PROFILE 間宮佑圭(まみや・ゆか)1990年4月3日生まれ、東京都出身。力強いインサイドとリバウンドで体を張り、ペイント付近で得点を重ねるプレーヤー。日本代表に欠かすことのできない大黒柱として、年々その存在感を増している。2013年ア…

PROFILE 間宮佑圭(まみや・ゆか)1990年4月3日生まれ、東京都出身。力強いインサイドとリバウンドで体を張り、ペイント付近で得点を重ねるプレーヤー。日本代表に欠かすことのできない大黒柱として、年々その存在感を増している。2013年アジア選手権ではベスト5を受賞。愛称はメイ。

粘りと我慢の末に「やっとつかんだ」リオ五輪

今年の女子日本代表は史上最強のインサイドを擁している。今シーズンに入って得点面で好調の髙田真希(183cm)、フックシュートとディフェンスで貢献するベンチプレイヤーの王新朝喜(189cm)、走力と高さを兼備する日本のエース渡嘉敷来夢(193cm)。そして、このインサイド・カルテットを支える大黒柱が、攻守にわたる粘りが持ち味の間宮佑圭(184cm)だ。

間宮が特に力を発揮するのは、チームが苦しんでいる時間帯だ。相手に流れを渡したくない時、ここ1本で決めたい時は、決して派手なプレイではないが、リバウンドやポストプレイで繋いで窮地を救う。試合を通して崩れることのないその存在感は絶大である。

昨年の夏、リオ行きをかけたアジア選手権で、WNBA参戦のためにチームに直前合流となった渡嘉敷を支えたのが間宮だった。渡嘉敷はWNBAと日本の戦術面の違いにより、適応するのに大会中盤まで時間を要していた。間宮自身もシュートタッチがそれほど良かったわけではなく、我慢の連続でしのいでいたのだが、それでも「私がタク(渡嘉敷の愛称)に合わせるからタクは自由にやっていい」という力強い言葉でエースを奮い立たせた。

決勝の中国戦においても、走力を爆発させて35点という大差(85-50)で勝利したにもかかわらず、「何点離れていようが、あの中国がこのまま終わるはずがないって、試合終了のブザーが鳴るまで私は安心できませんでした。みんなはガンガン走っていましたが、私は中国の長身選手を抑えようと、ただそれだけでした」と、最後まで黒子役に徹した。そして試合終了後、ようやく笑顔を見せて「これで、やっとやっとオリンピックに行ける!」と喜びを爆発させたのだ。

その笑顔には、前回のロンドン五輪を逃した4年分の悔しさから解放された喜びがにじんでいた。我慢の先に「やっと」の思いでつかんだリオがあった。

日本の強力なインサイド・カルテットを支える大黒柱、間宮がその真価を発揮するのはチームが苦しい時間帯だ。

2012年の夏、間宮佑圭はリオ行きを誓う

その悔しさを知る4年前の夏――もし、選手としてのターニングポイントがいつだったかと聞かれれば、間宮にとってはこの時こそが、成長への階段をのぼるきっかけではなかっただろうか。

2012年6月、トルコで開催されたロンドン五輪の世界最終予選。この大会に日本は2回出場しているが、前回の2012年は残り1枚の切符をかけた最終戦まで勝ち進み、カナダに63-71で敗れて目前のところで出場を逃している。この時、間宮は初のスタメンとなり、髙田とともにインサイドで躍動した。それまではジャンプシュートやポストプレイが中心だったが、この大会での間宮はドライブに何度もトライしては成功させ、プレイの幅を広げていたのだ。

しかし、カナダとの決定戦では痛恨のファウルアウトをしたことで「自分のふがいないプレイのせいでチームに迷惑をかけた」と自責の念に駆られていた。当時の取材ノートをめくってみると、22歳と伸び盛りの間宮はこんなコメントを発していた。

「今大会は積極的に攻められましたが、どこでどういうオフェンスを使うかの駆け引きがまだまだだったし、大きい相手に対してファウルをせずに守ることができずに後悔ばかりで、大きな課題ができました。この大会に出てみて、先輩たちがどれほどの気持ちでオリンピックを目指していたのか、その思いの大きさがわかりました。オリンピック予選で負けると、こんなに悔しいなんて……。絶対にこの経験は生かします」

それまで漠然としていた『オリンピック』の存在がかけがえのない目標となり、日の丸を背負う自覚が一層芽生えたのが、4年前の五輪予選だった。

この五輪予選後の間宮の活躍には目覚ましいものがあった。2012-13シーズンのWリーグでは初の得点王に輝き、初のベスト5と初のレギュラーシーズンMVPを受賞。翌2013年はアジア選手権でベスト5に輝き、2013-14シーズンのWリーグではプレーオフMVPを受賞している。ロンドン五輪予選で味わった悔しさは、間宮を確実に一回りも二回りもステップアップさせた。だから間宮はキッパリと言う。

「2020年にオリンピックが東京に決まって、そのことをよく聞かれますが、私はリオなんです。リオの切符をつかむために4年間やってきました。だから今は目の前にあるリオのことだけを考えて戦います」

2020年のことは頭にない。「今は目の前にあるリオのことだけを考えて戦います」と間宮は言う。

リオでも我慢し続けて支える大黒柱

アジアで2連覇を飾ったことにより、日本の女子バスケへの期待値は高まっている。しかし、現実を見れば、1996年のアトランタ五輪以来、どの世界大会でも予選ラウンドを突破したことはなく、まずは予選ラウンド突破が果たすべき第一関門となる。間宮自身も、2年前に1勝もできずに終わった世界選手権での教訓が、いつも頭の中にある。

「あの世界選手権は日本らしいプレーが全く出せなかった。世界のチームはセンターがすごく走って、全体的に体力面が上がってきていると感じました。私はアジアで走れる日本も知っているし、世界で苦戦している日本も知っていて、良い面も悪い面も経験してきました。今回、日本の持ち味を出すためには、世界のフィジカルや高さに慣れて、しっかりと準備をすること。その上で私がやることは、第一にリバウンドを取ること。日本の攻撃回数を増やすことが勝利に結び付くと思っています」

35点差を付けても安心できなかったという、アジア予選決勝の中国戦でも慎重に戦っていた間宮に言わせれば、「世界との対戦は40分間が我慢との戦い」である。調子が上向いてきたアウトサイドプレーヤーを生かすべく、そして自身も攻め続けるために、我慢を知る女は、ブラジルでも粘りに粘ってチームを支え続ける覚悟だ。

飄々としたイメージのある間宮だが、その実は「我慢を知る選手」であり、大黒柱としてチームを支えられる理由となっている。