澄み切った青空の下、三重県伊勢市にあるダイムスタジアム伊勢の三塁側スタンドで40人を超える野球部員が応援歌を歌って…
澄み切った青空の下、三重県伊勢市にあるダイムスタジアム伊勢の三塁側スタンドで40人を超える野球部員が応援歌を歌っていた。
音程より勢い重視の大合唱を聞きながら、三塁側ネクストバッターズサークル後方のスタンド最前列に座った畑公之は感慨深そうにつぶやいた。
「ほんの数年前まで、あそこには5人くらいしかいなかったのになぁ。父兄も数えるほどしか来ていなかったのにね。もう強豪校みたいですよね」

春季三重県大会で初戦を突破したが、2回戦で敗れた白山高校
畑は三重県立白山高校の正門から歩いて2分という近所で、クリーニング店を経営している。かつては部員不足のため活動しているかも怪しかった野球部のグラウンドから、打球音が店まで聞こえてくるようになった。そして野球部の監督に久居高校時代の同級生である東拓司が就いたことを知り、畑は「家城地区一番の野球部応援団長」になった。
昨夏は菰野(こもの)、海星といった強豪校を次々と破り、「想像すらしていなかった」という甲子園出場の瞬間をその目に焼きつけた。8月には甲子園球場のアルプススタンドに足を運び、夢のような時間を過ごした。そんな経緯を目撃してきた畑だが、この日のスタンドの熱気を見ても、「強豪校らしくなった」とは言わなかった。
新学期が始まり、白山の野球部には30人の新入部員が入部した。ただの30人ではない。1学年の定員120人が埋まらない学校の30人である。女子マネージャーを合わせれば3学年で部員71人の大所帯になった。それでも、練習試合にも頻繁に足を運ぶ畑の目には、白山はまだまだ未熟に映っているようだった。
4月14日、この日は春季三重県大会1回戦が開かれていた。中勢地区予選を敗者復活戦から勝ち上がった白山の相手は、近年めきめきと力をつけている木本(きのもと)である。かつては「黒潮打線」の異名をとどろかせた古豪で、昨秋は三重県ベスト8まで勝ち上がっている。
木本を率いるのは26歳の青年監督・川邊優治である。
「夏の白山の快挙は、僕にとっても刺激になりました。東先生にはいろいろと教えていただいていますし、連絡も取らせてもらっているんです。木本のある牟婁(むろ)地区から甲子園に出たチームはまだないのですが、だからこそ僕はロマンを感じるんです。『白山の次はウチや!』と狙っています」

