東海大・駅伝戦記 第55回 レースが動いたのはラスト3周になってからだった。 それまで2番手にいた塩尻和也(富士通)が上がってきて、トップを走っていた阪口竜平(東海大4年)をサッと抜いた。その塩尻の背後に阪口がピタリとついて離れない。ふ…
東海大・駅伝戦記 第55回
レースが動いたのはラスト3周になってからだった。
それまで2番手にいた塩尻和也(富士通)が上がってきて、トップを走っていた阪口竜平(東海大4年)をサッと抜いた。その塩尻の背後に阪口がピタリとついて離れない。ふたりはさらに加速し、熾烈な優勝争いとなった。
日本選手権3000mSCで塩尻和也(写真左)を破り、初優勝を飾った阪口竜平
今年5月、関東インカレの3000mSC(障害)で優勝した時、阪口はこう言った。
「学生のうちに塩尻さんに勝ちたいんです。日本選手権まで1カ月。きっちり仕上げて勝負したいと思います」
最終学年で関東インカレを制し、調子は上々だった。日本選手権は、学生として塩尻に挑戦できる最後のレースになるかもしれない。塩尻に勝つ最後のチャンス――阪口はそう自分にプレッシャーをかけた。
ところが、その優勝したレースで阪口は左足首を剥離亀裂骨折してしまった。それは古傷に近い箇所でもあった。
2018年7月、網走で2000mSCを走っている時、水郷の着地で左足首の靱帯を損傷し、踝(くるぶし)を骨折した。さらに1カ月後、軽くトレーニングしようとトラックに向かって歩いている途中、左足首を大きくひねり、患部を悪化させ、松葉づえ生活を余儀なくされた。
阪口がトラックに戻ってきたのは11月だった。それ以降、ゴムをつかったトレーニングで足首などを強化し、関東インカレまでは問題なかった。だが、本番で水郷の着地で足が内側に入り、ケガをした。ここから2週間、まったく走れなかった。
ただ幸いなことに、走ること以外のトレーニングをするのは問題がなかった。
「ケガしたことで、普段やらないような補強やワットバイクをやり、リハビリ期間中でも心肺機能を高めることができました。それに今まで走ってきた分の疲労が抜けて、いい感じになったんです」
日本選手権の13日前、練習がてら出場した東海大記録会で1500mを2本、3000mを1本走った。久しぶりに走った感覚は思ったよりもよく、体が動いていたので「いける」と阪口は手応えを感じていた。
日本選手権では予選1組を走り、8分35秒85の自己ベストを出し、3位で通過。決勝で塩尻との対決を前に、阪口はレースのイメージをこう描いていた。
「塩尻さんはどんなレースでも前に出て、積極的なレースをしている。でも逆に言うと、ラストはそれほど自信がないから、最初からガンガンいっていると思うんです。GGN(ゴールデンゲームズ in のべおか)の5000mもラスト1周で67秒かかるなど、ラストスパートにそれほど自信がないというのが塩尻さんの弱点だと思うんで、僕がラスト2周までしっかりついていけば勝てると思います」
レースは阪口の狙いどおりの展開になった。スタート直後から先頭を走り、積極的にレースを引っ張る。塩尻は中間にポジションを取り、様子を見ながら走っている。塩尻は予選で世界陸上への参加標準記録を突破しており、阪口は「最初から前に出てこないだろう」と読んでいた。ただし、終盤にロングスパートをかけて勝負してくると思っていた。
ラスト4周になった時、塩尻が前方にポジションを移動させてきた。ラスト3周ではともにスピードを上げ、デッドヒートが始まった。「お互いに前を譲らない展開になったので、タイムがよくなった」とレース後に阪口が語っていたが、ここからが本当にハイレベルな戦いとなった。
