2018年8月にドイツ・ハンブルクで行われた車いすバスケットボール世界選手権。男女ともにファイナルに進出し、男子は初の金メダルに輝き、女子も銀メダルという好成績を挙げたのがイギリス代表チーム。そのチームを陰で支えている企業の一つが、日本の…

2018年8月にドイツ・ハンブルクで行われた車いすバスケットボール世界選手権。男女ともにファイナルに進出し、男子は初の金メダルに輝き、女子も銀メダルという好成績を挙げたのがイギリス代表チーム。そのチームを陰で支えている企業の一つが、日本の車いすメーカー『松永製作所』。同大会でイギリスチームのメカニックを担当したのは、主にスポーツ用車椅子ブランド「MP」の海外マーケットを担当する神保康広さん。日本国内から海外へ――グローバルなビジネス展開の道を歩み始めた同社の狙いと今後について、神保さんにうかがった。

パラスポーツを支える車いすメーカー『松永製作所』の新たな挑戦(前編)

取材・文/斎藤寿子 神保さんが帰国すると、すでに会社にはイギリス車いすバスケットボール代表チーム(British Wheelchair basketball、以下BWB)からの問い合わせが来ていた。聞けば、神保さんたちが帰った後、2人の選手の動きを見て、他の選手たちからも次々と“自分も乗ってみたい”という声があがっていたのだ。

「当時、BWBはそれまで契約して使用していた欧州の車いすメーカーよりも、より優れた製品や良好なパートナーシップが構築できるメーカーを探していたようなのです。また、数人の選手は更に違うメーカーの車いすを試したりもしていたようですが、それらの評価はどれも満足がいくものでなかったようです。奇しくも私たちが車いすを持っていったのは、そんなタイミングでした。当社との出会いは運命的かつ必然的なものだったのかも知れません」(神保さん)

新規に松永製作所あるいは他メーカーと契約を結ぶか、数社によるプレゼンテーション後、BWBで協議した結果、選手たちからも高評価で、その性能が数字上でも示され、そしてメーカー自体が『一緒にやっていきたい』という思いを持ってくれている松永製作所が選ばれた。

こうして2018年4月、BWBから正式に要請を受け、松永製作所が男女ともにオフィシャルサプライヤーとなることが決まった。契約は2022年までの4年間、BWB全選手への競技用車いすの提供と、メカニックスタッフの派遣による代表チームへのサポートを行う。その最初の公式戦が先述した世界選手権。男女ともに決勝進出という最高の結果を得たことで、信頼関係はより深まったことは想像に難くない。

2020年東京パラリンピックでは、神保さんがBWBの男子代表チームのメカニックとしてベンチ入りする可能性が高い。また、女子代表チームにおいても松永製作所の社員がメカニックとしてサポートする予定だ。

そして、オフィシャルサプライヤー契約により、BWBとしての代表活動の際には男女ともに全選手が松永製作所の車いすを使用することになった。昨年の世界選手権には間に合わなかったが、来年の東京パラリンピックでは、イギリス代表チームは男女ともに全選手が松永製作所の車いすで勝負することになる。

代表活動以外のクラブの一員としてプレーする際は、各選手が個人契約を結ぶ車いすを使用することができるが、世界選手権のメンバー男女24人のうち、わずか数人を除く選手が個人においても松永製作所を選択。いかに同社の高い技術と手厚いサポートが評価を得ているかがわかる。 世界選手権で1、2位という男女ともに世界のトップに君臨するイギリス代表チームが使用することで、欧州はもちろん、世界の車いすバスケ界から注目されており、すでにドイツやスペイン、オランダ、トルコなどからオファーを受けている。

しかし、すぐに市場拡大を狙うわけにはいかないという。例えば、輸出する際に必要な製品の安全基準。基準レベルや許可申請の方法もまちまちで、大きな費用と時間を要する。また、需要と供給のバランスの問題もある。メーカーとして需要が大きいことは嬉しいが、営業や製造、メンテナンスの人材・体制が追いつかないというジレンマを抱えている。

そのため、まずはイギリスでのビジネス展開に注力していく考えだ。

「これはあくまでも私個人の見解ですが、まずはイギリスで下地をつくったうえで、将来的には少しずつ他国にも広げていけたらなと。というのも、日本をはじめ、世界的にも人口は減少傾向にあります。現在、日本は超高齢化社会ですが、いずれは高齢者の人口も減少していきます。そうした場合、私たち車いすメーカーとしても将来的にはスポーツ部門が主要となる可能性もあり、国内の小さな市場だけでは厳しく、海外に進出することが必須になってくるはずです。そうしなければ、海外の大きなメーカーに淘汰されてしまう。だからこそ、2020年東京でパラリンピックを迎えようとしている今、私たちがその先陣を切れたらと思っています」

とはいえ、日本代表チームを一番に考え、支えていきたいという気持ちに変わりはない。実は、初めて同社の社員がスタッフとしてチームに帯同した2014年世界選手権では、同社による社員の出張というかたちだった。その理由について、松永紀之代表取締役社長はこう語る。

「弊社が作った車いすによって、選手たちが世界に挑戦することができる。それは我々メーカーにとっても誇りです。そして障がいのある人たちが“障がいや環境に合う道具さえあれば、何でもできる”という気持ちになれば、私たちにとってのビジネスチャンスにもなります。小さい会社ですから“なんぼでも出せる”というわけではありませんが、できる範囲のことは協力していこうと。世界選手権への派遣は、その一環だったんです」

そんな同社の姿勢は今も変わりはない。

「最も経験が豊富で、エース的存在である社員を日本代表のスタッフに派遣しているのもそうですし、2018年、岐阜に本社がある弊社が新しく関東にメンテナンス拠点(千葉県松戸市)を作ったのも、日本人選手のサポートをさらにきめ細かくしていきたいという思いの表れです。ただ、ビジネスとして生き残る道を模索していくことは企業として重要。そもそも生き残ることができなければ、日本国内のサポートもできなくなってしまいます」(神保さん)

止まらない人口減少と、勢いを増すグローバル化の波。そんな時代に生き残るために“先見の明”をもってチャンスを逃さない松永製作所のビジネス展開が、2020年の“レガシー”になるはずだ。

(プロフィール)
神保康広(じんぼ・やすひろ)
1970年6月16日、東京都出身。パラリンピック男子車いすバスケットボール元日本代表。16歳の時にバイクの自損事故で下半身麻痺に。1992年バルセロナから2004年アテネまで、4大会連続でパラリンピックに出場。2000年、レイクショア財団研修生として渡米、障がい者スポーツ指導法を学ぶ。NWBA(全米車いすバスケットボール協会) デンバーナゲッツ在籍、全米選手権ベスト4。2006年マレーシアに渡り、車いすバスケットボールの普及活動及びナショナルチームコーチ就任。現在、 松永製作所でスポーツ車いすと海外市場の担当として製品企画・開発及びCSR活動に従事。HP:松永製作所