神野プロジェクト Road to 2020(32)

 6月11日から2週間、神野大地は長野県東御(とうみ)市の湯の丸高原で合宿を行なった。標高1800mでの高地合宿で、順調にすべてのトレーニングを消化できたようだ。4月から5月にかけてアフリカ・エチオピアで合宿を組んでいたが、今回はテーマが異なるという。

 MGC(マラソン・グランド・チャンピオンシップ)まで約3カ月。今回の合宿はどのようなテーマで行なわれたのだろうか。

「今回はマラソンのための合宿です」

 神野は引き締まった表情でそう言った。

「4月にエチオピア合宿に行きましたけど、マラソン練習というよりも『マラソンの練習をするための準備をする合宿』でした。実際、40キロ走は一度もなく、30キロ走がマックスでした。その後、トラックに出たり、仙台国際ハーフを走ったり段階を踏んで、この合宿から本格的にマラソン練習に入った感じです。ここからMGC本番まで、どれだけ練習を積めるかが結果につながるので、すごく重要な合宿です」



この合宿で神野大地(写真右)が練習パートナーとして呼んだニコラス・コリール

 場所は長野県と群馬県の県境にある湯の丸高原。当初は菅平での合宿を予定していたが、湯の丸高原は菅平よりも高地(標高1800m)で、トラック、アップダウンがほどよく入ったクロスカントリーコースがホテルに隣接しており、1日3食、昼でも1000キロカロリー以上のしっかり栄養を摂れるメニューが考えられている。それに練習後に体を癒せる温泉もある。

「菅平は標高が1100mでポイント練習をしても全然きつくなかったんです。僕はケニアやエチオピアの標高が高いところでトレーニングをしてきているので、日本だと1800mぐらいないと物足りなくて……。初めて湯の丸高原に来ましたけど、環境がいいし、これぞまさに山籠もりって感じの施設なので、僕は気に入りましたね(笑)」

 神野は今回、もうひとつ新たな取り組みを始めた。ケニア人のニコラス・コリールを練習パートナーとして合宿に参加させたのだ。

 神野は当初より、6月のマラソン合宿でパートナーをつけて練習することを考えていた。そこで昨年の夏と今年1月のケニア合宿で一緒に練習した30名のなかから、人柄がよく、コミュニケーションが取れて、走力のある選手を探した。

 そこから3名ほど選び、海外レースに関してマネジメント契約をしている「Volare Sports」と相談し、最終的にニコラスに決まったという。しかしなぜ今、パートナーとの練習が必要だったのだろうか。

「正直、プロになってからのデメリットはひとりで練習することだったんです。もちろん、ひとりの練習は自分の限界で終われるのでケガのリスクとかは低くなるなどいい面はあります。でも、ひとりで練習をしているとタイムを追い切れなかったり、ちょっときついなってところでタイムが落ちてしまう。今の僕に必要なのは、もうワンランク上の限界に近い練習をして、レベルを上げていくこと。そのためにニコラスのようにすぐれた練習パートナーが必要だったんです」

 神野が「すごくいいランナー」と絶賛するニコラスは、ケニア出身の28歳。182センチの長身で手足が長細く、フィジカルトレーナーの中野ジェームズ修一は「筋肉が非常に柔らかく上質」だと言う。

 ケニアではウィルソン・キプサングとエリウド・キプチョゲを見て育ち、2016年から本格的にマラソンを始めた。2017年の東京マラソンでキプサングが2時間3分58秒の大会新記録を出して優勝した時、30キロまでペースメーカーを務めていた。

 2016年にオランダでのハーフマラソンで59分50秒の自己ベスト記録を出し、2018年にはスロバキアで初マラソンに挑戦、2時間11分23秒で完走している。ニコラスは「状態がよくなるとケガをする」と苦笑するが、尊敬するキプサングを目標に、今年は12月の防府マラソンに出場する予定だという。

