2015年、ラグビーW杯初戦で強豪・南アフリカを破ったことにより、日本では連日その快進撃が報道されました。それから4年。人々の熱狂を掻き立てたW杯が、9月から日本で開催されることをご存知でしょうか。今対談は新入生歓迎号の一面を飾っていただ…

 2015年、ラグビーW杯初戦で強豪・南アフリカを破ったことにより、日本では連日その快進撃が報道されました。それから4年。人々の熱狂を掻き立てたW杯が、9月から日本で開催されることをご存知でしょうか。今対談は新入生歓迎号の一面を飾っていただいた五郎丸歩選手(平20スポ卒=現ヤマハ発動機)に国内でのW杯開催に際し、お話を伺いました。紙面には掲載しきることができなかったラグビーへの思い、大学時代の思い出などをぜひご覧ください!

※この取材は2月27日に行われたものです。

「盛り上がりをしっかり東京五輪に繋げていければ」


笑顔で取材に応じてくださる五郎丸選手

――W杯初戦で南アフリカを破ったことで、文字通り日本代表を取り巻く世界が変わったと思います。注目度や立ち位置が変わるのはどのような体験だったのでしょうか

五郎丸 2019年の日本でのW杯開催は決まっていたので、国内の環境を含めて大きく変えていかなければならないということで始まったチームだったんですけど、初戦がインパクトを残すにはもってこいの相手でしたし、試合展開的にも非常に魅力のあるゲームになったんじゃないかと思います。

――南アフリカ相手に勝利を挙げたことは大きな1勝になったと思いますが、当時のお気持ちを振り返ってみていかがですか

五郎丸 大会を通じての目標はクォーターファイナルであるベスト8まで勝つことだったんですけど、そのためにはまずしっかり南アフリカに勝つということを大前提として置いていましたので、最高のかたちでスタートを切れたのではないかという感じでした。

――その目標とされていたベスト8進出はなりませんでしたが、24年間W杯で勝ち星を挙げられなかった日本が一つの大会で3勝を挙げたという事実は、日本のラグビーにとって1つ上の段階へ進めたということになるのでしょうか

五郎丸 そうですね。日本というチームは本当に参加しているだけのチームというように捉えられてきましたから。エディー・ジョーンズ(前日本代表ヘッドコーチ)を始め、チームの全員があのW杯で結果を残すということだけにフォーカスしていましたが、2012年から始まったチームではあったんですけどヨーロッパ遠征で日本は勝ったことが無かったんです。 ヨーロッパのチームが日本に来たとき、勝ったことはあったんですけど。

――ヨーロッパ遠征の結果はどのようなものでしたか

五郎丸  1年目に我々がヨーロッパへ行った時、初めてヨーロッパ勢に勝った。2年目にウェールズ、3年目にイタリア、今まで日本が手が届かなかったところへ一つずつ階段を登っていっていたんですけど、やはり評価はされなかったですね。ただ、W杯という大会は本当に世界中の人が見ていますし、言い訳のきかない大会でもあるのでそういった所で結果を残して来ることができたというのは非常に良かったのではないかなと思います。

――先ほど「日本は参加しているだけのチーム」というように仰っていましたが、世界からそのように見られていたということでしょうか。それとも日本国内の風潮としてそのようなものがあったということでしょうか

五郎丸 世界からですね。

――世界から対応はどのように感じましたか

五郎丸 セレモニーなんかでも「褒めようがない」というような受け入れられ方でしたね。それが現実でした。

――W杯は前大会までの8大会それぞれ所謂ラグビー強豪国と呼ばれる国で開催されてきましたが、その中で日本で開催される意味はどのように捉えられていますか

五郎丸 これはラグビーだけのことではなく、いろんなスポーツがアジアにシフトしてくる過渡期に来ているんです。人口的に見ても、これからどんどんアジアが伸びていきますし、逆にヨーロッパやアメリカは頭打ちになりつつあるんです。

――確かにそうですね

五郎丸 スポーツではW杯を始めとして色々な大会が開かれていますけれども、盛り上がりは盛り上がりとしてあっても、愛好家の中の一部でしか盛り上がらない。これから競技として発展させていくにはアジアの中での成功というものが、どの競技においても必要になると思います。だからこそ、ことしW杯が来て、来年五輪が来るということを日本だけのものとして捉えるのではなく、スポーツがアジアにシフトしているんだという風に捉えて、アジア代表として大会の成功に向けて動いていかなければならないと思っています。

