車いすバスケットボール女子日本代表一番の元気印が、“いず” の愛称で呼ばれる財満いずみだ。いずは、海と山、豊かな自然に囲まれた山口県防府市に生まれ育った。生まれつき背骨が曲がっている側弯症の障害はあったが、地域の子ども野球やミニバスにも参加…

車いすバスケットボール女子日本代表一番の元気印が、“いず” の愛称で呼ばれる財満いずみだ。いずは、海と山、豊かな自然に囲まれた山口県防府市に生まれ育った。生まれつき背骨が曲がっている側弯症の障害はあったが、地域の子ども野球やミニバスにも参加する活発な少女だった。いずが車いす生活になったのは小学5年生のとき--。

「側弯で肺が押しつぶされているということでそれを矯正する手術を受けました。ところがその手術で脊椎に血が溜まって神経を圧迫することになって、下肢の運動機能がなくなってしまったんです」

もう歩くことができないという絶望の中で、いずは車いすバスケと出会った。きっかけは、井上雄彦のマンガ『リアル』。

「車いすバスケというスポーツがあるのは知ってたけど、立ってできないならバスケはもういいやって思っていたんです。でも、母から渡された『リアル』を読んで、どハマりしました(笑)」

中学2年生で地元の男子チーム・山口オーシャンズに入った、いず。

「一番下手っぴでしたけど、ペイントの外からシュートが届くようになったとか、おじいちゃんくらいの年齢の先輩とコートの外周勝負をして勝てたとか、ちょっとずつできることが増えていくのがうれしかったし、楽しかったです」

持ち前の負けん気を見せて元気いっぱいにコートを走り回る中学生の姿は、すぐに関係者の目に留まった。

当時の女子日本代表は2012年ロンドンパラリンピックの出場権を逃し、2016年リオと自国開催が決まった2020年東京に向けたチーム再構築と若手育成に取り組んでいた。高校生になったいずは日本代表の遠征や合宿にも召集されるようになった。しかし、世界と戦う日本代表は、まだ経験の浅いいずにとってはレベルの違う世界だった。

「めちゃくちゃ上手い人たちばかりでした。とくに驚かされたのは私と同じクラス1の吉田絵里架さん。初めて見るような技術をいっぱい持っていて、何、それ!?・・・みたいな(笑)。できないことばかりで悔しくて、絵里架さんにいろいろと教わるようになりました。年齢の近かった優衣ねぇ(北間優衣)と真世ねぇ(萩野真世)にも教えてもらうようになって、この先輩たちを超えたいと思うようになりました」

17歳で日本代表に選出されて2014年カナダで開催された世界選手権も経験、海外のチームと試合をする機会が増えると、いずの負けん気はさらに火がついた。

「障害が同じレベルのクラス1でも海外にはまたすごい選手たちがいました。この人たちと張り合えるようになりたい。身体の小さな私が、大きい選手を倒せたら気持ちいいんだろうなと思ったら、もっともっと練習して上手くなるしかないなと……単純ですねぇ(笑)。」

地元の高校を卒業したいずは、茨城県のつくば国際大学へ進学した。

「きっかけは高校時代に参加した車いすバスケキャンプのJキャンプです。会場になっていた茨城県立医療大学にはROOTsという健常者の車いすバスケチームがあって、そこでやってみたいと思ったから茨城を選びました。それと両親のもとを離れて、独り立ちしてみたかった気持ちもありましたね」

いずは、ROOTsに加えて、東北地方唯一の女子車いすバスケクラブSCRATCH(スクラッチ)にも所属し、ステップアップを重ねた。

「SCRATCHで影響を受けたのは、女子日本代表のキャプテンでもある藤井郁美さん。忘れられない思い出があって、2年前の女子日本選手権で、私がことごとくシュートを外したんです。もう謝るしかできなかったんですけど、郁美さんは『あなたがフリーで、私がパスを出せると思ったら、何本落としてもパスを入れ続けるから。落とすからパスを入れないっていう選択はしないから!』って言ってくれて、あぁ、なんてカッコいい人なんだろう、この人の期待に応えたいって、またスイッチが入りました。単純です(笑)」

