連載第2回 新リーダー論~青年監督が目指す究極の組織 大阪の藤井寺駅からほど近い藤井寺一番街商店街のアーケードを少し…

連載第2回 新リーダー論~青年監督が目指す究極の組織

 大阪の藤井寺駅からほど近い藤井寺一番街商店街のアーケードを少し歩くと、「ふじ清」という寿司店がある。業態はテイクアウト中心ではあるが、少数ながらカウンター席も用意されている。

「東京からですか。わざわざすんません」

 店主の清水孝悦(たかよし)が労ってくれる。「まいど」「いつもおおきに」。常連客と雑談を交わしながらも、手を休めず寿司を握る。

「これ、うちの自慢なんですわ」

 そう言って出してくれた一皿は、ふじ清の人気メニュー「山菜巻き」だった。接客が一段落すると、清水があがりも用意してくれる。そして、カウンター席に腰を下ろし、嬉しそうに教えてくれた。

「平石も好きなんですわ、山菜巻き。うちに来たら必ず食べてくれます」



高校時代は名門・PL学園の主将として2度甲子園に出場した楽天・平石監督(写真右)

 清水は楽天の平石洋介監督の大先輩にあたり、恩師でもある。

 自らもPL学園の出身。1984年には、主将として当時2年生の桑田真澄、清原和博の「KKコンビ」らメンバーを牽引して春夏連続で甲子園に出場し、ともに準優勝を果たしている。

卒業後は同志社大を経て、父が切り盛りする実家のふじ清を手伝いながら、PLのコーチを14年間、務めた。教え子のなかには阪神の福留孝介や現在、平石のもとでプレーする今江年晶らプロ野球選手も多い。

 その清水を平石は、「何かあったら、家族以外では真っ先に相談する方」と全幅の信頼を寄せる。しかし、入学当初まで遡れば、当の本人は平石の印象を「あんまり、ないかな……」と、正直に答える。

 大阪の強豪ボーイズ「八尾フレンド」(現・大阪八尾ボーイズ)出身であること。抜け目ない走塁など、1年生ながらセンスの高さを披露していたことはなんとなく覚えているが、それは「平石だから」というより、質の高い野球を学んできたのだろうと、八尾フレンド出身者の共通認識でしかなかった。

 記憶しているのは人間性だ。相手の気質を見極めようと努める平石を、清水はこの時から漠然ながらも察知していた。

「まず、平石は男前でしょ。せやから『お前、男前な顔してんなぁ。どこから来たんや?』って聞くと『八尾フレンドです』と。八尾(フレンド)の子は野球に慣れていますから、入学した時から雰囲気を出しよるんです。打席で足場をならして間を置くとかね。だから、最初に『調子に乗るな!』ってガツーンといわすんですけど、平石にはしなかったですね」

 平石が1年生の秋に左肩に深刻なケガを負い、PL学園野球部を退部する瀬戸際にいたといった内情も、清水は仔細に把握していたわけではなかった。あくまでも「ひとりの1年生」として見ていたわけだが、そこには清水の一貫した指導理念が関係している。

「誰かの役に立つ人間になれ」

 清水という指導者は、高校時代やプロで実績を残した選手からも畏怖の対象とされる男だ。本人も「顔もいかついし、嘘も隠しもせんとものを言うし、態度もデカいし」と、自嘲気味に認めていることだが、そんな気骨ある男は絶対に人を見捨てない。

 レギュラーを特別扱いせず、ベンチ外メンバーにも目を光らせ、いいものはいい、悪いものは悪いと全力で選手とぶつかってきた。「人として」「男として」。そんな話題になると、清水の語調はますます熱を帯びる。

「ケガをした、試合に出られないといっても、人間、必ず人の役に立てることがあるわけじゃないですか。僕の選手時代は、(同学年が) 甲子園で10人くらいメンバーから落ちてるんです。でも、そんな奴らもバッティングピッチャーやったり、キャッチャーをやってくれたり、いろんな手助けをしてくれた。そういうチームをつくらないかんのですよ。

だから、コーチになってからは必ず選手に言いました。『プレーだけがすべてじゃない』って。それも、みんなの前で。一人ひとりに言うてもダメなんです。『あいつに言っているんやな』と思われたら終わりです。『ホンマに、自分に言うてくれているんや』と感じてもらわないと、PLの野球部は成り立たんかったのですわ。チームがバラバラやったら勝てんのです」

