上原浩治という投手が、こんなに大きな存在になろうとは、その時はまったく想像もしていなかった。 上原の実戦でのピッチ…
上原浩治という投手が、こんなに大きな存在になろうとは、その時はまったく想像もしていなかった。
上原の実戦でのピッチングを初めて見たのは、大阪体育大4年の時。6月に開催された全日本大学野球選手権で九州共立大と対戦した試合だった。
大阪体育大に「上原浩治」という名前の新鋭右腕が現れたという話は、関西の記者の方から聞いていたが、この試合の楽しみは150キロ台の剛速球と大きく落ちるフォークを武器に、九州では無敵を誇っていた九州共立大のエース・山村路直(みちなお)だった。
こちらの期待どおり、このふたりが先発した試合は、互いの快投が続いてスコアボードに「0」を並べていく。息詰まる投手戦が展開されたが、目に留まったのはやはり山村だった。
188センチ、85キロ。マウンドに立ちはだかる姿が堂々としていて、ゆっくりとしたボディーアクションからどっしりと一歩踏み込んで、一瞬間を置くように体重移動を利用して腕を振り下ろす。
「ピッチャーだなぁ……」
ため息がこぼれるような王道のピッチングフォーム。指にしっかりとかかったボールで低めを突きながら、あっという間に打者を追い込み、いつも自分有利なピッチングを展開していく。欠点など何ひとつなかったと記憶している。
その時、たしか山村は上原の2学年下で、大学2年生だったはずだ。当時のドラフトは逆指名制度があり、再来年のドラフトは山村が主役になるんだろうな……と。そして好きな球団に入って、2年目ぐらいからエースの座に君臨して、毎年コンスタントに10勝をマークして、時には20勝投手に。プロ野球史に名を残す大投手になると、勝手に想像を膨らませていた。
しかし、山村がプロ(ダイエー/現・ソフトバンク)8年間で挙げた勝ち星はわずか2つ。あれほどの逸材がプロで通用しないとは……あらためて厳しい世界だと実感させられたものだ。
一方の上原だが、大学当時の印象はじつに”軽い”というか、素人っぽく見えていた。軽快な足どりでダグアウトからマウンドに駆けつけると、たいして念入りに足元をならすわけでもなく、ピョンピョンと飛び跳ねるように投げ始めたから驚いた。そしてテンポのよさ。まさに「ちぎっては投げ」である。
軸足にためてとか、体重移動をしっかりとか……もしかしたらそんな”能書き”など、いっさい考えていなかったのかもしれない。
めっぽう肩が強く、全身バネのような外野手が、いきなり「投げてこい!」と言われて、とりあえずマウンドに上がったような、そんな印象だった。
腕の振りは強烈に速かったが、上体投げというか、重心の高いフォームで、投げ込むゾーンも高い。「こりゃ、いつかやられるな……」と思っていたのだが、まったく点を取られる気配がない。結局、試合は延長10回、1-0で大阪体育大が勝利した。なにより印象に残っているのが、試合後の九州共立大の仲里清監督のコメントだ。
「あの上原っていうピッチャー、あれね、とんでもないピッチャーになりますよ。ボールを投げる瞬間、指先でボールを切る『バチッ!』という音がベンチまで聞こえてくるんですから。あんなピッチャー、そうそういるもんじゃありません」
愛弟子・山村の快投よりも、ひたすら上原を称賛する仲里監督。興奮で上気した仲里監督の表情は、まるでとんでもないものを見てしまった子どものようだった。
あの時、敵将を虜にした衝撃のピッチングは、プロの世界でも遺憾なく発揮された。以前、あるメジャー関係者がこんなことを言っていた。
「上原がメジャーに挑戦したのは34歳の時。もし、もっと早い段階でメジャーに行っていれば、サイ・ヤング賞も狙えるような投手になっていたんじゃないかなと思うんです。メジャーに挑戦した時は、体がボロボロでしたから……。それでも時間をかけてしっかりメンテナンスして、あれだけの活躍ができたわけですからね。
ボールだけを見れば松坂大輔の方がすごいと思います。でもピッチングのすごさは上原の方が断然上。コントロールミスがほとんどないですし、ボールも表示以上に速い。ほんと20代でメジャーに行っていたらどうなっていたのかなって……。ピッチングの完成度という点では、メジャーに挑戦した日本人では上原がダントツですね」
どんなポジションでも自分の力を最大限発揮する。100勝、100ホールド、100セーブという記録は、今後現れることのない”不滅の大記録”になる可能性は大だ。それほど、上原の才能は突出していた。
あの試合で上原の才能を見抜けなかったのは不徳の致すところだが、どんなに活躍しても驕ることなく、常に上を目指してきたからこそ「超一流」の投手へと上り詰めたに違いない。
今後のことは何も明かされていないが、卓越したピッチング技術をひとりでも多くの若者に伝えてほしいと願うばかりだ。