バスケを離れれば、オムライスが大好物で、ヴィヴィアン・ウエストウッドがお気に入りだという22歳の女の子。

「ヴィヴィアンは大学時代に友だちに画像を見せられて、『えっ、めっちゃかわいい!!』って(笑)。20歳の誕生日に友だちからプレゼントしてもらったヴィヴィアンの財布も、すごく気に入っているんです。ファッションとかスタイルにあんまりこだわりはないんですけど、髪の色はけっこう変えますね。金髪ショートは勝負カラーなんですよ。ROOTsで優勝したときからゲン担ぎで、大会前には金髪にしています。アクセサリーはピアスが好きかな。一番の宝物は、郁美さんが作ってくれたピアスです。もったいなくてあまりつけられなくて、おうちに飾って眺めてます」

いずは今春、大学を卒業。社会人として東京パラリンピックを目指すこととなった。

「一応、社会人になったんですけど・・・・・・自分では、まだまだガキだなって思います。ガキだから、何も考えずに負けたくないって一心で突き進めるかなって。私はスピードがないし、高さでも勝負できない。でも、相手の方が速くても、大きくても、何度やられてもトライして最後には勝つ。折れない気持ちだけは誰にも負けたくない!」

一方で重ねてきた国際経験から、がむしゃらに頑張るだけでは、世界ではなかなか勝てないことも理解している。

「女子日本代表の最大の武器はチーム力。ひとりじゃ止められない相手でもチームで守って、相手のディフェンスもみんなで崩して点を取っていく。だからその瞬間に、自分がチームにどう貢献できるのかということを冷静に分析して判断できるようになりたいです」

5月下旬には、タイのスパンブリーで行われた女子U25世界選手権に出場した。いずがチームの副キャプテンで、10代から一緒に代表でのキャリアを重ねてきた20歳の柳本あまねがエース。A代表では“下っ端”の2人がU25代表ではチームの中心となって、世界の同世代としのぎを削った。

日本は予選リーグを2勝1敗の2位で決勝トーナメントに進出。準々決勝で強豪ドイツを42-37と撃破して準決勝に進んだ。残念ながら準決勝では優勝したアメリカに敗退し、3位決定戦でもイギリスに敗れて4位。しかし、この成績は女子U25日本代表の最高順位だった。

「準々決勝でドイツに競り勝てたことは一生忘れられないですね。もちろんメダルを獲ることができず、もっとできたのにと思ってしまうこともあります。今回、あまねと一緒にチームを引っ張っていくという経験をしてみて、A代表では甘えていた部分が多かったんだなと再認識できました。ここで学んだ“楽しめるチームは強い!”ということを、A代表でも活かしていきたいと思います。ガチで悔しく、ガチで楽しい経験でした!」

破れなかった世界の壁。

この負けた経験が、この悔しさの記憶が、きっとまた、いずを強くしてくれる。

たとえ道は険しくても、いずなら折れない心で真っすぐ進んでいけるはず。

1年後の東京パラリンピックで、最高の笑顔を期待しているよ!

【プロフィール】

財満いずみさん

ざいま・いずみ●1996年12月4日生まれ、山口県防府市出身

クラス:1.0/ポジション:ガード/所属チーム:SCRATCH

中学2年生で車いすバスケを始め、17歳で日本代表デビュー。車いすバスケでもっとも障害の重度な1.0クラスだが、常に前向きに献身的なプレーでチームを支えている。2019年5月の女子U25世界選手権ではチームの副キャプテンを務め、4位入賞に貢献した。

※パラコミックとインタビュー、レポート記事、グラビアと全方位的にパラスポーツの魅力に迫った『パラリンピックジャンプVOL.2』(集英社)では、『リアル』の井上雄彦氏による、車いすバスケ日本代表の密着レポートを掲載。そちらもあわせてチェックを!