神野プロジェクト Road to 2020(30)エチオピア合宿編 4月5日から5月1日に帰国するまで25日間、神野大地はエチオピアで合宿を行なった。エチオピアは東アフリカに位置し、今やケニアと並んで世界的に優れたランナーを輩出する国のひと…

神野プロジェクト Road to 2020(30)
エチオピア合宿編

 4月5日から5月1日に帰国するまで25日間、神野大地はエチオピアで合宿を行なった。エチオピアは東アフリカに位置し、今やケニアと並んで世界的に優れたランナーを輩出する国のひとつだ。ローマ五輪(1960年)、東京五輪(1964年)のマラソン金メダリストであるアベベ・ビキラを生んだ国であり、5000m、1万mのトラック世界記録保持者のケネニサ・ベケレの母国でもある。



エチオピア合宿を終え、充実した表情を見せる神野大地

 今回、神野がエチオピアを合宿地に選んだのは、ケニア以外の合宿候補地としての適性を判断し、6月からのマラソン練習に向けての体づくりがメインである。エチオピアでの合宿は、どんな成果を挙げることができたのだろうか。

「エチオピアは、練習環境だけで言えば、今まで合宿してきたケニアも含めたなかで一番よかったです」

 神野は満足した表情を浮かべて、そう言った。

 エチオピアの合宿地スルルタは首都アディスアベバから車で40分ぐらいのところにあり、標高は約2700m。ケニアの合宿地より400mほど高い。そこでゼーン・ロバートソン(ニュージーランド)の家に泊まり込んでの合宿になった。

「本当に練習環境が最高でしたね。スピード練習とかは2700mにあるトラックでやりました。タータンの全天候型で、日本で言えば富士山の7合目にトラックがある感じです。近くには芝のコースもあって、朝はもっぱらそこでジョグをしていました。ロングランのコースは標高2000mまで下るんですが、ロードでは永遠に走っていけるようなフラットなコースがありました。また、赤土のコースでは車がほとんど通らないアップダウンのあるコースがあって、僕はそこで2回30キロ走をやりました。ほかにも3000mのコースがあるし、本当に走るコースが豊富でしたね」

 練習環境は申し分ないが、生活環境はもうひとつだったようだ。

 断水が2日間続き、1日に必ず計画停電があり、3日間続いたこともあった。そのため、練習後のシャワーは毎日ほとんど水だった。食事はピザなど500円程度で食べられるおいしいレストランがあるが、自炊するとなると新鮮な肉や野菜を確保するのが難しかった。首都には大きなスーパーマーケットがあるが、合宿地周辺はコンビニレベルの店しかなく、常に品薄だったという。

 また、ケニアはランナーが多いので人の視線を感じることはなかったが、エチオピアはランナーもアジア人も多くないので、神野はよく中国人と間違われ、地元の人の鋭い視線に少し恐さを感じることもあった。夜になるとなぜかインターネットがつながらず、神野はやることもないのでいつも8時半ぐらいには就寝していたという。

「ほんと走って、食べて、寝るだけの生活でした(笑)」

 1週間のスケジュールは、3日間はポイント練習でスピード練習、ロングラン、ダッシュと20キロの距離走など強めの練習をする。残りは、ジョグやフィジカルトレーニングに充てた。神野は当初、1日3部練習を想定していたが、現地に入るとゼーンから2700mでの高地トレーニングについて説明があり、2部練習に切り替えたという。

「ケニアは2300mでエチオピアは2700m。たった400mしか違わないんですけど、ゼーンから『その400mの差は大きい。疲労感がまったく違うぞ』って言われたんです。だから、最初の2週間は無理せずに抑えて練習をしていました。

 実際、2700mはめちゃくちゃキツかった。最初はキロ3分45秒のジョグでさえきつくて……。400mの差だけど、1000mから2000mに上がった時ぐらいの差を感じるんです。2週間目に入るとけっこう疲れが出て、ゼーンのいうことが正しかったんだと思いましたね」

