最初に断っておきたいが、現時点で「井上尚弥(大橋ジム)vsルイス・ネリ(メキシコ)の話題でアメリカのファンが盛り上がり始めている」と言うのは大げさすぎる。アメリカでは、とくに軽量級への関心は依然として大きくない。井上が参戦しているワー…

 最初に断っておきたいが、現時点で「井上尚弥(大橋ジム)vsルイス・ネリ(メキシコ)の話題でアメリカのファンが盛り上がり始めている」と言うのは大げさすぎる。アメリカでは、とくに軽量級への関心は依然として大きくない。井上が参戦しているワールド・ボクシング・スーパー・シリーズ(WBSS)というトーナメントも、存在を認識しているのは一部のマニアだけだ。



これまでに獲得した5本の世界チャンピオンベルトを肩にかける井上

 ただ、それでも「井上vsネリ」がファン垂涎の一戦として語られることは、これから徐々に増えていきそうな気配がある。

 その理由として、井上がすでに全階級を通じても最高レベルの実力者として認められていることが挙げられる。WBSSのことは知らなくても、「”ナオヤ・イノウエ”の名前を聞いたことがない」というボクシングファンは少ないだろう。同時に、米有力プロモーターのひとつであるPBC(プレミア・ボクシング・チャンピオンズ)と契約して以降、ネリが強さを見せつけているのも大きい。

 現地時間7月20日、ラスベガスのMGMグランドガーデンアリーナでの試合もそうだった。マニー・パッキャオ(フィリピン)vsキース・サーマン(アメリカ)という注目カードの”アンダーカード”で行なわれた最新試合で、ネリは元王者のファン・カルロス・パヤノ(ドミニカ共和国)を相手に、9回KO勝ちを飾った。

 WBSS準決勝で、井上が初回でKOしたパヤノに後半まで粘られた姿を見て、「ネリは井上レベルではない」と感じた人も多かっただろう。だが、バンタム級の選手としては、やはりパワーと馬力はハイレベル。パヤノを悶絶させるフィニッシュパンチとなった左ショートボディも迫力があった。

「早く倒したかったけど、俺は長いラウンドも戦えて、(終盤にも)相手を倒せることを示せた。ディフェンスもいいし、アジャストメントができることも示せたはずだ」

 ネリの試合後の言葉が示すとおり、後半までラウンドを重ねても”ネリ危うし”という印象はなかった。このメキシカンには井上ほどの力はないとしても、IBF王者ゾラニ・テテ(南アフリカ)、WBC正規王者ノルダン・ウバーリ(フランス)、WBC暫定王者・井上拓真(大橋ジム)らとともに形成する、”バンタム級第2グループ”ではトップの実力を有しているのは確かだ。

 井上が下馬評どおりに、今秋に予定されているWBSS決勝でノニト・ドネア(フィリピン)を下した場合、”その後”の対戦相手候補の中でもっとも大きな話題となるのはネリに違いない。

 WBC統一戦の形で今秋にも挙行される、ウバーリvs井上拓真の勝者にネリが挑戦し、それに勝てば”メキシコの悪童”は再びタイトルホルダーになる。そのあとに井上尚弥との統一戦が実現すれば、アメリカでもビッグビジネスになる。とくに、ネリが井上弟に勝って兄と戦うという流れになった場合、”井上尚弥による弟のリベンジマッチ”は、まるでハリウッド映画のような因縁の戦いになるだろう。

「日本で悪行を繰り返したネリを認めたくない」「ビッグファイトのチャンスを与えるべきではない」という日本のファンの心情は十分に理解できる。井上と、その陣営が同じ思いだとしたら、その姿勢がリスペクトされてしかるべき。筆者も「ネリと戦うべき」と提言する意図はない。

 しかし一方で、”日本リングから追放された”というネリのヒストリーも、米リングでの井上戦を考えた場合には、興行面でプラスに働くことは指摘しておきたい。因縁の対決に興味を抱くのは、日本もアメリカも同じ。井上がアメリカでスターダムに躍り出るもっとも手っ取り早い方法は、悪役ネリを退治することなのである。

