トロロッソ・ホンダが表彰台に立った。チームにとっては2008年イタリアGP以来、実に11年ぶり2度目、そしてホンダとタッグを組んでから2年目にして初の表彰台獲得となった。 雨で大荒れとなったレース。中盤の46周目にセーフティカーが離れ…

 トロロッソ・ホンダが表彰台に立った。チームにとっては2008年イタリアGP以来、実に11年ぶり2度目、そしてホンダとタッグを組んでから2年目にして初の表彰台獲得となった。

 雨で大荒れとなったレース。中盤の46周目にセーフティカーが離れてレースが再開される瞬間に、ダニール・クビアトだけがピットに飛び込んでドライタイヤに交換した。路面は急激に乾き、1周後にはほぼ全車がピットインして後を追ったが、この間にクビアトは3位に浮上することに成功したのだ。



巧みなレース戦略で3位表彰台を獲得したダニール・クビアト

「ブラックコメディーのホラー映画って感じだったね。途中、『もう僕のレースは終わったな』と思った場面もあったけど、レース中盤になってまた復活した。(45周目に)誰もピットに飛び込まなかったのを見た瞬間、これは僕らに流れが来ているなと思ったよ。

 実際、そのとおりになったし、3位という結果に大満足だ。信じられないくらい、ジェットコースターみたいなレースだったよ。まさに僕のキャリアみたいな感じだね(笑)!」

 デビュー2年目にしてトロロッソからレッドブルに昇格したクビアトだったが、焦りから精神的な安定性を欠いた。翌年途中にはマックス・フェルスタッペンとトレードという形でトロロッソへ降格となり、その後も精神的安定を取り戻すことができず、翌シーズン途中で解雇された。

 しかし、フェラーリでシミュレーター開発ドライバーとして1年を過ごし、一度はあきらめかけたF1のシートを今季、再び与えられてパドックに戻ってきた。そのクビアトは見違えるように、精神的に成長していた。

 その成長ぶりが、ドイツGPのような荒れたレースで遺憾なく発揮されたのだ。

「彼は多くを学び、大きく成熟したよ。今日も長いレースになることを見越して、混乱に巻き込まれず、他車と不用意に争うことはせず、左フロントタイヤをセーブすることに集中していた。そして、一度たりともミスを犯さなかった」

 そう語るフランツ・トスト代表は、早くからクビアトの才能と能力を高く評価していた人物のひとりだ。精神的な不安定さから成績を残せず解雇されたが、本来の実力さえ発揮できればクビアトは優れた結果を残すことのできるドライバーだと、常々言い続けてきた。

「『ドライタイヤに交換する準備はできているか?』と無線で尋ねたら、走りながら『トラックはもう十分スリックタイヤを履けるくらい乾いてきている』と伝えてきたので、我々も決断を下すことができた。あの決定には、ダニーからのフィードバックが非常に大きな役割を果たしたよ。非常にクレバーなレースをして、いかに成熟したドライバーであるかを証明したね」

 いち早くドライタイヤを履いたクビアトは、セーフティカー先導中にクビアトよりも先にタイヤ交換を済ませて前に出ていたランス・ストロール(レーシングポイント)を余裕で抜き去って2位に浮上し、フェルスタッペンに続いてホンダ勢でワンツー体制を構築した。

 ストロールを抜きあぐねたバルテリ・ボッタス(メルセデスAMG)が57周目にクラッシュしたため、再びセーフティカーが入り、築き上げたギャップはなくなった。それによって、背後に迫ってきたセバスチャン・ベッテル(フェラーリ)を抑え込むことができず3位に下がったが、それでもストロール以下は寄せつけることなく64周目まで力走を見せ続けて、そのままチェッカーフラッグを受けた。

 その間、ホンダもトロロッソとの初表彰台獲得に向けて猛プッシュをしていた。

 ホンダの副テクニカルディレクターで、トロロッソ側の運営責任者でもある本橋正充エンジニアは、興奮に包まれた当時のエンジニアたちの様子をこう語る。

「レースの途中からインターコムのやり取りもテンションがかなり高くなってしまって、『1回ちょっとクールダウンしようぜ』って言ったくらいです(苦笑)。残り10周くらいはプッシュ、プッシュという感じでした。

 普段だったら『もうちょっとパワー出せない?』くらいのやり取りですが、今回は『パワー出すしかないっしょ!』みたいな雰囲気で。まだ走ってるんだから落ち着けって言いました。フィニッシュしてパルクフェルメに止まるまでは、常にデータをチェックしておかないといけませんからね」

