きっとあるのだろうな──と思いながら質問してみたら、想像以上に盛りだくさんな答えが返ってきて驚いた。 7月22日、岩手大会準々決勝の久慈戦に大船渡の佐々木朗希は登板しなかった。その試合後、國保陽平監督は佐々木の登板を回避した理由を「総…

 きっとあるのだろうな──と思いながら質問してみたら、想像以上に盛りだくさんな答えが返ってきて驚いた。

 7月22日、岩手大会準々決勝の久慈戦に大船渡の佐々木朗希は登板しなかった。その試合後、國保陽平監督は佐々木の登板を回避した理由を「総合的な判断」と答えた。その判断の中身が知りたくて、國保監督にこう聞いてみた。



岩手県大会4回戦の盛岡第四戦で194球を投げた大船渡の佐々木朗希

── 試合当日に投げさせるかどうかを決める際、本人の言葉以外にどんな判断材料があるのでしょうか?

 すると、國保監督は深くうなずいてからスラスラとこう答えた。

「理学療法士、医師、トレーナーからのアドバイス、あとは球場の雰囲気、相手チームの対策、自分たちのモチベーション。それらを複合的にふまえて判断しています。医師は年間通じて見ていただいている方だったり、親戚であったり、友人であったり。そうした方々からアドバイスをいただいています」

 國保監督は心・技・体のあらゆる方向からアプローチし、複数のフィルターをかけてその日その日で登板できるかどうかを判断しているのだ。

 その前日、佐々木は盛岡第四戦で先発登板し、延長12回、194球を投げ切っていた。試合後の会見では、連戦となる久慈戦での佐々木の起用法を問われた國保監督は「当日のコンディションを見て決めたい」と語っていた。

 だが、多くの野球ファンはこう感じていたのではないか。「本人が『行きます』と言えば、指導者は『本人の意志』と言い逃れができるじゃないか」と。

 指導者から「行けるか?」と聞かれれば、多くの高校球児は意気に感じて「行きます!」と答えるものだ。そうして、今まで多くの投手が取り返しのつかない故障を負ってきた。しかし、大船渡の例をそんな負の系譜に混ぜてしまうことには違和感がある。

 久慈戦の試合前、佐々木は自身の疲労回復について「半分以上は回復している」と判断し、國保監督にも「投げようと思えば投げられます」と意思を伝えている。だが、國保監督は控え投手の大和田健人や和田吟太の状態がいいことも考慮して、佐々木の登板回避を決めている。

 率直に言って、今夏にこれほど佐々木朗希が見られるとは思ってもみなかった。

 初戦(2回戦)の遠野緑峰戦は先発して2イニング(14対0で5回コールド勝ち)。3回戦の一戸戦も先発して6イニング(10対0で6回コールド勝ち)。4回戦の盛岡第四戦は前述のとおり12イニング(4対2で勝ち)。延長戦もあったとはいえ、序盤の3試合で実に20イニングも投げている。

 大会前に私が立てた予想は、「最初の2試合は大船渡にとって厳しい展開にならない限り佐々木は登板しない」というものだった。とくに4回戦以降は5日間で4試合というハードスケジュールを勝ち抜かなければならない。しかも、佐々木は4月中旬の骨密度の検査をした際に「体が未成熟」という結果が出ており、体に無理な負荷はかけられない。大会序盤は佐々木を温存するのが得策のように思えた。

 だが、その見立てはもろくも崩れた。佐々木の投球を数多く見られる喜びを感じる一方で、「今からこんなに投げて大丈夫か?」という不安も覚えた。

 國保監督の采配を批判するつもりはない。とくに一戸戦は佐々木がノーヒット・ノーランの快投を見せたとはいえ、相手打者のスイングは鋭かった。もし佐々木を温存し、一歩間違えていれば無傷ではすまなかったはずだ。そんな強敵をわずか6イニングで倒し、チームに勢いをもたらしたことは名采配だったと言える。

 だが、球数制限の議論が活発化している昨今、高校野球ファン層の「投げ過ぎ」へのアレルギー反応は日増しに大きくなってきている。佐々木が盛岡第四戦で194球という多くの球数を投げたことに批判の声も上がった。

 ただし、球数が少なければそれでいいのだろうか。仮に球数を抑えたところで投球フォームが悪かったり、常に全力で投げ続けたら故障の原因になりうる。盛岡第四戦の試合後、佐々木の投球について國保監督は「力感なく、脱力して投げていてよかったと思います」と評価している。

 一方、佐々木は登板を回避した久慈戦の試合後、こう語っている。

「ひと冬越して体も強くなりましたし、いろいろと学んでベストなコンディションに持っていく方法を実践して、去年とは疲れ方も違います」

 佐々木は長いイニングを投げた翌日、肩やヒジなど特定の部位ではなく、「体全身にハリがくる」と言う。この言葉を信用するなら、佐々木がいかにバランスよく体が使えている証拠と言えないだろうか。

 スポーツ科学の研究者である筑波大の川村卓監督に球数制限について聞いた際、こんなことを語っていた。

「私は甲子園に出るチームよりも、地方大会が問題だと考えています。甲子園に出るような強豪は投手の人数も多いし、すでに故障を防ぐために対策を打っている監督が多いからです。ただ、公立校などさほど強くないチームだと、体に痛みを感じても投げざるを得なくなる。たとえおかしな投げ方でも、大黒柱ともなればなかなか代えられませんよね。そんな選手を守る必要があります」

 川村監督は、國保監督の大学時代の恩師でもある。國保監督は佐々木に体の負担が小さいフォームや強度を追求するよう導き、体をチェックするための判断材料を多数用意し、チームとして複数の投手も育成している。盛岡第四戦の194球だけを切り取って見るのではなく、そこに至るまでの日頃の取り組みをふまえて起用法の是非が問われるべきだろう。

 國保監督は迂闊(うかつ)な発言はしない指導者だ。たとえば投手のケアやコンディショニングの話題が込み入ってくると、必ず「私は専門家ではないのでわかりませんが」と断りを入れる。指導者として、無責任な発言はしたくないという哲学があるのだろう。わからないことは「わからない」と言い、選手と一緒に勉強するために「わかる人」を連れてくる。國保監督とはそんな指導者なのだ。

 高校野球の現状に問題がないとは言えない。とくに地方大会の過密日程は、今後検討すべき課題だろう。各チームの良識と裁量に委ねるには難しい面があるからこそ、球数制限の議論がなされているという現実もある。

 そんななか、与えられた枠組みのなかで選手の将来性を守りつつ、勝利を目指すという意味で大船渡の取り組みは理想に近いのではないか。

 もちろん、夏の戦いは続いている。大船渡の夏が終わり、さらに佐々木の才能を潰すことなく甲子園に出場すれば、そのノウハウは大いに注目されるに違いない。そしてそれが全国に広まれば、日本の野球はさらに成長する可能性を秘めている。