故・阿久悠氏の自伝的長編小説『瀬戸内少年野球団』の舞台となるなど、かねてから野球が盛んな兵庫県・淡路島。これまで西…

 故・阿久悠氏の自伝的長編小説『瀬戸内少年野球団』の舞台となるなど、かねてから野球が盛んな兵庫県・淡路島。これまで西武の中継ぎとして長く活躍する増田達至をはじめ多くのプロ野球選手を輩出してきたが、この島からまたひとり日本球界最高峰の舞台に近づいている選手がいる。

 近畿大4年のサイドハンド右腕・村西良太だ。幼い頃から海釣りとともに野球に熱中。島内にある津名高校に進学し、2年秋に2番手ながら近畿大会に出場。その後、近畿大の田中秀昌監督の目に留まり、復活を目指す名門校の一員となった。



サイドハンドから最速152キロを誇るプロ注目の近畿大・村西良太

 大学入学当初は「練習量がこれまでと全然違って……しんどいなと思いました」と苦笑いで振り返るほど、体力は未熟だった。

 ところが必死に練習をこなしていくと、球速は面白いように伸びた。入学当初は最速142キロだったが、あっという間に140キロ台後半をマークすると、今では152キロに到達した。サイドハンドだけに、その価値はさらに高まる。

 サイドスローに転向したのは中学時代だ。所属していたヤングリーグ(全日本少年硬式野球連盟)のアイランド・ホークスで監督に勧められて転向した。当時、代表兼総監督だった倉本昌康氏(現・淡路ボーイズ顧問)は、当時の村西の印象をこのように振り返る。

「彼はちょうどチームができて2年目の子です。華奢で身長も160センチぐらいしかなかったですが、運動神経がよくて、走っても速かったですね。当時は1番や2番を打っていて、チームの得点源でした。外野をやりながら投手もしていて……器用でしたね」

 ちなみに当時、1学年下には2016年春に智弁学園(奈良)をセンバツ優勝に導き、現在は東洋大のエースとして活躍する村上頌樹がいた。村上は、ヤングリーグの全国大会で春夏準優勝し、連盟の垣根を超えて中学硬式野球の日本一を争うジャイアンツカップにも導いた。そんな村上を「すごいなぁと思って……いつも結果を気にしています」と、村西をまるで雲の上の存在であるかのように見ていると話す。

 倉本氏によれば、淡路島には野球熱はもちろん、選手たちの素材のよさ、能力の高さを感じていると言う。

「淡路島は昔から野球が盛ん。阿久悠さん(淡路島の洲本高校OB)の作品にも描かれていますし、中学の軟式野球でも何回か全国優勝をしていて、1953年のセンバツで洲本高校が優勝した時のメンバーの多くは、地元の州浜中出身で、中学時代に全国優勝しているメンバーなんですよ。運動能力の高い子は多いです」

 そんな環境下ですくすくと育ってきた村西はまさに天然素材。ウエイトトレーニングも積極的に行ない体重が増加したとはいえ、まだ大学トップレベルの選手と比べれば華奢な部類に入る。のんびりした話しぶりに加えて、この体を見ると、150キロを超えるような球を投げることは想像しがたいが、快速球の秘密は踏み出す側の「左足にある」と見ているのが、ロッテの永野吉成チーフスカウトだ。

「スピードが出るのは左足の使い方がいいからです。(足を上げてから着地する直前に)タメができるので、うまく体の力を出せています。個人的には短いイニングで全力投球をするリリーフタイプのように感じます」

 村西自身も又吉克樹(中日)やMLBのサイドハンド投手の動画を見て参考にしていると言うが、あえてタメを意識しているわけではなく、自然とそうしたフォームになっていったのだと言う。

 昨年秋はリリーフエースとして活躍し、チームの明治神宮大会出場に貢献。単位取得が順調で授業も少なかったこともあり、授業のない日は4~5時間ほど昼寝して体調を整えられたことも好調の要因となった。

 今季リーグ戦では、2カード目以降から初戦の先発を任され、長いイニングを投げても140キロ台後半を計測。変化球もカーブ、スライダー、カットボール、スプリットを織り交ぜた投球で、ここまで6試合で40イニングを投げ、50奪三振、自責点9と好投を続けている。

 首位攻防戦の立命館大戦で勝ち点を落とし、まさに背水の陣として臨む最終週の関西大戦。村西の力強い投球でチームを再び全国の舞台へと導くことができるのか。野球どころ・淡路島からまたひとり、新たなスターが生まれる可能性は、日に日に現実味を増している。