 それでも、複数の関係者の話を総合すると、井上とネリの対戦が少なくとも2020年中に実現する可能性は高くなさそうだ。

 その要因として、まず所属プロモーションの問題がある。井上がWBSS決勝後、噂どおりにトップランク社と契約するならば、PBC傘下のネリとのマッチメイクは難しくなる。もともとのネリのプロモーターであるザンファー・プロモーションズとトップランク社の関係が良好なのは救いだが、PBCのアル・ヘイモン、トップランク社のボブ・アラムというプロモーターの”2大巨頭”が不仲なのは痛い。

 そして最大のネックとなるのが、やはりネリの素行の悪さだ。日本のファンはよく知っているだろうが、ネリの規律のなさはアメリカでも知られ始めている。7月20日のパヤノ戦でも、1度目の計量で0.5パウンド(約230グラム)オーバー。1時間後の再計量でパスしたものの、再び関係者は肝を冷しただろう。

 パヤノ戦を取材した『ハンニバル・ボクシング』のショーン・ナム記者によると、ザンファー・プロモーションズのある関係者は、次のようにフラストレーションを露わにしていたという。

「ネリはとても頑固で、キャンプでも自分のやりたいようにやる。練習、食事も自分の望むまま。メキシコ人選手が体重調整のために栄養士を雇うことなどありえず、(とくにネリは)取り扱いが非常に難しい」

 味方陣営にまでそう酷評されてしまうようであれば、今後、ビッグイベントの顔役になることは難しいだろう。

「問題児が大舞台に立つべきではない」といったような感情論ではない。ビジネス色が強いアメリカのプロボクシング界において、ネリを看板商品にするにはリスクが大きすぎるのだ。

 今回のようにペイ・パー・ビュー(有料コンテンツに料金を支払って視聴するシステム)のアンダーカードならいいが、井上との対戦となれば、軽量級としては高価なカードになる。おそらく中規模興行のメインか、セミファイナル扱い。そんな重要な枠で起用するには、体重超過に罪の意識を感じないネリはあまりにも危険だ。再び大幅な体重オーバーで現れ、興行を滅茶苦茶にされてしまうことも十分に考えられる。

 最近では、4階級制覇王者エイドリアン・ブローナー(アメリカ)も同様の問題を抱えながら、『HBO』、『Showtime』のメインイベンターとして起用され続けた。毀誉褒貶(きよほうへん)の激しいブローナーは常に高視聴率が稼げる人気選手だったからだ。

 しかし、いかに日本との間に因縁が存在し、井上にとって最大級の相手だとはいえ、英語がしゃべれない軽量級選手のネリにそこまでの商品価値はない。興行主側はリスクを冒してまでネリをビッグイベントに起用するとは思えない。そう考えていくと、井上との対戦がアメリカ国内で組まれる可能性は低いと言わざるを得ないのだ。

 才能に恵まれたネリに、規律が伴っていないことは残念だ。外国人選手がアメリカでスターになるためには、周辺階級にライバルがいることが必須。その宿敵はアメリカ人かメキシコ人が望ましい。パッキャオに、マルコ・アントニオ・バレラ、エリック・モラレス、ファン・マヌエル・マルケスのようなメキシカンのライバルがいたのと同じように、井上にもボクシング王国から熱い支持を受けた宿敵がいれば……。

 もちろん可能性が低いからといって「絶対に不可能」ということではないし、1年後にはネリの状況も変わっているかもしれない。しかし、問題児の素行が劇的に変わることは想像しがたいのも事実。だとすれば、やはりネリを今後の井上の”ダンスパートナー”の候補に入れることは得策ではない。本格的な米国進出を望むなら、”ザ・モンスター”はネリ以外のライバルを探し求める必要があるだろう。