ラスト1周の鐘が鳴り、さらにギアが入る。300m付近のハードルで阪口はインサイドから抜きにかかった。阪口がハードリングして前に出した手と、ハードルに足かけをした塩尻の足が接触。ふたりは体勢を崩して着地し、その直後に阪口が先行した。そして次のハードルで塩尻が転倒し、そこで勝負は決した。
「あとはタイムとの勝負でした」
ドーハ世界陸上選手権の参加標準タイムは8分29秒00だ。このレース、阪口の1000mのラップは2分53秒、2000mは5分40秒だった。ラスト1周を70秒で走れば余裕でクリアできる状況だった。
最後の水郷前、西出仁明(のりあき)コーチの声が飛ぶ。
「(標準記録を)切れるぞ、切れるぞ!」
阪口も「たぶん切れるだろうな」という感覚はあった。だが、あと何秒でいけば大丈夫なのか、具体的なタイムを把握していなかった。体力的にきつく、走ることに精一杯だったため、タイム計算ができなかったのだ。
「あと何秒で切れるとか、具体的に言ってくれたら頑張れたんですけど……まあ、追い込めない自分が悪いんです。『切れるぞ、切れるぞ』と言われて、そこで油断してしまったというか、自分の力不足でした」
最後のストレートに入り、渾身の力を込めて走り抜いた。タイムは8分29秒85。自己ベストを更新しての見事な初優勝だったが、世界陸上参加標準記録突破まで0秒85足りなかった。
レース後の阪口の表情は、優勝した喜びと標準タイムを切れなった悔しさが混在していた。
「昨日のサニブラウン選手とかぶって(同じことを言って)申し訳ないですけど、なんとも言えないですね。世界陸上の標準を切れば、この場で泣けるチャンスだったんですけど。(優勝して)嬉しいような、嬉しくないような……そんな感じです」
最大のライバルに勝った上で世界陸上への出場権を獲得する。世界に挑むことは、来年の東京五輪を考えると、塩尻に勝つこと以上に重要なミッションだった。ただ、世界陸上の門はこれで閉ざされたわけではない。
西出コーチは言う。
「7月いっぱいまで世界陸上の参加標準タイムを切るチャレンジをしていこうと思います。ベルギーのアントワープ大会を予定していますが、選手が揃っていないという情報が入っていますし、今の足の状態を考えるとどうかなと。行かない場合は、網走(ホクレン・ディスタンス)で3000mSCにエントリーする予定です。その後は夏合宿に入るので難しくなりますが、一応、全日本インカレまでチャンスがある。インビテーションがあればいいんですけどね……」
世界陸上出場へのチャンスはまだあるが、懸念されるのはこの日痛めた左足だ。立って話をするのもきつく、表彰式にはアイシングをして足を引きずりながら参加していた。無理をするとさらに悪化する可能性があり、これから様子を見て判断するという。
それでも日本選手権初優勝は、阪口にとって「大きい」と西出コーチは笑顔だった。
「昨年の日本選手権でまったく歯が立たなかった塩尻くんに対して、それから1年、春にアメリカに行ってトレーニングを学び、帰国してからもやり続け、いい形ではまって優勝できた。スピードがついたし、メンタル的にも小さいことにこだわらなくなった。1年間の成長が見られたと思います」
1年半前、春のアメリカ合宿でアメリカ人コーチから「竜平は3000mSCをやったほうがいい」と助言され、西出コーチもそう思った。昨年の日本選手権3000mSCで4位に終わったあと、阪口は1500mから3000mSCの1本に絞った。
それからわずか1年で最大のライバルに勝利した。「1回勝っただけなので……」と阪口は謙遜するが、じつはレース前、ツイッターで”優勝宣言”をしていた。
「優勝できる自信があったので言えたけど、世界選手権の参加標準タイムを切れなかったので有言実行ならず、です。なんて言い訳しよう……」
阪口はそう言って苦笑した。
まずはケガを治すことが最優先。世界陸上へのチャレンジは、まだまだ続く。