平成最後のサンウルブズの試合は、よもやのつらい結果となった。スーパーラグビ-(SR)参入4年目にして初めての零封負けで、3連敗の2勝8敗。冷たい小雨の中、1万3千人余の観客の落胆とため息を誘った。「空白の2年間」を乗り越え、W杯での日本代…

 平成最後のサンウルブズの試合は、よもやのつらい結果となった。スーパーラグビ-(SR)参入4年目にして初めての零封負けで、3連敗の2勝8敗。冷たい小雨の中、1万3千人余の観客の落胆とため息を誘った。


「空白の2年間」を乗り越え、W杯での日本代表入りを狙う山中亮平

 

 何のために戦うのか。何のために勝ちたいのか。いわばチームの大義が揺らいでいる。サンウルブズはSRからの来年度限りの除外が決まり、前日には2021年度からのトップリーグの改革案も発表された。選手たちにとっては、勝負に集中できる状況ではなかったろう。

 4月26日夜の東京・秩父宮ラグビー場。サンウルブズは、ハイランダーズ(ニュージーランド)に0-52の惨敗を喫した。試合後の記者会見。敗因を聞かれたトニー・ブラウンHC(ヘッドコーチ)は憔悴した顔で、「メンタル的な準備ができていなかった」と繰り返した。

「前半40分、すごくがっかりした。毎週、ベストなコンディションは難しい。平均以下のパフォーマンスだったので、50点差がついてしまった」

 確かに、ラグビーという競技は「心・技・体」の「心」の部分が大きくものをいう。闘争心だ。もちろん、サンウルブズは日本代表とは違う。でも、あえてゲームキャプテンのLO(ロック)トンプソン・ルークに聞いた。この試合から日本代表につながるものは? 

「僕らは日本代表とはまったく違うチームです。ただ、ベストじゃなければ、ニュージーランドのチームにこうやって50点差をつけられて負ける。受けていた。すべての部分で落胆しました」

 サンウルブズの選手も必死にからだを張ってはいるのだろうが、プレーオフ進出を目指すハイランダーズと比べると、戦う気概という点で見劣りした。接点の攻防、ブレイクダウンの激しさ、タックルの確実性、2人目のサポートプレーで後手を踏んだ。ハンドリングミスはともかく、そのミスしたボールへの反応も相手がはやかった。

 加えて、ゲームの基盤となるスクラムである。日本代表候補で編成する「ウルフパック」のそれとは一体感が違った。フロントロー陣3人の押す方向が微妙に違い、うしろ5人(ロック、フランカー、ナンバー8)との連携にゆるみがみえた。だから、ヒットした後、相手フォワードに押し返される格好となった。

 開始直後、一発目の相手ボールのスクラムで組み負け、コラプシング(故意に崩す行為)の反則をとられた。タッチに蹴り出され、そのラインアウトからのモールを押された後、左右に展開され、ラックサイドを突かれて先制トライを奪われた。

 前半10分頃のマイボールのスクラムでは、押されてターンオーバー(ボール奪回)され、最後はオープン展開から2本目のトライを許した。そこからさらに悪循環に陥る。

 スクラム、接点でも圧力を受け、後手、後手に回る。いつもは超ポジティブな右PR(プロップ)山下裕史も、前半27分で交代した。けがを心配した記者の質問に、山下は「超元気ですよ」と明るく言い放った。

「入りが悪かった。セットプレー(スクラム、ラインアウト)で相手のFWを勢いづかせてしまった。どうしようもないですね」

  FWが劣勢に回れば、相手のSH(スクラムハーフ)ニュージーランド代表の名手アーロン・スミスの力がより生きる。惚れ惚れする長短のパスのスピード、正確さ、鋭いランプレー。密集サイドのディフェンスをほんろうされてしまった。

 そうは言っても、大敗にも”一筋の光明”はあった。秋のラグビーワールドカップ(RWC)の日本代表メンバー入りを目指すFB(フルバック)山中亮平の安定したプレーである。

 キックオフ直後、高々と上がったパントキックにも、からだを張ってジャンプ一番、好捕した。加えて戻りのタックル。大きく地域を挽回するタッチキック。そして思い切ったランで何度か、大幅ゲインもした。

 プレーの安定の理由を問えば、山中は少しうれしそうな顔つきになった。

「毎試合、同じように、プレーに波がないよう、考えています。それは、できているのかと。それと、迷わず、決めたら行く。中途半端なプレーだけはやらないでおこうと心に決めています」

 この安定感は、神戸製鋼のFBとしてトップリーグで優勝した昨年度、名将ウェイン・スミス総監督のもと、名スタンドオフのダン・カーターとともにプレーした自信からだろう。FBとしての責任感も備わったようにみえる。さらに言えば、RWCメンバー入りへの熱意の表れでもある。

「ジェイミー(ジョセフ日本代表)HCが、2月から一貫性というのをずっと言っているので」

 もう30歳となった。188cm、95kg。天賦の才に恵まれながら、平坦ではないラグビー人生を歩んできた。己の不注意によるドーピング(※)で2011年から「空白の2年間」を過ごした。どん底だった。その時、故・平尾誠二さんから掛けられた言葉が「我慢しろ」だった。

※口ヒゲを伸ばすために使用した育毛剤に禁止薬物が含まれていたため、2年間の資格停止処分を受ける

 試合後のミックスゾーン。その話題におよぶと、山中は神妙な顔で「あの頃は、その言葉があったから、頑張れました」と漏らした。

「それがなければ、僕はラグビーを続けられていなかったと思います」

 しばしの沈黙。RWCの日本代表メンバー入りは見えているのか。

「この調子で、1試合1試合、結果を残していければ、イケると思っているので…。アピールし続けていきたいなと思います。しっかり頑張って、(故・平尾さんに)恩返しするだけです」

 恩返しとは、故・平尾さんが夢見ていたRWC日本大会、その出場であろう。自身の境遇に最善を尽くす人生。いろんな苦難も喜びもただかみしめて、円熟の山中はRWC代表入りをアピールし続けるのである。