――ラグビーのW杯、そして五輪と連続して開かれていくことは、どのような影響があると思われますか

五郎丸 4年後はフランスでW杯が開かれたあと、五輪が開かれるというように同じ状況が待っています。まずはしっかり日本が成功させて、フランスにバトンタッチできると、これから先同じような感じで続けていくことができるのではないかと思います。

――W杯では地方の都市を会場とすることより、まさに日本全体が会場となります

五郎丸 五輪は1都市でしか行われません。ですが、ラグビーW杯は会場だけで12都市、ここにキャンプ地を含めるとかなりの数の都市が関わることになります。大会を通して日本全体が盛り上がることになると思いますし、そういった盛り上がりをしっかりと東京五輪につなげていければ、ラグビーW杯の役割は果たせたことになるのではないかと思っています。

「スポーツの良さというものをW杯を通じて伝えていきたい」


在学中も変わらぬスタイルで黄金期のラグビー蹴球部を盛り立てた

――話は変わりますが、五郎丸選手の選手としての転機はどこにあったと思われますか

五郎丸 転機…やっぱり兄の背中を追って高校でラグビーを続けたことですかね。兄がいなければ中学校でラグビーを辞めていたと思いますし。

――ラグビーを辞めようと思っていた要因というのはどこにあったのでしょうか

五郎丸 もともとそんなに熱はなかったんです。父親が消防士をやっていたという理由もあって、僕は当時レスキュー隊になりたかったんです。その夢を持っていたのでラグビーは中学校までと考えていました。

――国体も同じチームで出られていたかと思いますが、お兄さんはどのような存在でしたか

五郎丸 1つしか歳は変わらないんです。小さい時もあまり明確に目標にする選手はいなかったんですが、目の前の兄を追いかけていたという感じですね。

――そうして高校でラグビーを続けたからこそ、早稲田への進学もあったのかと思いますが、大学の4年間はどのような時間だったのでしょうか

五郎丸 高校までは全国大会へ出る時も、もちろん「優勝」という目標はありましたがあまり明確ではありませんでした。そんな中で当時の早稲田は「勝たなくてはならない」チームだったので、常勝という空気がありましたね。その中で僕は1年生の時から試合に出してもらっていたので、とにかく必死になってボールを追いかけていた時間でしたね。

――中学から高校へ行く際には「ラグビーを続けるか迷った」と仰っていましたが、高校から大学へ進む際には迷うことはなかったのでしょうか

五郎丸  高校へいった時点では、これからずっと続けていくんだろうなという感じではありました。

――それは「高校1年生の時から変わらず」ですか

五郎丸  高校1年生の時から大学選手権(全国大学選手権)もずっと見ていましたし、当時は関東学院大の選手とも仲が良くて合宿でもお世話になったりしていたので、こういうチームに入って全国(大会で)優勝を獲りたいなと思っていました。

――大学在学中に印象に残っていることはありますか

五郎丸 大学3年の時に関東学院大に負けたことは大きかったです。僕は在学中に3年生の時の春、そして(大学選手権の)決勝の2回しか負けていないので、もっともっとチームのためにできることがあったんじゃないかと思いました。早稲田というのは本当に優勝しないと何も残らないチームでしたので、だからこそ「らしくない」と言われても4年生の時は自分たちの強さを前面に押し出して戦いました。

――「自分たちの強さを生かした」とはどのようなスタイルでしょうか

五郎丸 BKで勝ちに行くということが伝統的な早稲田のスタイルだったんですが、我々の代は非常にFWが強かったので、FWを全面に押し出して圧倒して勝つ戦術でした。やはり、賛否両論あり、「勝てばいいのか」と言われてしまいますけど、そこは「負ける恐怖心」があったからこそ勝ちにこだわりました。その時の僕たちが出した答えは「勝つことが早稲田だ」ということだったので、それに基づいた信念をもってやっていたのでやり切ったなという感じです。

――トップリーグに進まれてからはかなり忙しかったのと思うのですが、近年は試合に出ながらも各地を回ってラグビー教室に参加されていたり、取材を受けていたりしていただいていますね

五郎丸  「日本でW杯がある」ということでラグビーを今まで知らなかった方に、メッセージを伝えていくことが仕事だと思っています。子ども達にラグビーを教えるのもそうなんですけど、多くのメディアさんを通して全くラグビーに関係のない方にPRをしていくということも僕にしかできないことだと思っています。

――15年のW杯以降、ラグビー教室が開かれる頻度は高くなってきているのでしょうか

五郎丸 そうですね。有難いことにスポンサーもたくさんついていただきましたし、そういった方々にサポート頂きながら教室をやるということはもちろんメインです。でも大きな問題としてあったのは、前回のW杯が終わった後に子ども達のもとにラグビーボールがなかったことです。