春季大会1回戦の木本戦で好投した白山の2年生左腕・松葉立新
白山監督の東は試合前、「木本、メッチャ打つらしいんですよ……」と警戒心をあらわにしていた。部員は増えたといっても、甲子園をレギュラーとして経験したのは1番・サードの駒田流星のみ。昨秋の県大会は1回戦で鈴鹿に2対5で敗れており、チーム力のなさを痛感していた。
だが、「打ち合いになると思った」という東の思惑とは裏腹に、試合は白熱した投手戦になった。白山先発の松葉立新(りゅうしん)は、120キロ台前半のストレートと緩いカーブで打たせて取る2年生左腕。なんの変哲もないように見えて、この投手には不思議なマウンド度胸がある。
試合後、松葉に投球の出来を聞くと、「今日は悪くはなかったです」と答えた。では、よかったところは?と尋ねると、今度は「今日はいいところもなかったです」と返ってくる。
その後もいくつか問いかけを重ねたが、手応えのある答えがまったく返ってこない。もちろん、ふざけているわけではないのだが、結果的にことごとく芯を外されてしまう感じ。おそらく木本の打者たちも、打席でそんな実感を抱いたのではないだろうか。
昨秋11月の練習試合最終戦では、松葉は三重を代表する名門・三重高を相手に好投している。味方の守備の乱れがあって逆転サヨナラ負けを喫したものの、8回まで2失点に抑えた。松葉にとって「自信になりました」という大きな経験だった。
松葉をリードする捕手の西籔開(にしやぶ・かい)も成長著しい2年生だ。監督の東は「緩いボールも使って、狙い通どおりカウントが取れるようになってきた」とリード面を評価している。西藪は仲のいい友人と進もうと考えていた志望校の受験に失敗し、白山に入学した選手である。昨夏の甲子園はアルプススタンドで応援していた。
「まさか甲子園なんて、考えてもみませんでした。甲子園は今でも夢は夢なんてすけど、決して不可能ではないんだなと思えました」
そう言って、西籔は爽やかな笑顔を見せた。先輩たちの快挙は、後輩たちに確実に自信を植えつけている。
木本との一戦は1対1の同点のまま、延長戦に突入した。10回表、白山の先頭打者としてライト線に三塁打を放ったのは、甲子園経験者の駒田である。
「その前のチャンスで打てなかったので、最低限のことはできたという感じですね」
駒田の言う「その前」とは、5回表に迎えた二死二、三塁のチャンスのことだった。打席に入った駒田は不敵な笑顔を浮かべ、構えに入っていた。結果的にサードゴロに倒れるのだが、いかにも「こんな場面で打席に入れるのがうれしくてしょうがない」という雰囲気だった。
「硬くなったら打てやんかなと思うので。甲子園を経験したことで、多少のことでは緊張しなくなりました」
駒田の三塁打を皮切りに、バッテリーエラーで白山は勝ち越し点を奪うことに成功する。さらに甲子園で代打安打を放って大歓声を浴びた4番・河村岳留(たける)が、詰まりながらセンター前に落とすダメ押しタイムリーで続く。白山は10回表に3点を奪い、試合を決めたのだった。
試合後、東は苦笑いを浮かべて「こんな感じです」と言った。試合に勝ちはしたものの、まだまだ力が足りない。そう言いたかったのだろう。
「バッティングは冬場に振り込んできたんですけど、今日のような軟投派相手だとボールを待ち切れずにハマってしまうんです。でも、経験を積ませたい選手も出せたし、収穫はありました」
この日、白山のスタメンは9人中6人が下級生で占められた。3年生は駒田、河村とショートの強打者・下中宙(そら)のみ。キャプテンとしてチームを束ね、木本戦では代打でバント安打を決めたフィリピン出身のパルマ・ハーヴィーは言う。
「3年生のスタメンは少ないんですけど、夏に勝つためには試合で力を出し切れる選手が必要だと思います。その意味で3年生の力は大事なので、これからもっと力を出し切れるようにしたいです」
打線は湿っていたものの、手堅く守り、粘り勝ちしたように見えた。かつては東が「考えられん!」と嘆くような、信じられないミスや事件が頻発したチームの面影は感じられなかった。

昨年夏、白山高校を初の甲子園へと導いた東拓司監督
昨夏の主力選手のなかには、裸眼ではほとんどボールが見えないのに試合で活躍していた強打者もいれば、軟式用のミットを使ってエラーするファーストもいた。甲子園に行くチームとは思えないエピソードが続出した。
もはや白山は、強豪の仲間入りを果たしたのではないか……と言いかけたところで、東から思いがけない話が語られた。
「今日、途中からファーストで出たヤツは、また軟式用のミットを使ってるんですよ。もう笑けてきますよ」
言われてみれば、途中出場のファーストが送球をキャッチした際、やけにくたびれたファーストミットからボールがこぼれ落ちそうになったシーンがあった。このミットこそ、東が「体育倉庫にでも眠ってたんか?」とあきれる軟式用ファーストミットだった。やはり、白山はいまだに白山のままであった。
試合後、白山のメンバーはエアコンの壊れたマイクロバスで帰路につくことになった。甲子園に出場したことで多くの寄付金が集まり、少しずつ設備は整いつつある。だが、東はシートがところどころ破れ、綻びの目立つマイクロバスを当面は買い替えるつもりはないと言う。
「ウチはこのバスで強くなったようなものですから。いろんな強豪校にお邪魔して、練習試合をさせてもらいました。甲子園に出たからといって、なんでも買い替えるのはどうかなと思うんです。やっぱりハングリーにいかないとね」
バスに乗り切れないメンバーは手配した観光バスに分乗したが、レギュラーメンバーは東が運転するマイクロバスへ。東は「あいつらは観光バスに乗りたいって顔をしとりましたけどね」と笑った。
翌日、ベスト8進出をかけた2回戦で、白山はシード校の近大高専に1対11の6回コールド負けを喫した。当然、夏はノーシードで迎えることになる。
白山野球部にとって、昨夏の甲子園出場はゴールではない。彼らにとっての「下剋上球児・第2章」は、すでに始まっている。