ナカガキ・ステーション――。 サンディエゴ・パドレスがスプリング・トレーニングを行なうアリゾナ州ピオリアには一昨年…
ナカガキ・ステーション――。
サンディエゴ・パドレスがスプリング・トレーニングを行なうアリゾナ州ピオリアには一昨年、昨年と、そう呼ばれる一角が存在していた。メジャーを目指す若い選手が、練習メニューの合間に立ち寄って”ナカガキ”の指導を受ける。
実際、アメリカでも彼の指導法は斬新で、多くの選手からの信頼を得ていた。何しろ、今シーズン、若手のみで組まれているパドレスのローテーションの全員が彼の指導を受けたピッチャーなのだ。野球の投打のなかで体をどう動かせばいいのか。そのためにどういう体力が必要で、その体力にどんな技術をかみ合わせれば爆発的な力を発揮できるのか。そこまでを見据えて選手に出会うと、”ナカガキ”には見えてくる。今、この選手は、動きのどこに着眼点を置くべきなのか、ということが……。

昨年までサンディエゴ・パドレスで選手たちの指導を行なっていた中垣征一郎氏
中垣征一郎。
2004年に日本ハムファイターズのチーフトレーナーとなり、その後、2012年にダルビッシュ有が渡米した際には、ダルビッシュ自身の強い希望を受けて専属トレーナーという肩書きでテキサス・レンジャーズに入団した。
2013年に帰国後はトレーナーではなく、トレーニングコーチとしてファイターズに戻り、背番号もなく、ユニフォームを着ることのない異例のコーチとしてチームを支えてきた。当時の栗山英樹監督が全幅の信頼を置いた、トレーニングと運動技術の専門家である。
中垣さんは2017年から2年間、サンディエゴ・パドレスに請われてスポーツ科学の応用を担当するディレクターに就任。メジャー、マイナー問わず、パドレス傘下のチームを巡回し、選手たちを指導してきた。
その”ナカガキ”の獲得に、今年、成功したのはオリックス・バファローズだった。
バファローズの福良淳一GM兼編成部長、中嶋聡二軍監督とファイターズ時代に信頼関係を築いていたことから、中垣さんはバファローズのオファーを受けることに決めた。もちろんパドレスからも残留の要請を受けており、若い選手たちが育ち始めていたこともあって中垣さんにとっては苦渋の決断ではあったが、再び活動の場を日本へ移すことにしたのである。
“ナカガキ”獲得は、じつはこのオフのバファローズ、最大の目玉だったという声はあちこちから聞いた。現在、二軍の施設がある舞洲(まいしま)に拠点を置き、バファローズの選手たちに接して4カ月を経た中垣さんは、どんな立ち位置にいるのだろう。
「今回、2年ぶりに日本に戻ってきましたけど、ファイターズもパドレスもバファローズも、チームがどこであろうと、日本だろうとアメリカだろうと、野球選手に対して僕ができるアプローチは同じだなということをあらためて感じています。野球選手が持っている体力的な性質や、野球のトレーニングや技術演習のなかで抜け落ちやすいことは、どこへ行っても変わらないんですよ」
中垣さんが言う「抜け落ちやすいこと」とは、たとえばこうだ。
「みんな、脚を使えって、子どものときから言われてますよね。でも、それって具体的にどう使えば脚が使えていることになるのかを説明できる選手はほとんどいないんです。だからまずは、脚を使っている感覚とはこういうものだ、ということを実感させてあげます。脚を使うとどうなるのかを、その場で体験させてあげるんです」
となれば、選手ではないが、ぜひ体験させてほしいとお願いしたくなる。中垣さんは「いいですよ、じゃあ、立って下さい」と言って、こちらを立たせてから、そのすぐ真横に立った。
「今から押しますから、動かないように僕に抵抗して耐えて下さいね」
そう言って、真横から中垣さんに腰のあたりを軽く押されたら、耐えることなどできるはずもなく、ポーンと、いともあっさり動かされてしまった。中垣さんが続ける。
「野球というのは横方向に進む動きが多いスポーツです。ピッチャーだったら横向きに体重移動しますし、バッターも軸足から踏み込む足のほうへ、つまり横に向かうわけです。じつは、狙った横方向へ正確にまっすぐ動く作業って、ものすごく難しいんですよ。でも野球を子どもの頃からやってきている選手たちにしてみれば、打つのも投げるのもあまりに自然な動作なので、横に動いているという意識さえない場合が多い。だから、横方向へまっすぐ動いているつもりになってしまうんですね」
中垣さんは、続けてこう指示を出した。
「両足の幅を少し狭めて下さい。つま先を外に向けずに、まっすぐ、あとは重心を少し前に出して、それだと出しすぎなので少しうしろに……いや、それではうしろに傾け過ぎです。もう少し、そう、その位置で、いいですか、もう一度、同じように押しますから抵抗して下さいね」
驚いた。今度は動かされることなく、耐えられる。体を使うとはこういうことか。脚を使えているとは、こういうことだったのか。
「右足が地面に噛んでくれているでしょう。右足を地面に噛ませるためには、体をこういうポジションに持ってこないとダメで、もしそのポジションに体を入れられないとするならば、筋力や柔軟性、どこかしら何かが足りないからなんです。ならば、どういうトレーニングが必要なのかということが見えてきますよね。脚を使うとはどういうことなのかを体感できたら、理屈を説明すれば、選手は『なるほど』となる。だから選手にも、こういう目的の、こういうトレーニングが必要なのかという意識づけができるんです。力を効率的に発揮するために何を意識すればうまくいきやすいのかを理解して、そこへ向かう気持ちを持ってさえいれば、目的地へ辿り着くための効率が大きく変わってくるのではないかと思います」