 一般的に2700mの高地ではSpO2(血中酸素濃度)が下がり、体に大きな負荷がかかると言われている。具体的に、走っているとどんな影響が出るのだろうか。

「日本で走っていると徐々にきつくなって、最後にマジできついって感じになるじゃないですか。でも、ケニアもそうですけど、エチオピアは走っていて余裕だなって思っていると、突然バーンってしんどくなるんです。乳酸がいきなりマックスになるみたいな(苦笑)。心肺のきつさというよりも、エネルギーが体に行き渡っていないような状態になって、体が動かなくなるんです。体が動かなくなるとあとの練習にも影響するんで、ペース設定とか最初は非常に難しかったですね」

 ペース設定は、たとえば1000mのインターバル走でケニアでは1分程度のリカバリーだった。エチオピアでも最初は1分30秒で設定していたという。

「それじゃとてもスタートできる状態じゃなかったですね。もう1回、レースペースに近い状態で走るためには、リカバリーをおろそかにできないんです。疲れて練習にならなくなってしまうんですよ。だからセットに分けて、セット間は長めにリカバリーを取るなど工夫しました。

 しかも、ケニアもエチオピアもリカバリーをジョグでつなぐとかしないんです。歩いて休むんですよ(笑)。で、もう1回トップスピードで走れるようにします。リカバリーでジョグしてしまうと、たとえば10本やろうとしていたのがきつくて7、8本で終わってしまうんで、インターバル走の質を保てるようにリカバリーをしっかり取っていました」

 練習は、ゼーンが故障明けで神野と同じ質の内容だったので、一緒に走ることが多かったという。また、徒歩1分ぐらいのところにモハメド・ファラーがロンドンマラソンのために合宿をしていたので、練習に参加した。

 朝練習は20キロのジョグだったが、3分40秒ペースで走り、神野曰く「ジョグという名の距離走」だったと言う。ロンドン五輪(2012年)、リオ五輪(2016年)の5000m、1万mの二冠王者の練習は刺激的だったが、神野の関心のひとつは、なぜファラーがエチオピアを合宿地に選んだのかということだった。

「ファラーが言うには、ケニアは(標高)2300mだけどエチオピアは2700mなのでその標高で走れる場所はここしかないというのがまず理由のひとつ。ケニアはアップダウンが多いけど、エチオピアはフラットなコースが多いんで、練習の質を上げられる。あと、エチオピアはランナーが少ないので練習に集中できると言っていました。ケニアはランナーだらけなんで、そこにいるとたくさんの人が集まってきて、練習に集中できないみたいですね」

 世界のトップランナーと一緒に走り、質の高い練習に触れた。練習後、いろんなことを語り合うなかで同じランナーとして感じることが多々あったと神野は言う。

「ケニアで1カ月半ぐらい、エチオピアでは25日間しか滞在できなかったんですけど、本当に世界のトップを目指すのではあればそこに住むか、あるいはファラーのように3カ月の合宿が必要になってくるのかなと感じました。エチオピアの環境で3カ月住んで練習する覚悟は相当なものがある。結果など自分が求めているものが高いからこそ3カ月、頑張れるのかなと思いましたね」

 トップアスリートは、オンとオフのメリハリをつけるのに長けているのもあるが、練習に取り組む集中力がすごい。ファラーのように3カ月、停電などいろんなことが起こる場所でも質の高い練習を常にこなしている選手は、それをしっかりと結果につなげている。

 実際、エチオピアでマラソンの調整をしてきたファラーはロンドンマラソンに出場し1位のエリウド・キプチョゲ(ケニア/2時間2分37秒)、2位のモジネット・ゲレメウ(エチオピア/2時間2分55秒)には及ばなかったが、5位(2時間5分39秒)に入賞している。

「スポーツによっては、練習時間が短くても強くなる人がいるし、感覚的にやれてしまうことがあるかもしれないけど、陸上……とくに長距離で強い選手は相当練習しています。キプチョゲもすごく練習していると聞いていますし、強くなるためには練習が必要だというのは今回、ファラーを見たり、トップ選手の言葉を聞いたりして、あらためて思わされました。練習しなきゃ100%速くも強くもなれないです」

 アスリートにとっては、普遍的なことにあらためて気づくことも大事なことだ。気づきは、選手の意識を変え、意識が変わると姿勢が変わる。強くなるためにより貪欲になる。神野はファラーの練習やエチオピアでの練習スタイルを見て、刺激を受け、自分の練習にも取り入れてみようかなと思ったことがあったという。

 それは、いったいどういうものなのだろうか--。