鈴木博識(ひろし)、69歳。栃木・小山高、日大、三菱自動車川崎で投手としてプレー。その後、1981年から85年まで…

 鈴木博識(ひろし)、69歳。栃木・小山高、日大、三菱自動車川崎で投手としてプレー。その後、1981年から85年まで青森商の監督を務め、85年春に東北大会優勝を飾っている。1987年に日大藤沢の監督に就任し、激戦区・神奈川で春夏それぞれ甲子園に出場。96年からは日大の監督として大学選手権で準優勝2回の成績をおさめた。

 日大の監督時代には村田修一(元巨人など)、館山昌平(ヤクルト)、長野久義(広島)らをはじめ、多くの選手をプロへ送り込んだ。日大藤沢と日大で指導を受けた広島・尾形佳紀スカウトも「指導の仕方、試合への準備や選手の乗せ方など、どれもすごかったですね。鈴木監督だから甲子園に行けたと思います」と感慨深く振り返る。



写真左から主将の岡崎雄大、鈴木博識監督、好守の内野手・勢子忠史、留学生の張為瀚

 そんな名伯楽は、現在、茨城県にある鹿島学園の監督を務めている。就任4年目となる今春は茨城大会で準決勝に進出。シード校としてこの夏を戦う。

 時代は移れど「野球を好きで始めたのだから、野球をできない環境をつくらないようにしよう」という志は不変だ。そこには故障防止はもちろんのこと、経済的事情を鑑みての進路相談、不要な上下関係の排除など広い意味が含まれる。

 そして「野球の楽しさを伝えて、嫌いにさせない」ための座学も重んじる。雨が降れば、技術だけでなく野球の細かなルールや戦術など、時に日大監督時代につくった野球教本を配布して伝えることもある。

 こうして今では3年生部員の3分の2が高校卒業後にも野球を続ける意思を示しているという。 

 豊富な経験ゆえにユニークな練習も多い。取材したこの日は、打撃投手がバッターに近い距離から防球ネット越しに座って投球し、それを打つフリー打撃が行なわれていた。当然そのボールは緩い山なりの球だが、「速い球はタイミングさえ合えば打てる。大事なのは”正確にとらえる”ということなんです」と鈴木は言う。強く、積極的に振ることを推奨し、そのなかでバットの芯で球をとらえるように導いていく。

「日大の監督時代にキューバへ行った時のことです。キューバの選手たちは70歳くらいのコーチが打撃練習で投げていても、試合では150キロを打つんですよね」

 またこの練習の際、バットは通常よりも2インチほど長いものだった。ヘッドを効かせないとボールが遠くに飛ばないため、この練習で選手たちはヘッドを効かせたスイングが身につくというわけだ。さらに言えば、緩い球を投げることは誰にでもできるため、打撃投手の負担軽減にもつながる。

 そう説明してくれた鈴木から、さらに驚くことを聞かされた。

「いま打っているのは、みんな1年生です」

 1年生が先に打ち、練習を先に上がるのも1年生だ。夏の大会でベンチに入る1年生は2人ほどであるが、それでも1年全員が先に打つ。

「夏で終わりじゃないし、甲子園がすべてではない。時は流れていくんです。僕らの現役の頃はこの時期、1年生は先輩の世話が中心でした。でも、今はそんな時代じゃありません」

「今はそんな時代じゃない」という言葉は、今回のインタビュー中に何度も出てきた。

「3年生が長男、2年生が次男、1年生が三男の家族なんです。もしお土産があったら、それを長男から食べますか? 1年生を潰しちゃいけない。風呂や洗濯も1年生が先。余裕を持たせています」

 そんな家族の大黒柱が、主将の岡崎雄大だ。鈴木のもとで2年3カ月にわたって野球の楽しさ、奥深さを学んできた。印象に残っている鈴木の言葉はなにかと聞くと「”できた”は終わりでなくて始まり。そこからどう伸ばしていくか」だと言う。

 岡崎が主将となってから復活した試合前の練習メニューがある。それは外野でのアップ時に行なうもので、ボールを下から投げて、受け手を左右に振り、ダイビングキャッチで捕球を試みるというものだ。バレーボールのダイビングレシーブの練習のようだが、これは日大時代も神宮球場に行く前のグラウンドでやっていたことと鈴木は言う。

「試合前は大事に調整するのでなく、ユニフォームを汚して心を無にした方がいい。でも、こちらからわざわざやらせる必要もないし、気を抜いてやるとケガにもつながるので、2年前からやめていたんです。そしたら岡崎が『また、あれをやりましょう』って言ってきたんです」

 選手たち自ら始めた練習メニューに、鈴木は当初「(やっているという)形だけだな」と冷たく突き放したが、岡崎は「だったら『形になっているな』と言わせるまで続けてやる」と継続。そんな清々しい心意気が鈴木には頼もしく映っている。

 そんな男が先頭にいればチームはまとまる。春は、台湾からの留学生である身長187cmのスラッガー・張為瀚(ジャン・ウェイハン)や複数の投手が故障するなか、4強に進出した。「まだ真の4強の力はない」と鈴木は言うが、「一致団結している。そういう面で言えば85点はつけられる」と評している。

「まずは常に4強にいける力をつけたい。そこから先は運ですから」

 甲子園がすべてではないと思うからこその目標設定でもある。それでも、いまだ衰えぬ情熱と卓越した理論やマネジメントによって育まれた選手たちが、甲子園の土を踏む日はそう遠くはないかもしれない。そんな予感がグラウンドには満ちていた。