だから中垣さんが選手に投げかける言葉は、いつも具体的だ。
「こういうスクワットをやってみよう」
「両脚でできた動きを、片脚でやろうか」
「早い動きで同じような動き方ができるように、ジャンプを入れてみよう」
「今度は同じ動きで、力を発揮する方向を変えてみようか」
「この動きを緩やかに、精度高くやるために、横方向のドリルをやったほうがいい」
打ってみよう、投げてみようという最終段階に持っていくために、中垣さんは「動かない地面とのやりとりをどううまくやるかというのが第一歩」だと繰り返す。そのやりとりは脚で行なうわけで、つまり脚をどう使うかということは、打つ、投げることへの第一歩なのである。「脚を使え」と言われて育ってきた野球選手に何か新しいことを伝えているわけではなく、なんとなく当たり前のように宙を彷徨(さまよ)っていた言葉に、確固たる実体を伴わせる。それが”ナカガキ・ステーション”の正体だ。
「選手それぞれ、打ち方、投げ方が違うように見えて、じつは横方向に行って、踏み込んで、踏み込んだ力が回転のエネルギーに転嫁する、という動きの流れに関しては全員、共通なんです。寄せる、行く、踏み込む、回転する。その寄せ方、行き方、踏み込み方、回転の仕方が個性によって変わっているだけで、本質は同じ。足が地面を噛む感覚を知って、その感覚を再現するために体力トレーニングと運動技術を学んでいく。それが僕の目指しているところです」
バファローズは1996年以来(ただしオリックスとして、バファローズとしては近鉄時代の2001年以来)、じつに22年間、優勝から遠ざかっている。もちろん、12球団で最長だ。クライマックスシリーズ出場も2014年以来なく、去年もシーズン途中まではAクラスを争っていたものの中盤以降に失速し、4位に終わった。となればバファローズファンは当然、中垣さんにも期待したくなるだろう。
しかし、結果を残せば認められる選手と違って、劇的に前へ進むことのない世界で中垣さんは戦っている。最大の目玉だとはいえ、”ナカガキ”の補強が効果的だったということが目に見えてわかるまでには時間がかかる。中垣さんはこうも言った。
「たとえば、今、舞洲(二軍)にいる選手のなかには、すぐにでも一軍で仕事をしていなきゃいけない選手というのがいるんです。その準備が着々と整いつつあるのが2年目の左ピッチャー、田嶋(大樹)だと思います。彼は持っている才能がとてつもなく大きい。投球動作の中でいろんな要素を噛み合わせて、最後、力をリリースに集めていくということに関して、素晴らしい才能を持っている。
けれども、これを維持していくために必要な……ここ、体力という言葉だけでは表現し切れないんですけど、維持するために必要な最大値を上げておくというところがまだ足りていません。そこは球速とか、わかりやすい指標ではなく、よりゆとりを持って、一球一球に余裕を持って、本人の持っている噛み合わせの能力に合致するだけの体力を身につけていくことが必要なんです」
ルーキーだった去年、開幕ローテーション入りを果たして鮮烈なデビューを果たした田嶋は、前半だけで6勝をマークしながら、左ヒジを痛めてシーズン途中から戦線を離脱。その後は治療に専念していた。田嶋の復帰はバファローズにとっては喫緊の課題だ。さらに、どの選手も可能性を秘めているとする中垣さんに、ルーキーの野手について訊くと、興味深い答えが返ってきた。
「頓宮(裕真、ドラフト2位、亜大)と中川(圭太、ドラフト7位、東洋大)は期待値が高いのは当然として、高卒のふたりの野手、太田(椋、ドラフト1位、天理)と宜保(翔、ドラフト5位、未来沖縄)は本当にいいものを持っています。太田も宜保も高校を卒業したばかりですから体力的にはまだまだ発展途上ですし、技術的にも課題は多いと思いますよ。ただ、彼らはまったく個性が違っていて、そこが魅力的なんです。太田は整理整頓して理解しながら前へ進むことができるタイプ。宜保のほうはスピードもあって、野球が自由奔放です。感覚的なタイプですね」
中垣さんはもともと陸上の選手で、野球をやってきたわけではない。だから中垣さんが動きを指導すると、ピッチングコーチやバッティングコーチの領域に踏み込んでいるのではないかと煙たがられ、ケガ人の起用法について意見すると、トレーナーの領域に踏み込んでいるのではないかと痛くもないハラを探られる。野球の動きの構造をきちんと見極めながら、動作改善のための指導をするにしても、プロ野球選手の経験がないというのは、この世界ではそういう扱いを受けることがしばしばなのだ。
しかし中垣さんは、フィジカル、トレーニング、運動技術のプロフェッショナルだ。駆け引きや配球を含めたピッチングやバッティングを指導するのがコーチなら、中垣さんは投げる、打つ……そのための有効な動き方を教えている。中垣さんが口にする理論に最初は首を傾げていたコーチや選手たちも、効果を体感することで歩み寄ってくる。
バファローズの二軍に撒かれた種は、風通しのいい環境のなかでたっぷりと陽の光を浴び、ちょうどいいだけの水を、適切なタイミングと頻度で与えられている。
舞洲は今、そんな空気に包まれていた――。