「ニコラスとやれるのはめちゃくちゃ大きいですね。たとえば、1000mを10本の練習をした時、すべて設定タイムどおりに引っ張ってくれたので、ひとりではできないような質の高い練習ができました。

 それに単純に40キロを走るのにも、誰かと一緒に走ると全然違うんです。もともと僕がケニアに行った理由は、質の高い選手と一緒に練習する環境を求めたから。ケニアからニコラスが来てくれて本当に感謝しているし、この選択は間違っていなかったと思います」

 ニコラスは、とにかくランニングフォームが美しい。腰高でストライドが広く、リズミカルに、そして流れるように走る。要するに、無駄が一切ないのだ。中野トレーナーは、「ニコラスのリズムを学ぶように」と神野に話をしたという。

「だいぶ筋肉がついて、ニコラスと同じような歩幅で走れるような脚力はついてきているのですが、リズムが課題で……。彼と一緒に走ることで自然といいリズムを身につけていけば、今よりも楽に走れるようになる。そうすればレースの後半、余力があるのでもっとペースアップできると思うんです。

 そもそもマラソンが速い選手は、リズムがうまく取れているんですよ。ニコラスのフォームは100点満点だし、そのリズムを自分のモノにして、いいリズムで走れるようになりたいですね」

 いいリズムで楽に走れるようになる──神野の言う「いいリズム」とは、足が地面に着いた時、腕が前でもうしろでもなく、体の横にある状態のことだ。走っている時、選手は自分が最高のリズムで走っていると思いがちだが、現実は接地の時に腕が前やうしろにあったりすることが多い。それでも脚力のある選手は走れるが、正しいリズムを取って走るともっと楽に走れるのだ。それが後半の勝負どころで効いてくる。

「リズムのことだけを意識してしまうと、そこにエネルギーを使ってしまうので、ニコラスと一緒に走ることで自分の体に染み込ませるという感じです。ニコラスとは7月まで日本で一緒に練習しますし、8月のケニア合宿でも一緒なので、それまでに吸収できればと思っています」

 速く走るために、そしてMGCで勝つために、神野は肉体改造やフォーム矯正に取り組んでおり、その成果は走る姿からも見て取れる。お尻から太もも、ふくらはぎの筋肉が確実に大きくなっている。マラソンを走る足づくりは、極めて順調だ。

「この間、ユニフォームのサイズを測る前に実業団時代のランパンを履いたんですよ。そうしたらお尻とかがパンパンで、なんか恥ずかしい感じになってしまって(笑)。学生時代の映像もたまに見ますが、足とか棒ですもんね。そう考えると、かなり成長していると思います。中野さんにも『2時間8分台は出せる筋肉はできている』と言われているので、MGCまでハードなフィジカルトレーニングはもうしません。ただ、何もしないと(筋肉が)落ちてしまうので、維持をメインにMGCまでは走る練習をやるだけですね」

 神野は自信に溢れた表情で、そう言った。

 ほかのMGCに出場する選手たちの動向は、レース結果ぐらいしか目に入らない。神野はライバルたちの動きについてはどう感じているのだろうか。

「試合結果は気になりますけど、みんなあまりレースに出ていないですからね。とくには(気にしない)って感じですね。いまの時期、うまくいっていない選手や故障している選手もいると思いますが、僕はここまで順調にきている。故障しないのはトレーニングで鍛えたところを使って走れるようになったからで、もう1年以上、故障がないんです。40キロ走をしたあと、中野さんに体を見てもらったら『故障の心配はない』と言われたので、引き続きケアをしながら、練習では攻めていこうと思っています」

 自分がやってきたことへのたしかな自信があるのだろう。話をしている時も、どっしりとして落ち着いた感が出てきた。その雰囲気はトレーニングを積み重ね、MGCを戦える手応えがあるから発せられるものだ。

 ここまでのプロセスで、神野は一切妥協してこなかった。その努力を積み重ねていけたのは、いったいなぜなのか。

「努力は裏切らないからです」

 それは神野の座右の銘でもある。

(つづく)