全力を尽くします。優勝を意識せず、いかにランキングを上げられるかだけを考えて、やれるだけのことをやりたいと思っています」