――確かに野球のボールやサッカーボールは家庭にあるかもしれませんが、ラグビーボールはある家庭は少ないように思います

五郎丸 そういった環境をひとつでも多く支えてあげたいなと思って、(ラグビー)クリニックに来た子達にはボールをひとつ持って帰ってもらえるようにスポンサーの方にお願いして4年間続けています。

――ラグビーが身近な環境にないということが現状であるかと思うのですが、その中でもラグビーに興味を持つ人の幅というのは広がったと思われますか

五郎丸 W杯を機にラグビーを見に来てくれる方というのも増えたとは思いますが、受け皿としてはまだまだ課題がたくさんあるかと思います。15年のW杯後は受け皿の小ささが見えたので、19年のW杯が終わった後の受け皿をきちんと用意していって欲しいな、という風には一個人として思っています

――取材を受ける時にご自分の中で言葉は意識していらっしゃいますか

五郎丸 ラグビーだけではなくて、スポーツの良さというものをこのW杯を通じて伝えていき、本質を理解していただきたいと思っています。W杯や五輪が来ることによってより多くの方に、伝わってほしいなというふうに思っています。

――「多くの方に理解を」ということでしょうか

五郎丸 W杯後はルーティンのポーズが有名になったりしたので、フォーカスする場所が変わっているというか…圧倒的に言い方は失礼になってしまうのですが、エンターテインメントになりすぎているというのがやはりあるので、もっともっとスポーツの本質の部分というものを理解していただかなくてはいけないというふうに思っています。

――五郎丸選手が考えられる「スポーツの本質とは」どのようなものでしょうか

五郎丸 勝ち負けはもちろん(本質の部分には)あるんです。実際、南アフリカ戦の時などは、僕らは勝つことが目標であったので勝利した後、すごく喜んでいたんです。しかし敗れた南アフリカの方々が、すぐに駆け寄ってきて僕らを笑顔で賞賛して下さったんです。

――自分たちが負けた直後にですか

五郎丸 はい。南アフリカの選手の方がスポーツの本質というものを理解していらっしゃったと実感しました。自分たちが負けて悔しいというものも、もちろんあるとは思うのですが、その悔しさを押し殺して、対戦相手をリスペクトする。本来であれば勝ったチームである我々が、負けたチームに対して手を差し伸べるべきであったのですが…。そういったところでもまだまだ発展途上と言うか、僕らは本当のスポーツの本質というものを理解しておらず、本当の意味で理解していたのは、南アフリカの皆さんでした。

――この対談の中でも「勝つことが早稲田」とおっしゃっていたのですが、その「勝つこと」の対する意識が変わった瞬間でもあったのでしょうか

五郎丸 言葉ではW杯後にいろんな方に伝えてきてもらった部分でもあったのですが、自分がその立場に立って体験しなければ分からないことはたくさんあると思います。その意識も含めて、スポーツの本質というものが初めて体感できた場面であったかもしれません。

――前回大会からの4年間で、ラグビーを取り巻く日本の環境というものはどのように変わってきましたか

五郎丸 マインドはやはり変わったと思います。今までは対外国人という風になると勝てない、といいますか。24年間もW杯で勝ち星を挙げられず背中ばかりを追い続けてきたので、言い方は悪いのですが負け癖がついている、勝つ気にすらなれていなかった、というように思います。そういったマインドが、本気でやれば勝てるんだ、世界の舞台で戦えるんだ、というところまで来られたので、一つ階段を登れた段階に入れたかと思います。

――W杯以降の招待試合でも「あと一歩で勝てる」という試合が見られることが多くなってきたと思います。この一歩の差というものはどのように埋めてこられたのでしょうか

五郎丸 僕たちがエディー体制でやっていた時は、日本人にしかできないラグビーというものを突き進めて、いろんなものを変えてきましたけれども、その4年間で世界の中で戦う体だとか、マインドだとか、スキルっていうのは質がかなり上がったと思います。その上に成り立ってくる、今日本代表がやっている戦術だとかを4年前に行っても全く意味のないことだったと思います。

――それほどまでに変わってきたのですね

五郎丸 日本チームのスタンダードはかなり上がってきています。それはスーパーラグビーに参戦したというのも、大きいことだと思いますし、これからあと200日ぐらいで19年のW杯が開幕しますが、この期間でどうチームとして成長できるかというところに、大きなポイントがあると思います。

――五郎丸選手が今日本代表に期待していることはどのようなことになりますか

五郎丸 勝つことが一番シンプルにメッセージは伝わりますけれども、何のために勝つのか、何のために戦うのか、しっかりとチームの中で持って大会に臨んでほしいなというふうに思います。

