日本記録に迫る成績でアジア選手権を征した橋岡優輝

 4月21日からカタールのドーハで開催されたアジア選手権大会の最終日、男子走り幅跳び決勝で橋岡優輝(日大)は見事な勝利をもぎ取った。

「ここでアジアチャンピオンになって、9月末からこのドーハで行なわれる世界選手権の参加標準記録(8m17)を跳ぶというのが一番の目標だったので、それを達成できたのはよかった」

 こう話す橋岡は、前日の予選では2本目に7m81を跳び、7m86の張耀廣(中国)に次ぐ2位で決勝進出を果たしていた。

 決勝ではしっかりと調子を上げきた。風は前日より弱く、時には向かい風にもなる条件だったが、1本目に7m97を跳び、2本目は黄常洲(中国)次ぐ2位につける展開になった。しかし、3本目には0.4mの追い風で、自己記録にあと1cmに迫る8m08を跳んでトップに立ち、流れを掴んだ。

「予選では、走り出すときにお尻やハムストリングの大きな筋肉を使えていなかったですが、今日はそれがしっかりできていました。ただ4本目は、お尻が使えなくて足先だけの空回りした助走になって、踏切も合わなかったので走り抜けてしまいました。あの時は追い風1.5mの一番いい風だったけど、やらかしちゃいましたね」

 条件もよく勝負を決められるチャンスではあったが、ミスをしてしまったと苦笑い。5本目も7m92と安定したジャンプをしたものの、8m29の記録を持つアジア競技大会2位の張に8m13を跳ばれて逆転されてしまった。

 そんな追い込まれた状況でも、最後の6本目は追い風0.5mの中、スピード感溢れる跳躍で、8m22を跳び再逆転と勝負強さを見せた。

 この記録は、彼が指導を受ける森長正樹コーチが1992年に跳んだ8m25に次ぐ日本歴代2位の記録。

「最後に跳ぶ中国の選手は自己記録も僕よりずっと上だったので、油断してはいけないというのも心の中にあった。だから自分が8m22を跳んでも喜べなかった」

 こう振り返る橋岡は最後の張の跳躍がファールで終わると、やっと両手を突き上げて喜びを表した。

「自分ができるジャンプをできれば、日本記録も超えられるだろうし、逆転もできると思っていたので、焦りはありませんでした。しっかりと標準記録を超えて逆転して勝つことができたので。自分の跳躍に対して、より自信を持てる試合になった」

 橋岡は、優勝が決まった瞬間「日本記録に3cm届かなかったんだ」と悔しさを感じたと振り返る。

「日本記録を超えられなかったので、達成感としては50%くらい。ただ、今回は勝ち切れてうれしかったけど、記録に対して悔しさが残ったのはよかったかなと。今までも僕はベストを出すと、そのあたりに記録が落ち着くことが結構あるので、これからも(今回出した8m)20くらいは跳べると思います。今シーズンのうちには8m30の後半まで跳びたいという思いはあるので、まだまだいけるという感覚はあります」

 昨年までは1試合の中での記録の幅は大きかった。だが今回は7m81が最低で、ファールは1回だけと安定していた。

 そんな橋岡は陸上界のサラブレッドだ。父親の利行さんは棒高跳びの元日本記録保持者で、日本選手権は7回優勝している。また、母親の直美さん(旧姓・城島)も中学時代から走り幅跳びや100mハードルで活躍していた100mハードルの元日本記録保持者で、日本選手権は100mハードルで2回、三段跳びで3回優勝した実績を持つ。

 その息子である彼自身は、中学時代から陸上を始めて、高校から走り幅跳びを中心にすると、17年には、日本陸連が素質のある原石を中・長期的に強化する「ダイヤモンドアスリート」に抜擢された(現在は修了生)。日本選手権は17年、18年と連覇しており、昨年7月のU20世界選手権では、日本人フィールド種目初の優勝者になるなど、着々と実績を積み上げている。

 男子走り幅跳びは、かつてはアメリカのマイク・パウエルやカール・ルイスらが、8m80~90超えのハイレベルな戦いを繰り広げた時期があったが、近年は8m30~40に入れば、五輪のメダル争いができる状況になっている。それだけに、橋岡にも東京五輪でメダルの可能性が出てきている。

 今回のアジア選手権は、サブグラウンドとメイン競技場のグラウンドの材質が異なり、踏切板もこれまでとは違っていた。それでも、「そこまで考えることはなかったですね。調子がよければ勢いでいけるし、経験にもなるので。世界にはもっと悪い条件のところもありますから」と気にする様子はない。

 さらに「ここで勝っても、まだ両親には認められないかもしれません。なんせ僕はまだ日本記録保持者じゃないので」と笑う。

 そんな大物感漂う橋岡に、今後も期待せずにはいられない。