あのトレードから1年が経過した。「ベイスターズに救われたといっても過言ではない状況ですよね。そういった意味からも感…
あのトレードから1年が経過した。
「ベイスターズに救われたといっても過言ではない状況ですよね。そういった意味からも感謝を込め、日々、全力でプレーしています」
DeNAの伊藤光は、噛みしめるように「救われた」と語った。

今シーズン、DeNAの正捕手として投手陣をまとめる伊藤光
昨年の7月9日、オリックスの伊藤と赤間謙、DeNAの白崎浩之と髙城俊人との2対2のトレードが発表された。生涯オリックスで生きていくと覚悟していた伊藤からすれば、まさに寝耳に水の出来事だった。
DeNAは経験豊富なパ・リーグを代表するキャッチャーの加入に期待したが、準備期間の短さからか、伊藤は思うような結果を残すことなくシーズンを終えてしまう。
「昨年はまったく状況がわからない中、チームに入って3カ月、いろんなことを覚えるだけで終わってしまったというか……逆に迷惑をかけてしまったのかなという気持ちが強かったですね」
しかし今シーズン、伊藤はここまで(7月1日現在)73試合中54試合でスタメンマスクを被り、正捕手としてチームを背負う存在となっている。
打撃面においては打率.241と苦しんでいるが、本塁打はすでにキャリアハイとなる6本を放ち、またチームバッティングに徹することで、大和とともに下位打線のキーマンとなっている。
「昨年の秋季キャンプ、そして今年の春季キャンプを通じ、チームやピッチャーのことを深く知ることができました。また自分のことも理解してもらい、コミュニケーションが取れている。それがいい方向に進んでいると思います」
とはいえ、いいことばかりではない。今季、チームは10連敗を経験する。その渦中、忘れられないシーンとなったのが、4月25日の阪神戦(横浜スタジアム)だ。3-2でリードの9回裏、マウンドには守護神の山﨑康晃が上がったが、先頭の梅野隆太郎に四球を与えると、つづく北條史也の犠打を山﨑が悪送球。無死一、二塁のピンチを迎えてしまうと、ここで伊藤は嶺井博希との交代を命じられる。
学生時代から山﨑とバッテリーを組む嶺井との相性を考慮してのことではあったが、その後、チームは逆転負けを喫してしまった。伊藤にしてみればイニング途中での屈辱的な交代。試合後、唇を噛みしめ、悔しさをにじませる伊藤の姿が印象的だった。
あの時のことを伊藤が振り返る。
「連敗中でしたし、監督もコーチも何とかしたいという気持ちからの決断だったと思います。ただ僕としては、最後まで試合に出て勝ちきりたいという思いがあったので、すごく悔しかったですし、自分の力のなさを痛感しました」
その後も伊藤は、山﨑が登板すると同時に嶺井と交代させられるようになった。無念さは募るが、こういった経験は初めてではない。オリックス時代は、チーム事情だったとはいえ捕手の座を追われ、内野を守ることもあった。
「こういう時に大事なことは、決して下を向かないこと。いつチャンスが来るかわからないし、その時のために、試合に出ていない時もすべて勉強だと思って、自分に生かそうという気持ちがありました」
再びセーブがつく場面で山﨑と組むチャンスが訪れたのは、5月31日のヤクルト戦(横浜スタジアム)。ここで山﨑と伊藤のバッテリーは、見事に打者を3人で仕留めた。
「絶対に3人で終わらせようと思っていたし、しっかり準備したこともあって、いい結果を出すことができました」
この試合以降、伊藤は交代を命じられることなく、山﨑のボールを受け続けている。
果たして、伊藤とはどんな捕手なのか。山﨑が次のように教えてくれた。
「あの時の光さんの交代は、僕がやるべきことをできなかったから起こったことで、申し訳ない気持ちがあります。ただ今は(バッテリーを)組めているので、いい方向に進んでいるのかな。光さんはとにかく経験が豊富で、ピッチャーの気持ちをわかってくれる。僕は基本的に投げたいボールを投げさせてもらっているのですが、光さんは『なぜあの時、このボールを投げたのか』『自分はこう思う』といったように、常にコミュニケーションを取ってくれる。試合後は必ず『次はこうしよう』と話をしますし、僕自身、不安を抱えたまま明日に向かうわけにはいかないので、すごく助かっています」
一方、伊藤はピッチャーとのコミュニケーションについて、次のような見解を示した。