「4年間を過ごして卒業する時に満足して次のステージに進んで行けるような準備を」


事務所には15年のW杯にてタックルを振り切る五郎丸選手の写真が飾ってありました

――最近高卒でのトップリーグに参戦される選手が出てきたという風に伺いました。今までは高校卒業後に大学ラグビーを経験してからトップリーグへの参戦が一般的なルートでしたが、この流れが変わってくるかもしれないという風潮はどのようにお考えですか

五郎丸 僕はあまり賛成ではないです。大学時代にしか味わえないものは必ずありますし、日本人のピークというものは20代後半ぐらいでくると思うんです。早くトップのチームに入って海外のように活躍できると言われると、なかなかそれは難しいのではないかという風に思っています。

それはなぜそのように思われるのでしょうか。例えば、ニュージーランドなどの強豪国では大学に行きながらトップリーグに参加するということもあるかと思うのですが

五郎丸 現状として高校卒業して入ってきた選手たちが、全くトップリーグで活躍していないんです。体も違いますし、マインドも違うし、海外だと体のピークが日本人に比べて早いんです。そう考えると大学の時にしか味わえない環境だとか、大学の時にしかできない友達と学生生活を送りながらトップを目指すというのも僕は悪くないと思っています。

――体のピークということに重点を当てると、プロ選手になるとラグビー中心の生活になりますよね。大学でも、もちろんラグビー中心の生活をされていたかもしれませんが、授業に出席することや単位を取らなければいけないというような負担と捉えられるような面もあるのではないかなと思います。そこまでして大学でしか味わえないというものは、何だったのでしょうか

五郎丸 社会人は1年目で失敗しても2年目で取り返すことができます。でも大学というのは4年間というスパンでしかありませんし、早稲田なんか特にそうですけども、その1年というのはずっと帰ってきません。僕は3年生の時に負けてしまいましたが、4年の時に勝利したことで3年の時の悔しい気持ちが晴れたかというとそうでもありませんし、本当に新鮮でかけがえのない時間でした。

その時間には、一緒にボールを追いかけて、一緒に学校に行って、一緒にお酒を飲んで、というその時間にしか味わえないこともあるので、あまり焦ってプロになる必要はないのではないかと思います。

――五郎丸選手が早稲田で過ごした4年間というのは、忘れられない、印象に残った時間になりましたか

五郎丸 そうですね。当時の仲間たちとは、今でも仲良くさせてもらっていますし。

――4年間の中で印象的だったことはありますか

五郎丸 やはり先輩後輩だとか、そういったことで学んだことは多かったですね。あとはOBの方が指導してくださる部分が非常に大きかったので、今になって考えると社会に出ると役立つことだったな、とは思います。

 年をとればとるほど、誰も周りは注意を口にしてくれなくなります。なので、細かな注意をくださる方も最近は減ってきてしまったのですが、そう考えるとありがたかったという風には思います。

 僕自身も小さい時から祖父が家にいたので、結構古風なことを言われ続けてきたのですが、そういう環境は今の日本の中ではなかなかないのではないかと思います。

――他の大学もある中で、早稲田を選ばれたのは

五郎丸 僕は小さい頃からずっと憧れて早稲田に入ったわけではないので…。

――では元々は他の大学を志望されていたのでしょうか

五郎丸 当時は関東学院大学も強かったので、ずっと行きたいという話はしていたんです。そんな中で兄が関東学院大学に進学することになったときに、ずっと中学時代から二人で生活していましたし、それまで兄の背中を追ってきていたので、大学も同じになるのかなというふうに思っていたのですが…。兄が「嫌だ。」と言ったので。「じゃあ関東学院に勝てる早稲田に行く」という感じで進学を決めました。

――お兄さんの一言がきっかけで早稲田を選ばれたのですね

五郎丸 「来るな」と言われてしまったので…カチンときて…。

――当時の早稲田は他の大学と違ったところというものはありましたか

五郎丸 その当時は、早稲田は黄金期だったので、どんな試合にも勝っていましたよね。

そんなチームでスタメンであったことは自信にもなりましたし、その後は19歳で日本代表に選んでいただいたり、と大きな経験をさせて頂きました。

――早稲田の特色というのはどこにあると思いますか

五郎丸 どこに行ってもOBの方がいらっしゃることです。これはすごく大きいことだと思います。

――それはスポーツ業界に限らずですか

五郎丸 スポーツ業界に限らずどこに行ってもですね。

 稲門会というのはどこに行ってもありますし、僕は今ヤマハ発動機に所属していますが、ヤマハにもOBの方は多くいらっしゃいますし、清宮さん(克幸前ヤマハ発動機監督、平2教卒)も監督をされていますので稲門会が中心になって応援に来てくださったりもするんです。

