写真:大島祐哉(木下マイスター東京)/撮影:伊藤圭「大学は人生の夏休み」日本の大学生はしばしば、こう揶揄される。それはスポーツの世界でも同様だ。高校までの厳しいスパルタ指導から解放され、大学生活で自由を手に入れると競技へのモチベーションや練…

写真:大島祐哉(木下マイスター東京)/撮影:伊藤圭

「大学は人生の夏休み」

日本の大学生はしばしば、こう揶揄される。それはスポーツの世界でも同様だ。

高校までの厳しいスパルタ指導から解放され、大学生活で自由を手に入れると競技へのモチベーションや練習量が落ちていく選手が多い。

ただ、この男は違った。

男の名は、大島祐哉。

京都・東山高校から早稲田大学へ進学した大島は4年間で急成長。高3のインターハイではベスト32止まりだった大島は、大学4年次の2015年から5年連続で世界選手権の日本代表に選出され、2017年大会では森薗政崇とのダブルスで日本勢48年ぶりとなる銀メダルを獲得するなど、世界のトッププレーヤーにのし上がった。

幼少期からの才能が物を言う卓球界において、大島の“遅咲き”のキャリアは異彩を放つ。卓球アスリート随一のフィジカルを誇る大島は現在、Tリーグ・木下マイスター東京に所属し、プロ卓球選手として活躍する。

そんな大島とともに、躍進の原動力となった大学時代について振り返った。

ライバルを倒すべく練習漬けの大学生活




写真:大島祐哉(木下マイスター東京)/撮影:伊藤圭

――現在、プロ卓球選手として活躍されていますが、キャリアを振り返ると特に早稲田大学の4年間でグンと伸びた印象があります。どのような大学生活だったのでしょうか?
大島祐哉(以下、大島):練習、練習の日々でしたね。平日はオフの日以外は、午前中に授業を終えて、2時ぐらいから夜9時頃までほぼ毎日やっていました。

――日本は昔から大学生になると自己管理ができなくて弱くなる、とも言われます。なぜ大島選手はそこまで練習にのめり込めたのでしょうか?
大島:ライバルたちの存在です。僕らの頃は学生が凄く強かった。同期で吉村(真晴)君もいましたし、その下に丹羽、町、吉田、有延。さらに下に森薗(政崇)や田添健汰がいて、上にも平野(友樹)さんや上田仁さん。近くにライバルが多かった。そのおかげで刺激が多く、4年間とても充実していたと思います。

――お名前が挙がった全員が日本代表や後にTリーガーになる選手ばかりですね。そんなライバルを倒すためにどんな練習をされていたのですか?フィジカルが日本一とも言われていますが、長所を伸ばす練習が中心だったのでしょうか?
大島:どちらかというと逆です。最初にやったのはどうしたら少しでも台から下がらないかという所。その次は、バックハンドに自信が無かったので、どのパターンの時にバックを使ってどのパターンの時に使わないか。

とにかくその時の弱点を克服するための練習をやりこんで試合で試す。そして見つかった新たな課題をまた練習。その繰り返しでした。

悔しかったのは“蘇州”




写真:大島祐哉・森薗政崇ペアは2年越しのリベンジを果たし、世界選手権ドイツ大会で銀メダルを獲得した/提供:なかしまだいすけ/アフロ

――急成長の大学4年間の中で一番覚えている瞬間は?
大島:やっぱり蘇州ですね。ダブルスのあの一瞬、10-8リードで取れなかったところ。




写真:大島祐哉が最も印象に残る瞬間と語る世界選手権蘇州大会での敗戦/提供:ロイター/アフロ

――あの一瞬とは、2015年の世界卓球蘇州大会のメダル決定戦、森薗選手と組んだダブルスで中国の許昕(シュシン)・張継科(チャンジーカ)ペアにマッチポイントを握りながらも逆転負けを喫した試合ですね。
大島:他にも、2015年中国オープンで馬龍(マロン)に(ゲームオール6-2から逆転で)負けたところか、2016年の世界選手権団体決勝で張継科に負けたところ。大学4年間だとこの3試合が鮮明に思い出されます。

――3試合いずれも中国を追い詰めながらも勝ちきれなかった試合ですね。勝った試合よりも悔しかった試合の方がインパクトが強いものですか?
大島:勝った喜びって一瞬なんですよ。でも負けた悔しさって長い。その悔しさの中から練習をやろうという気持ちが出てきますね。色々負けて敗因を考えはしますけど、結局答えはわからない。いろんな人にあの場面、ああしとけば、こうしとけばって言われますけど、同じ場面を迎えることは絶対できないわけですよ。そこに戻ることはできないし、答えは分からない。だから闇雲に練習するしかない。

――その結果、2015年の蘇州ではメダル決定戦で悔しい思いをして、2年後のデュッセルドルフでは銀メダルという結果を残されています。
大島:蘇州で負けて、大学を卒業してからの2年間、森薗君といろんなことを積み重ねた結果があのダブルス世界2位に繋がったかなと思います。やっぱり自信がありました。世界選手権で第1シードでしたし、ワールドツアーに出て優勝することもかなり多かった。中国ペア以外に負けることの方が少なかった。

――ここまで、大学4年間での急成長と卒業後のさらなる進化について一緒に振り返ることが出来ました。次回はプロ卓球選手の生活や、プレー中の戦略的思考についてもお聞かせください。

文:山下大志(ラリーズ編集部)