「ピッチャーというのは、基本的に”感覚”を大事にする人種なんです。だけど感覚だけで『よかった』『悪かった』と終わらせてしまうと、次につながらない。だからいい部分をまずはしっかりと伝えて、『次はこうしよう』という意見を交わすようにしています。そうするとピッチャーは自分のことをきちんと見てくれているとなり、信頼を寄せてくれる。極端な話、自分の仕事はそれだけなんですよ」
また特筆すべきことは、昨シーズン2つだけしかなかったピッチャーの完投が、今季はここまでで早くも4つを数えている。三浦大輔投手コーチの就任により、今季は先発陣がイニングを稼ぐ傾向にあるものの、正捕手として投手をリードする伊藤の存在も大きい。
じつはオリックス時代、伊藤はレギュラーとしてマスクを被っていた2013年に8回、2014年は7回、ピッチャーを完投に導いている。ピッチャーの違いはもちろん、パ・リーグはDH制を採用しているため一概には比較できないが、それでも伊藤はピッチャーを完投させるコツを知っているように思えるのだが……。
「うーん、どうなんでしょうね」と少し考え、伊藤が口を開く。
「もちろん完投も完封もさせたいし、それがピッチャーの醍醐味ですからね。まあ、細かいことの積み重ねですね。たとえば、無駄な四球を出さない、エラーが出たらバッテリーで粘る、得点した次のイニングは0点に抑える……。最初から9イニングをイメージしているわけじゃないし、まず立ち上がりからバッターにどんな球を意識させ、抑えていくのか。勝負のヤマは9回だけじゃなく、初回から訪れることもあるし、得点すると試合も動きます。いかに流れを読み、勝負どころで声がけするようには心がけています」
勝ち頭の今永昇太や今季2度の完封勝ちを収めている濱口遥大、ルーキーの上茶谷大河らは、幾度となく伊藤の”声がけ”に救われたと言っていた。
「基本的に、僕は”甘いボール”で抑えてほしいんですよ」
伊藤が興味深いことを口にした。それはいったいどういったことなのだろうか。
「ピッチャーは完璧主義者が多いんです。高さもコースもしっかり投げたいと……。もちろんそれはいいんですけど、全球そうはいかない。甘いボールで抑えるためには、ボールの強さや変化球のキレが大事なってくる。そういう方法もあることを伝えています」
つまりはピッチングに余裕を持ち、視野を広くしろということなのだろう。理路整然とした言葉に、怜悧な表情。伊藤の凛としたたたずまいは、扇の要としての安定感に満ちている。
「すべてが完璧で、スマートに見えるので、ちょっとムカつきますよね」
伊藤についてそう笑いながら話してくれたのは、2年目の楠本泰史だ。今年のキャンプから一緒に練習するようになった楠本は、伊藤に対し尊敬の念と親近感を抱いている。伊藤がホームランを放つと、誰よりも喜び、手荒く迎えるもの楠本だ。
「どんなにゲームが長くなっても、決めた練習は最後までして帰るし、翌日は誰よりも早く来て準備をしている。一緒に練習させてもらうようになってからは、食事に誘っていただいたり、相談に乗ってもらったり……本当に野球に対する姿勢はすばらしいですし、勉強になります」
そして楠本は、伊藤の意外な一面を教えてくれた。
「ああ見えて、意外といじってもらいたいタイプみたいなんですよ。光さんは実績のある人だし、突っ込みを入れる後輩がこれまでいなかったんじゃないですかね。僕は躊躇なくいきますけど(笑)。たまにひとりでボケて、すべることもあります。でも、僕が初ホームランを打った時、誰もいないところでこっそりプレゼントをくれたり、ホント中身までイケメンなんですよ。ムカつきますけど、カッコいいと素直に思いますし、僕もこういう人間になりたいなって」
DeNAの若くて闊達(かったつ)な選手に対して、伊藤は次のように語る。
「楽しみしかないですよね。それに自分を頼りにしてくれると感じる場面もありますし、何でも言い合えるコミュニケーションが勝ちにつながっていくと思うんです」
ちょうど1年前、トレードが決まった時は不安でいっぱいだった。淡い期待も抱いていたが、自分の未来が見えなかったとも話す。そんな伊藤に「1年前の自分にこれから面白いことが始まるよと伝えてあげたいんじゃないですか?」と言うと、微笑みながら次のように言った。
「そうですね。そういう意味では後輩たちに伝えることはできますよね。たとえば今、クワ(桑原将志)はスタメンで出場する機会は少ないけど、頑張っていれば報われることも、いいこともあるよって。それは自分が経験してきたことですから」
辛酸を舐めなければたどり着けない境地もある。熾烈な競争世界で生き抜くための準備を怠ることなく、伊藤は自身を救ってくれたチームのためにグラウンドへと向かう。