 福岡に帰っても稲門会はありますし、どこにでもありますね。ありがたいことですよね、こうやって応援をし続けていただけるのは。

――スポーツ選手がプロの道に進むのではなく、大学進学という手段をとることはどのような可能性を持っていると思いますか

五郎丸 スポーツ選手に限らず誰にでも当てはまることなのですが、特にスポーツ選手は誰でも60歳まで第一線で活躍できるということはなかなか無いわけです。どこかで必ず自分の終わりというものを迎えるのですが「長い人生」っていう捉え方をすれば、僕は大学というかけがえのない時間を過ごすことはいいことだと思います。決してプロが悪いということではないのですが。

――プロの選手と大学スポーツの選手で立ち位置が変わりますし、発信していく内容も変わると思うのですが、その中で大学スポーツ選手に期待するということは何ですか

五郎丸 難しい質問ですね。

――最近はSNSの発達などで自分から発信していく選手も増えていますが、大学生だからこそ発信できる内容、こうあるべきという理想の発信方法はありますか

五郎丸 どんなにすごい選手であろうと人間なので、どういう風に人とつながっていくかということが、後々のために大事ですよね。そうやって人とのつながりを大事にしている人は、必ず上に行くんですよね。

――それはスポーツにおいてだけではなく

五郎丸 そうですね。全ての事においてです。今の世の中というのは携帯一つでなんでもできる時代になって、人との接点というものが軽視され始めた時代であるかとも思うんですが、人間というのはどこまでいっても人間なので、自分の人間力を磨くということこそが優先すべきことなのではないかなという風に最近よく思います。

――最近よく思う理由というのはありますか

五郎丸 僕は海外に出ようと思っていませんでしたし、出る機会もないだろうなと漠然と考えていたのですが、W杯で注目していただいたことで自分の中の目標というものが達成できたんです。だからこそ自分にとって、苦しいであろう海外の道をあえて選んでいきました。フランスに行った時なんか、サッカーで言うところのレアルマドリードやFCバルセロナのようなチームに参加したさせていただいて。

――スタープレーヤーが集まるチームですね

五郎丸 はい。世界のトッププレーヤーの方は「ラグビーが上手いのだろう」と小さい頃から漠然と思っていたんですが、実際行ってみるとその中でもトップのトップにいる人達は、本当に人間性というものが素晴らしかったんです。

 そういう人たちを見ていると自分の中でも答えが出たんです。競技能力を高める人は何万人といますが、プラスアルファで人間力がある人というのは本当の世界のトップの人たちでした。僕はその光景を見ることができて本当に良かったと思っています。

――人間力が高い人こそが、真のトッププレーヤーになり得るのですね

五郎丸 僕はそう思っています。勝つことだとか競技能力を高めることだけにフォーカスするのではなくて、もっと大きなビジョンを持って、広い視野でこれから物事を捉えていく方が人生は豊かになるという風に選手たちには伝えたいです。

――「広い視野で物事を見る」ということでしたが、スポーツ選手だけではなく、おそらく学生にも共通して言えることであると思います。4年間という時間を、大学の中でどのように過ごすのが良いと思われますか

五郎丸 漠然として4年間を過ごすのではなく、やはり1年1年大きな目標を持って過ごすことだと思います。この時間は二度と帰ってくるものではないので、本当に目の前の目標を大切に。もちろん仲間を大切にしながら、4年間を過ごして卒業する時に満足して次のステージに進んで行けるような準備をして欲しいなというふうに思います。

――ありがとうございました!

(取材・編集 柴田侑佳、小田真史、石名遥 写真 千葉洋介)


現役早大生へメッセージをくださいました!

◆五郎丸歩(ごろうまる・あゆむ)
1986(平3)年3月1日生まれ。185センチ、100キロ。ポジションはFB。佐賀工高出身。2008年(平20)スポーツ科学部卒業。現ヤマハ発動機。現在もトップリーグの選手として第一線で活躍する中で、ラグビーの普及の活動にも精力的に関わっていらっしゃいます。子どもたちを対象としたラグビークリニックでは最後に一つ一つラグビーボールをプレゼントしているそうで、現在までで累計で2000個以上手渡してこられています。必ず伝える「これは飾るためのものじゃないんだから、ちゃんと使って遊ぶんだぞ」という言葉とともに託されたボールをきっかけとして、きっと未来の日の丸戦士は誕生することでしょう!