大御所WRCメディア、マーティン・ホームズが、長年の経験に基づく独自の視点で切り込むMartin’s eye。今回は、ラリーチリのWRC開催にちなみ、9年前、ブルガリアがシリーズ初開催を遂げた時を振り返る。

今季、WRC初開催を完遂したラリーチリ。FIAがWRCカレンダーに新しい国を加えたのは久しぶりのことだった。最後に加わったのは、2010年のラリーブルガリア。閑散期のスキーリゾートのホテルにHQを設置した雰囲気など、いろいろな意味でラリー界に新風を吹き込んだ。地元のラリー雑誌「Rallyxpress」は先日、当時を振り返る記事を連載している。この頃のWRCは、WRCプロモーターがシリーズをコントロールするようになる前で、FIA総裁のマックス・モズレーが自身のアイディアを注入することができていた。モズレーは、小さな国々には自らの力でWRCに参入するチャンスがないことに気付くと、イベントプロモーターであったジョージ・ヤナキエフとの紳士協定締結に介入した。

2010年のブルガリアは、1973年、2009年のポーランド以来となる旧東ヨーロッパでのWRC開催だった。高速ターマックイベントで、この年のシリーズでは3番目に速度域が高く、ヨーロッパでは唯一、標高2000mを超えるWRCイベントだった。一方で主催の点では、今年のチリのように、誰もが多くのことを学ぶことになった。ステージの天候報告の重要性について主催者の認識が不足していたことは、この点にうまく対処したシトロエンが上位4台を独占したことにもつながった。さらに、国内選手権を併催したことも主催者側の失敗だった。ファンにとっては、低コストで観戦できる魅力的なイベントであったが、残念ながらこれまでのところ1回のみの開催となっている。

ラリー開催からまもなく、ヤナキエフは病気により逝去しているが、その死は彼がこよなく愛したブルガリアでWRCを開催する奇跡を起こすほどに尽力したことによるものだとして知られている。




(Martin Holmes)