5月11日の世界リレーでは、予選で3走の小池祐貴(住友電工)から4走の桐生祥秀(日本生命)にうまくバトンが渡らず失格になってしまった男子4×100mリレー。その雪辱を晴らすべく臨んだ19日のセイコー・ゴールデングランプリ大阪では、ミスなく…
5月11日の世界リレーでは、予選で3走の小池祐貴(住友電工)から4走の桐生祥秀(日本生命)にうまくバトンが渡らず失格になってしまった男子4×100mリレー。その雪辱を晴らすべく臨んだ19日のセイコー・ゴールデングランプリ大阪では、ミスなく強さを見せつけた。
お家芸復活の好走を見せた(左から)桐生祥秀、小池祐貴、山縣亮太、多田修平
快走の予兆は、リレーの1時間半前に行なわれた男子100m決勝に表われていた。桐生が優勝したジャスティン・ガトリン(アメリカ)と0秒01差の2位になっただけではなく、3月に追い風参考記録ながらも10秒0台を連発した小池が、10秒04の自己ベストをマークして4位。
さらに、山縣亮太(セイコー)は5位ながら10秒11のシーズンベストを出し、多田修平(住友電工)も10秒12のシーズンベストを出した。
この日の気象条件は、好記録を狙うには厳しいものだった。男子100mの時だけは奇跡的に風が落ち着いたが、午前中から強い風が吹き荒れていたうえ、風向きがクルクルと変わる状況。トラックを1周する種目では、1周すべて向かい風になってしまうこともあった。最終種目だった4×100mリレーも、そんな悪条件でのレースだった。
バックストレートを走る2走の山縣は「若干の向かい風になっているのを考慮して、3走の小池くんが走り出すマークを世界リレーの時より1足か1足半詰めてもらった」という。また、桐生も「小池くんとちょっと向かい風がきついなと話しをして、(自分の)スタートのマークを半足詰めた」とギリギリまでバトンを渡す位置の調整を行なった。
それでもレースではハプニングが起こる。1走の多田と2走の山縣のバトンパスが少し詰まり、山縣の手は最初に多田の手首を触ってしまった。それでも焦らず対応できたのは理由があるという。
「2日くらい前のミーティングでみんなで話していた」と山縣が振り返るように、詰まり過ぎたらどうするのか、手を握ってしまったときに受け手側、渡す側はどうするべきかを、過去の映像を見て対策を話し合った。
「手を握られてしまったときに渡す方は抜こうするし、受け手は探そうとするのでそこでズレが起きる。だから、そういうとき、受け手側は手を動かさずに固定して、渡す側が一度バトンを抜くなど、調整していくことを徹底しようと話しました。たしかに危なかったし、そこで離れていったら厳しいけど、ふたりの間隔に余裕があったので何とかなりました。今回はこれまでの先輩方のそういう経験を活用させてもらいました」(山縣)
バトンの受け渡しの位置を世界リレーから変えなかったにもかかわらず、多田と山縣の間隔が詰まってしまったのは、多田の走力が世界リレーの時より上がっていたということ。シーズン序盤は、納得のいく走りができなかった多田も、世界リレーをきっかけに調子を上げてきていた。
2走の山縣は同走のガトリンに詰められることなく走り、3走の小池は、ミスをした世界リレーの時のようにバトンの真ん中を握るのではなく、下の方を持って受け取った。
そして、世界リレーで失敗した小池から桐生のバトンパスで、小池は「失敗した映像をよく見て『こうすれば落とさない』と、心の準備をして安全策をとった」という。
また、バトンパスが成功した時をこう振り返った。
「スタンドの歓声がめちゃくちゃ聞こえて、渡した瞬間に歓声が上がったのでちょっと恥ずかしくなりました」
桐生もまた、しっかりと準備をできたことが成功の理由だったと言う。
「位置につくギリギリまで風の様子を見ながら、『こうすればこういう風になるかもしれない』と話すことができたので、向かい風であっても落ち着いてバトンパスができたのだと思います。とりあえず、バトンを落とさずに回れたのでホッとしました」
結果日本は、2位のUSAオールスターズを0秒73突き放し、世界リレーで優勝したブラジルの記録を0秒05上回る、今季世界最高の38秒00でゴールした。
これは、日本歴代4番目の記録だが、2走から4走までが向かい風だったことを考えると、好条件ならば37秒台を出せる力があることを証明した。
山縣も、「もともと、ポテンシャルのあるチームだと自分たちも思っていたので、37秒台を目指していたところもありますが、僕と多田くんのところも、小池くんとのところもまだ少し余裕があった感じがしました。そこを磨いていけば、もっとタイムが出る状態だと思うので、今日はまずまずだったのかなと思います」と納得の表情を見せる。
主力である山縣と桐生がこれまでの1走や3走ではなく、違う区間を走って出した38秒00。世界リレーの反省をしっかり生かしたこの結果は、チームとしてのこの先の可能性を大きく広げるものであった。