 この清水の信念と平石の人間性が交錯し、絆を深めていくようになったのは、平石が主将に任命されてからだ。

 選手間での投票では満場一致で選出されながらも、平石自身は「控えの主将」という立場に後ろめたさがあったというが、この人選には清水も異論は皆無だった。それは、平石の人を見る能力を知っており、次第に彼の芯の強さを理解していったからだ。

 日に日に、清水は平石との絆は強まっていくが、「こいつやったら大丈夫や」と確信した出来事があった。

 ある日、主軸の大西宏明(元オリックス)が練習中に思うようなプレーができず、ふてくされていた姿を見かねた清水が、『走って、頭を冷やしてこい!』と命じた。グラウンド外周をランニングしていた大西は、それでも不満があったらしく、走る速度が徐々に落ちていくのは明白だった。

 そこで清水は、大西ではなく主将の平石を呼びつけ、怒鳴りつけた。

「お前は同級生にもものを言えんのか! チームをうまくまとめられてないやんけ!」

 すると平石は、大西めがけて走り出し「なめとんのか!」と戒めたというのだ。ただの叱責ではない。それは、強烈な”指導”だった。主将の姿勢に触れた清水は、あらためて平石の芯の強さ、覚悟を確信した。

「過去もたまにやっていたことなんですけど、あれは平石を試してもいたんです。どんな立場であっても、同級生に『アカンことはアカン!』と言えるキャプテンじゃないと務まらないですから。あの時の平石はね、あの男前の顔で激高しよったんです。レギュラーだろうが控えだろうが関係なく、『こいつはおとなしそうなヤツやと思っていたけど、ええ芯を持った男やな』って思いましたね」

 清水いわく、教え子のなかでコーチである自分にはっきりと意見を述べてきた主将は、「福留と平石だけ」だという。

「何かを感じたら解決せずにはいられないタイプ」と、清水は平石の人間性を見抜く。試合前から戦術面で意見を交わし、グラウンドではランナーコーチとして清水や監督の意向を整理し、選手たちに指示を与える。とくに3年の春のセンバツ大会を最後に中村順司が監督を勇退してからは、その傾向が強まったと、清水は振り返る。

「『俺がやらなアカン』って、あいつが腹を決めたのかもわかりませんね。試合に出ないほうがキツイわけやからね。出ていれば自分のプレーに集中できるけど、みんなを動かさなあかんわけやから。それが、18歳の頃から平石には培われているわけですよ」

 清水が手に持っていたあがりを口に含み、PL学園時代に平石と格闘してきた日々を手繰り寄せるように、ふうっと息を吐く。

「これは、平石には言ってないですけど……」

 そう呟き、清水が教え子に想いを馳せる。

「平石っていう人間が、僕のなかでどんどん大きくなっていったんですね。『腹決めてやれ。勝つも負けるも、お前の腹ひとつやで!』って、僕も滾々(こんこん)と説いてきたし、ふたりでいろんな話をしながらチームをつくってきて、いい形にできあがった時には、平石がすごく大きな存在になっていました」

 PL学園の精神。清水の薫陶は、今の平石の骨格を形成している。

 今年の開幕戦。昼間に清水の携帯電話が鳴った。「開幕の日やぞ!」。画面には、楽天の監督の名が映し出されていた。

「気合を入れてほしくて」

 自分が認めた男の気概を受け取った清水は「楽天にとって大事な日に……」と溢れ出す感動を抑制し、声を張った。

「その気持ちがあれば十分や!」

 気合いを注入した翌日。平石が監督として初勝利を飾った。この時は、携帯からメールで、祝辞とともに激励を贈った。

 <おめでとう。常に選手に感謝やぞ。絶対に忘れんなよ>

 ふじ清の店主の割烹着からは、楽天のTシャツが見える。試合も逐一チェックしていることは、会話をしていればすぐにわかる。

「今年の楽天は粘るでしょ。諦めんのですよ。嶋(基宏)なんかを見ていてもね、男をかけているでしょ。それはね、平石の指導力、色が出ているからです」

 自嘲する強面の顔がほころぶ。そうかと思えば、すぐにPL学園OBが恐れおののく表情をつくり、藤井寺の寿司店から気力を発する。

「油断せんと、腹決めて戦ったもんは絶対に強いですから。平石が守りに入ったり、ちょっとでもそういう姿が見えたら言いますよ。『初心を忘れんな!』って」

つづく

(=敬称略)