「今日も何か、いいことがありますように……」  試合前、高橋周平はロッカーに置いたお守りに向…

「今日も何か、いいことがありますように……」

 試合前、高橋周平はロッカーに置いたお守りに向かって、心の中でそう呟く。

「お守りといっても普通のお守りとはちょっと違うんですけど、そのなかにいる神様に『いい日になりますように』って必ずお願いするんですよ。3、4年くらい前からかなぁ。佐伯(貴弘、ドラゴンズの元コーチ)さんにもらったお守りなんですけど、そうやって常に自分におまじないをかけています」



5月は打率.417をマークし、月間MVPに輝いた中日・高橋周平

 交流戦を終えてセ・リーグの打率トップに立っていたのは、ドラゴンズの背番号3、プロ8年目の高橋周平だった。打率.323、85本のヒットのいずれもが、この時点でリーグトップ。”未完の大器”がついに”覚醒”したという声があちこちから聞こえてくる。

「プロに入ってずっと結果が出ていなかったのは事実ですから、覚醒と言われることについては嬉しいことだし、でも同時に、まだシーズン途中ですから、これからしっかりやっていかなきゃいけないなという思いもあります」

 この”覚醒”は、成長というよりもむしろ、本来のポテンシャルを発揮できるようになっただけだ、という見方も根強い。東海大甲府で高校通算71本のホームランを放ち、プロ3球団から1位入札を受けて、クジを引き当てたドラゴンズへ入団したのが8年前。

 ドラゴンズでは立浪和義以来、24年ぶりとなる高卒ルーキーでの開幕一軍を勝ち取り、プロ初ホームランも放った。2年目も開幕一軍でスタートしたが、すぐに二軍行きとなり、初スタメンは8月。それでも逆転満塁ホームランを放つなど、大器の片鱗は覗かせていた。

 しかし、高橋は伸び悩む。

 3年目以降、一軍と二軍を行ったり来たりしながら、思うような結果が出せない。6年目には右手の有鈎骨(ゆうこうこつ)を骨折するなどのケガにも泣かされ、才能の芽さえ出せないまま、あっという間に7年のときが流れた。高橋が当時をこう振り返る。

「今、思えば、自分自身がどうなりたいのかというところが見えていなかったと思います。ホームランバッターでもないのに、ただやみくもに強く打とうとしても、打てるわけがなかった。間違っていたのは、そういうところの考え方じゃないですかね。去年、初めて規定打席に立たせてもらったんですけど、そこでものすごく感じたのは、『1日1本のヒットを打つためには、ただ思い切り振っているだけでは絶対に無理だ』ということでした。だから、去年からはバットを短く持つようになったんです」

 プロ7年目の去年、開幕からセカンドで出場した高橋は、初めて規定打席に達し(433打数110安打、打率.254)、ホームランも初の2ケタ(11本)を記録した。ようやくドラゴンズのレギュラーとして、去年は95試合にセカンドで、23試合にサードでスタメンに名を連ねた高橋だったが、今年、ドラゴンズの監督に就任した与田剛は、高橋に”キャプテン”と”サード”の2つのポジションを与えた。

 高橋に限らず、チームとしてドラフト1位の選手を育て切れていない状況を改善したいということが1つ目、25歳の若い高橋にキャプテンを任せることでチームを活性化したいということが2つ目の理由で、つまりは高橋を中心にチームをつくるという、与田監督の覚悟がもたらした決断だった。

「キャンプの時、監督から『今年はサードの練習だけすればいい、セカンドはやらなくていい』と言われました。同時にキャプテンという立場もいただいて、その一番の理由はそこ(チームの中心選手になれというメッセージ)なんだろうと思いましたし、キャプテンになって試合に出られないというのはみっともないことだという気持ちがものすごくありましたから、試合に出るためにはサードで勝負していくしかないんだなと思いました」

 オープン戦で打率.278、ホームラン3本、打点15はジャバリ・ブラッシュ(イーグルス)と並び12球団でトップタイ。十分な数字を叩き出した高橋は6番、サードで開幕スタメンを勝ち取り、好スタートを切った。しかし4月後半、高橋はトンネルに入ってしまう。高橋はこう言った。

