ヤンキースのアレックス・ロドリゲス内野手が7日(日本時間8日未明)にヤンキースタジアムで記者会見を開き、12日(同13日)レイズ戦限りで現役を引退することを発表した。■17年まで契約残るも22年のキャリアに幕、スペシャルアドバイザー兼インス…

ヤンキースのアレックス・ロドリゲス内野手が7日(日本時間8日未明)にヤンキースタジアムで記者会見を開き、12日(同13日)レイズ戦限りで現役を引退することを発表した。

■17年まで契約残るも22年のキャリアに幕、スペシャルアドバイザー兼インストラクターに就任

 ヤンキースのアレックス・ロドリゲス内野手が7日(日本時間8日未明)にヤンキースタジアムで記者会見を開き、12日(同13日)レイズ戦限りで現役を引退することを発表した。今後はしばらく休養を取った後で、スペシャルアドバイザー兼インストラクターとして球団に残り、マイナーリーグを巡回しながら若手選手の育成にあたる。契約は2017年末まで。来季スプリングトレーニングにもスペシャルインストラクターとして参加する。

 8月3日から数回にわたり、オーナーのハル・スタインブレナー氏と話し合いを持ったというA・ロッドは「まだプレーできると思うし、もう1本(ヒットを)打てるとも思うが、チームが勝つことが最大の目的」と話し、後進の育成に力を貸してほしい、というオーナーの申し出を受けたという。

「今日は辛い日だ。私は野球が大好きで、このチームが大好きだ。でも、今日は双方に別れを告げることになった」と涙で言葉に詰まらせた。「自宅で映像を見ている母、そして2人の娘たち、長い間ずっとサポートしてくれてありがとう」と言うと、しばらく言葉が続かなかった。

 通算700号の大記録まで残り4本だったが「とても楽しい時間を過ごせた。そこにはこだわらない」と話し、清々しい笑顔を浮かべた。出場機会に恵まれなかった最近1ヵ月は「とても辛かった。楽しくなかったし、恥ずかしかったし、気まずくもあった。こういった解決法を見つけられたことは幸せに思う」と振り返った。

■華々しいキャリアの陰で、度重なる禁止薬物使用問題も…

 1994年、マリナーズの一員として18歳でデビューしたA・ロッドは、打率、長打、走塁、強肩、堅守の揃った“5ツールプレーヤー”と呼ばれ、華々しいキャリアをスタートさせた。マリナーズで7年を過ごした後、2001年にフリーエージェント(FA)としてレンジャーズと10年2億5200万ドルの超大型契約を結んで移籍。だが、2004年2月にアルフォンソ・ソリアーノ、ホアキン・アリアス+現金と交換でヤンキースへ電撃トレードされた。ヤンキース移籍後、2007年オフに再びFA権が与えられ、前回を上回る10年2億7500万ドルという契約を手に入れた。

 本塁打王5度、得点王5度、打点王2度、首位打者1度、MVP3度、オールスター選出14度など、輝かしい功績を残す一方で、たびたび禁止薬物使用問題で名前が取り沙汰され、2014年には162試合の出場禁止処分を受けた。私生活でも、シンシア元夫人と離婚後は、たびたび有名人と浮き名を流し、スポットライトを浴びることもあった。

 オーナーのスタインブレナー氏は「我が球団には若くて才能ある選手がたくさん揃っている。アレックスには彼らの成長と成功の手助けをしてほしい。彼の体には血液と共にベースボールで満たされている。すでにクラブハウスでも良き先輩としての役割を果たしてくれている。彼の野球人生における次章は、アレックスとヤンキースの次世代にとって最高のものとなるだろう」とコメントを発表した。

 会見に臨んだキャッシュマンGMは、身につけていた2009年ワールドシリーズ優勝リングを外してテーブルの上に置き、「これがあるのは、彼のおかげでもある」と感慨深げに話した。「素晴らしいキャリアを送った。アップダウンもあったが、誰もが間違いは犯すもの。だが、最終的には球団を代表する選手になってくれた。2009年のMVPは松井(秀喜)だったが、アレックスの活躍も本当に大きかった」と貢献を称えた。

 12日の引退試合には、母や娘たちを球場に招待するという。その後は、自宅のあるマイアミへ戻り、しばらく休養する予定だ。