平成スポーツ名場面PLAYBACK~マイ・ベストシーン 【2010年11月 大相撲九州場所 稀勢の里vs白鵬】 歓喜、驚愕、落胆、失意、怒号、狂乱、感動……。いいことも悪いことも、さまざまな出来事があった平成のスポーツシーン。現場で取材をし…

平成スポーツ名場面PLAYBACK~マイ・ベストシーン 
【2010年11月 大相撲九州場所 稀勢の里vs白鵬】

 歓喜、驚愕、落胆、失意、怒号、狂乱、感動……。いいことも悪いことも、さまざまな出来事があった平成のスポーツシーン。現場で取材をしたライター、ジャーナリストが、いまも強烈に印象に残っている名場面を振り返る--。

 記憶と記録。平成の大相撲は、このふたつがせめぎ合った31年だったように思う。

 平成の前期は、貴乃花と3代目・若乃花の”若貴兄弟”を中心に、曙、武蔵丸のハワイ出身の横綱が真っ向からぶつかり合う、記憶に残る大相撲が毎場所のように展開された。優勝22回と偉大な記録を残した貴乃花。最後の優勝となった2001年夏場所では、ケガをこらえて武蔵丸との優勝決定戦を制した。当時の小泉純一郎首相が「感動した!」と絶叫したように、間違いなく記録より記憶に残る大横綱だった。

 史上初の兄弟横綱が引退したあとは、朝青龍、白鵬、日馬富士、鶴竜のモンゴル出身横綱が土俵の主役に君臨。史上最多の7場所連続優勝を果たした朝青龍と、歴代1位の優勝42回、歴代最多の1120勝など数々の記録を塗り替え続ける白鵬がクローズアップされる時代へと変わった。

 記録と記憶は、一見すると同じでもあるが、一方で相反するような色合いがある。力士たちはこのふたつを土俵で刻みながら、平成の31年を駆け抜けていった。

 その象徴的な戦いが、白鵬と稀勢の里による、2010年九州場所2日目の結びの一番だった。輝かしい記録を築く白鵬と、優勝回数は2回ながら鮮烈な記憶を残した稀勢の里。お互いの相撲観をぶつけ合うような緊張感あふれる激突は、平成の大相撲史の中でも忘れられない名勝負だった。



2010年の九州場所で、白鵬の連勝記録を止めた稀勢の里

 この年、白鵬は、ずば抜けた強さを見せつけていた。初場所14日目から62連勝の負け知らずで、春場所から4場所連続で全勝優勝を達成した。夏場所後に野球賭博事件で元大関・琴光喜、大嶽親方(元関脇・貴闘力)が解雇され、他にも大量の処分者が出るなど不祥事が土俵を直撃。肝心の土俵が色あせた時に、白鵬は孤軍奮闘で本場所を盛り上げていた。

 名古屋場所後に退任した武蔵川理事長(元横綱・三重ノ海)に代わって就任した、当時の放駒理事長(元大関・魁傑)が何度も「白鵬が土俵で頑張ってくれなかったら協会はもたなかった。白鵬の頑張りがファンの目を土俵に戻してくれた」と繰り返していたほど、白鵬の記録は信頼を失墜した国技の唯一の救いだった。

 迎えた九州場所。初日から7連勝を飾れば、1939年初場所で双葉山が残した69連勝という「不滅の記録」に並び、さらに勝ち星を伸ばして前人未到の金字塔を樹立するかに注目が集まっていた。場所前から、白鵬は敬愛する双葉山の記録を更新することに意欲を示し、周囲も71年ぶりに連勝記録が塗り替えられることに疑問を持っていなかった。

 初日に栃ノ心(当時の西小結)をいとも簡単に投げ捨て、江戸時代の伝説の横綱・谷風の63連勝と並んだ白鵬は、翌日に当時の東前頭筆頭だった稀勢の里と相対した。貴乃花に続く17歳4カ月の年少記録で、2004年夏場所に新十両に昇進するなど”期待のホープ”だった稀勢の里。しかしこの場所は、4場所守った三役から落ちたばかりで、期待とは裏腹に「伸び悩み」が指摘されていた。

 下馬評は圧倒的に白鵬が有利だったが、軍配が返ると状況は一変した。稀勢の里が捨て身で頭から当たると、白鵬が後退。激しい突き押しに最強横綱が冷静さを失い、不用意な張り手を繰り出した。稀勢の里が、白鵬の脇が甘くなった隙をついて左を差すと、右上手を引き、白鵬の左からの下手投げをこらえ、そのまま正面に寄り切り殊勲の金星を挙げたのだ。

 当時の館内は今のような満員御礼ではなく、不祥事の連続で相撲人気が低迷していた影響で閑散としていた。そんな中、溜まり席で座り込んだ白鵬の苦笑いが、連勝記録がストップした痛恨の黒星を象徴していた。

 そして、東支度部屋で着替えたあとに「これが負けか」とつぶやいた瞬間は忘れられない。その言葉には、記録に執着する横綱の思いがあふれていたからだ。一方の稀勢の里は、内心では喜びを叫びたかったに違いないが、感情を抑え、「思い切っていきました。実感が湧かない」と普段どおりに記者の質問に応じた。

 連勝記録は途絶えたものの、白鵬はこの場所を優勝し、翌年の初場所も制して自身初の6場所連続Vを飾った。一方の稀勢の里は、この場所は10勝5敗で三役復帰を決めたものの、大関昇進までの道のりは長かった。ようやく1年後の九州場所で、場所前に師匠の鳴戸親方(元横綱・隆の里)が急逝した悲しみを乗り越え、大関昇進を決めた。

 そこから横綱に上り詰めるまでは、さらに約5年もの月日を要した。常に白鵬を筆頭としたモンゴル勢が壁となり、幾度となくはね返される失意の日々でも、稀勢の里は「絶対に逃げない」という自らの信念を貫いた。

 その真摯で不器用な生き方がファンの共感を呼び、その声に押されるように2017年の初場所で初優勝。そして、横綱昇進後に初めて土俵に上がった春場所で、左胸と腕に重傷を負いながら達成した涙の優勝につながった。結局、優勝はその2回に終わったが、いずれも平成の名場面と言える鮮烈な記憶を土俵に刻んだ。

 白鵬が今も最強横綱として君臨している一方、稀勢の里はケガの代償が大きく、今年の初場所で引退した。白鵬の42回の優勝という大記録と、稀勢の里が残した記憶の数々。記録か記憶か。あの9年前の九州でぶつかったふたりの名勝負は、令和の力士への問いかけでもある。