「あの時、自分のバッティングにはホント、魅力がないなと思いました。もともとは引っ張るバッターだったんですけど、そうすると変化球を振らされてしまったり、低めのボール球に手を出してしまうということがありすぎて、最近は逆方向に意識を持っていたんです。もちろん、それでは自分としての魅力がないと思っていましたし、強い打球も生まれません。でもそのほうが、確率が上がると信じて、ずっとやってきたんです」

 本来のバッティングを封印してまでも、結果を出しにいく。しかし、それでも結果が出ない。高橋のなかに迷いが生じる。そんな時、思わぬ感覚と出会った。

 5月5日、ナゴヤドームで行なわれたスワローズとの一戦、高橋は最初の打席、寺原隼人が投じたアウトコースのシュートを引っ掛けてセカンドゴロ、第2打席はアウトコースのストレートをおっつけてレフトフライに倒れた。今まで通り、結果が欲しくて逆方向へ意識を置きながらのバッティングだった。

 ところが第3打席、スワローズの2番手、左腕の中尾輝が投げたインコースのストレートに対して、バットがスムーズに出た。ライト方向に飛んだ打球はファウルだったのだが、この時、高橋は本来の自分のバッティングの感覚を思い出したのだという。

「自分のポイントで打てたと思ったんです。それまではボールを引きつけて、どちらかというと体のうしろのほうで打とうとしていました。でも、あのファウルを打った時、もっと前で捉えるくらいのタイミングで入っていかなきゃダメなんだと感じました。

 たぶん、自分のなかではそうやって打たなきゃ(本来の持ち味が出せない)ということはわかっていたんだと思います。でも、(試合に出なければ、結果を残さなければという気持ちが強すぎて)それができなかった。あの1本をきっかけに、バッティングの意識する部分が変わって、5月の結果につながったんだと思います」

 高橋は5月に行なわれた24試合すべてに出場し、96打数40安打、29打点、打率.417というハイレベルな数字を叩き出し、月間MVPに輝いた。リーグ最多の安打数と打点をマーク、3試合連続を含む8度の猛打賞は、川上哲治、イチローらに並ぶ月間記録の日本最多タイ。オールスターゲームにも選手間投票で選出されるなど、日本を代表するサードベースマンとして、侍ジャパン入り、東京オリンピックへの出場も視野に入ってきた。

「いやいや、そんな気持ちはまったくないですよ。まったくないというか、そういうことを考える選手じゃありません。これまでにWBCに出ていたり、侍ジャパンに何回も入っていて、それでオリンピックというならわかるんですけど、選ばれたこともないですから、そんなの無理です、無理無理(苦笑)」

 去年の11月に長女が誕生して父となり、キャプテンに任命され、サードに固定された。覚醒するだけの舞台は用意され、地に足を着けて野球に向き合う覚悟を決めたことで、眠れる大器がようやく目を覚ました。3歳から野球を始めて、子どもの頃から誰よりも野球がうまかったという高橋は、ボールを遠くへ飛ばす才能を授かっている。

「子どもの頃はホントに野球ばっかりやってました。なぜあんなに野球が好きだったのか、自分でもよくわからないんですけど(笑)。周りから『そんなに野球してるの』ってビックリされるくらい、野球をやっていました。好きだからとはいえ、それだけやってきたというのは自分でもすごいと思いますし、それがよかったのかもしれません。

 あの頃は松井秀喜さんに憧れていましたし、同じ苗字だからと高橋由伸さんのマネもしていました。ホームランというのは一番すごいと思っていますし、もちろん今でも打ちたいという気持ちはあります。やがてはホームランバッターになりたいという気持ちも、捨ててはいません。でも、今の実力だとホームランを打とうとすると、ほかのところが疎かになるんです。だから、ホームランは自然に出てくればいいと思っています」

 高橋は今、グリップを一握り余らせて、バットを短く持っている。本人は「意識していない」と言うのだが、構えに入る直前、右手をいったんグリップエンドにぶつけるように動かして、短く持てているかどうかを確認している。その上で本来の持ち味であるタイミングとポイントで打つことを、一球ごとに意識しているのだ。

「5月にあれだけ打てて、6月以降も落ち着いたものを出せている実感があるので、一喜一憂しなくなりましたね。子どももいますからイライラしてもしょうがないし、普段も『子どもがいるから』と思うようになりましたね。子どもがいるからこうしよう、とか、子どもがいるんだからこれはやめておこうとか……」

 試合が終わったら早く帰ろう、とか──。

「もちろん、そうです」

 25歳の高橋周平はそう言って、はにかんだ。