 何としてでもトロロッソとともに表彰台を勝ち獲りたかったホンダは、オーストリアGPのフェルスタッペンのようにアグレッシブモードでパワーを捻り出し、クビアトを後押しした。

「オーストリアGPの時とは違う要素ですけど、残り10周くらいで使い始めて、フェラーリが近づいて来てからの残り3、4周はそれよりもさらにアグレッシブなモードを使いました。ワンツーフィニッシュは狙いたかったので、ドライバーも含めてみんながんばったのですが、フェラーリがあまりに速くて惜しいところで逃してしまいました。

 でも、レーシングポイントに抜かれる気はしていませんでした。もしミスなどで抜かれても、抜き返せるだけの速さはあると自信は持っていました」

 表彰台に駆けつけたトロロッソのスタッフたちは歓喜し、本橋エンジニアもつい目頭が熱くなった。

「トロロッソとやってきて、『本当にやっとこの瞬間が来た』という思いはあったし、我々もF1に復帰してからなかなか思いどおりにいかなくて苦労してきたので。難しいコンディションのなか、頻繁に車体やパワーユニットのセッティングを変える忙しいレースでしたけど、表彰台に立てて今までの苦労と今日の苦労が報われたなと。ホンダのマークがふたつ、表彰台に乗っているというのも感慨深かった」

 2017年の開幕を前に、マクラーレンとの関係が絶望的に冷え込んでいたホンダは、交わしていたザウバーとの供給契約が白紙となった。マクラーレンからも契約更新に向けて受け容れがたい条件を提示され、7月には翌年以降の供給先を失ってF1撤退の危機に直面した状態にあった。同時期にトロロッソから受けたオファーにも、経営上の都合からすぐには応じられず、8月の時点では一度断わりを入れたほどだった。

 それでもトロロッソは、ホンダの問題解決を待ち続けてくれた。そのおかげで、マクラーレンとの交渉が物別れに終わった後、9月という極めて遅い段階にもかかわらず、トロロッソという受け皿があってホンダはF1に残ることができた。

 オーストリアGPの初優勝時に田辺豊治テクニカルディレクターがトロロッソへの感謝の念を述べていたのは、そんな背景があったからだ。今回の表彰台獲得は、レッドブルの優勝よりもうれしいと述べた。

「去年、トロロッソとタッグを始めて、いろいろ準備をしてレースで学び、一緒に成長させてもらった。それがなければ、レッドブルとの関係もなかったと思っています。そういう意味では、マックスの優勝もうれしいですが、それにまったく劣らないか同等以上にトロロッソの表彰台はうれしかったです」

 そしてトロロッソ側もまた、ホンダを信頼し、感謝の念を抱いている。

 レッドブルと組むことでホンダはさらに成長し、その成長がトロロッソに恩恵をもたらしてくれる。常々そう言い続けてきたトスト代表の言葉どおりになった。

 チームにとって実に11年ぶりの表彰台を獲得した直後だというのに、トスト代表の口から飛び出してきたのは、ホンダへの感謝と賞賛の言葉だった。それも、日本語で。

「この表彰台はチームが大きく前進していることを証明するものだが、その中心的な役割を果たしたのはホンダパワーだ。そのパワーが我々に大きな前進をもたらしてくれたんだ。

 この2年間、ホンダとともに進めてきたプログラムは非常に順調に進んでいるし、最初にタッグを組んだ時点で私はホンダの人たちに、『2019年には勝ちますよ』と約束した。もちろん、トロロッソとではなくレッドブルでの勝利だが、我々としてもこうして表彰台を獲得できたことは非常にうれしい。ドウモ、アリガトウゴザイマス、ジャポーネ!」

 互いに信頼し合い、互いに高め合い、互いに感謝し合う――。

 レッドブルとホンダの関係とはまた違った次元で、トロロッソとホンダはこのうえなく、すばらしい関係を築き上げている。「トロロッソがいたからホンダはここまで来られた」と言う田辺テクニカルディレクターの言葉は、まさに嘘偽りのない真実だ。そしてトロロッソもまた、11年ぶりの表彰台を獲得し、ホンダのおかげでチームとして次のステップに進もうとしている。

「後半戦にはホンダのアップグレードも入るし、我々自身も新しい空力パーツを投入していく。そして、ふたりのすばらしいドライバーもいる。だから我々は後半戦に向けて、前向きに期待しているんだ。昨年よりも上、チャンピオンシップで5位か6位を狙っているよ」(トスト代表)

 F1の世界において稀にみる清らかで情熱的な関係が、今シーズン後半戦にどのような進歩を遂げるのか楽しみだ。