初めての秩父宮ラグビー場、そして初めての明治大「紫紺」のジャージー。「少し緊張していましたが、大暴れしたいと思っていた」 その言葉どおり、3月に男子7人制ラグビー(セブンズ)の日本代表に抜擢されたスーパールーキーは、堂々たる存在感で圧巻の…

 初めての秩父宮ラグビー場、そして初めての明治大「紫紺」のジャージー。

「少し緊張していましたが、大暴れしたいと思っていた」

 その言葉どおり、3月に男子7人制ラグビー(セブンズ)の日本代表に抜擢されたスーパールーキーは、堂々たる存在感で圧巻のプレーを見せた。



石田吉平のステップの切れ味は国内トップクラスだ

 4月14日、東京・秩父宮ラグビー場で第20回東日本大学セブンズ大会が行なわれ、明治大が筑波大、東海大に続いて3校目となる3連覇を達成した。昨年度の大学選手権で22年ぶりに優勝を果たした明治大は、7人制ラグビーでも強さを発揮。明治大を率いる田中澄憲監督は、チームのMVPに入学したばかりの新1年生・石田吉平を選んだ。

 初戦の中央大戦、石田は自チームがシンビン(2分間の途中退場)でひとり少ない状況にもかかわらず、持ち味のスピードとステップでいきなり2トライを奪取。挨拶代わりと言わんばかりの衝撃デビューを飾り、ラグビー関係者だけでなくスタジアムに来た観客を大いにうならせた。

 身長167cm、体重75kg--。石田はラグビー選手として、決して大きな体格ではない。だが、花園優勝5度を誇る名門・常翔学園では、BKのポジションだけでなく、FWのNo.8(ナンバーエイト)としても抜きん出た能力を発揮し、トライを量産してきた。

 昨秋にアルゼンチンで行なわれたユース五輪にも、桐蔭学園の小西泰聖(現・早稲田大1年)、茗渓学園の植村陽彦(現・筑波大1年)らとともに若きセブンズ日本代表として参戦。銅メダルの獲得に貢献した。

 昨年、常翔学園は「花園」全国高校ラグビー大会でベスト8まで進出。準々決勝で涙を呑んだ。その後、石田は30名ほどが参加した7人制日本代表候補合宿に練習生として招集された。リオ五輪に出場した選手などトップリーガーが集まった環境でも、石田のステップの切れ味は抜群だったという。

 そして卒業間近の3月、石田は高校3年生ながら、アメリカ・ラスベガスとカナダ・バンクーバーで行なわれた「ワールドラグビー・セブンズシリーズ」に出場する日本代表に選ばれた。

 メンバー12人のうち10人がトップリーガーであり、高校生は石田のみ。高校生でセブンズ日本代表に選ばれたのは、2012年2月に「ワールドシリーズ」のニュージーランド大会に参加した東福岡3年の藤田慶和(現パナソニック)、日本航空石川3年の長谷川崚太(現パナソニック)、尾道3年の久内崇史(NTTドコモ)以来の快挙だ。

「セブンズ日本代表に呼ばれたのはうれしかったですが、自分で務まるのかなと、最初は不安に思っていました。ただ、岩渕(健輔)ヘッドコーチに『思いっきりプレーしたらいける』と言われたので、アタックで勝負して相手のディフェンスを切り裂いていきたい」

 大会前にそう語っていた石田は、控えからの出場となったものの、ラスベガス大会ではチリ代表戦、ウェールズ代表戦でトライを奪取。世界でも十分に通用するポテンシャルであることを証明した。初めてのシニアでの代表、そして世界と戦った経験を、石田は「とても勉強になりました」と振り返る。

「外国人選手は日本人選手と比べて手足が長いのですが、捕まるところと捕まらないところがあります。世界とのトップとの対戦でそのスペースが見えてきて、抜けるところがわかってきた。ただ、やっぱりフィジカルの差は感じました。スピードを落とさないように、大学でたくさんトレーニングをして体重を増やしていきたい」

 日本のトップリーガーたちと一緒に練習をし、国際大会を経験したことで、石田には日本代表としての自覚も芽生えてきたという。「東京五輪が身近なものに見えてきました。大学の大会でも、(日本代表という)プレッシャーを感じながら活躍していかないといけない」。その姿勢が、東日本セブンズでのトライにつながったというわけだ。

 そんななか、石田はひとつの決断をする。

 昨年11月の花園・大阪府予選決勝の東海大大阪仰星戦、そして1月の花園・準々決勝の流通経済大柏戦で、左肩を2度、亜脱臼してしまったという。テーピングを巻いて、どうにかプレーを続けることはできたが、2020年になってから再びケガをしてしまうと、東京五輪への出場自体が危うくなる。

 そこで、岩淵ヘッドコーチら日本代表のコーチ陣と相談した結果、「東京五輪を目指すなら、早く手術をしたほうがいい」と言われ、4月17日に左肩の手術に踏み切った。明治大の田中監督にも、「15人制ではまだまだだが、セブンズではすごいので、手術をしても東京五輪に間に合う」と背中を押されたという。

 全治まで5カ月。次に紫紺のジャージーを着た石田の姿を見るのは、早くても秋になりそうだ。高校時代はNo.8でもプレーしていたが、明治大ではそのスピードを活かしてWTB(ウイング)としてプレーしつつ、将来を見据えてボールに触る回数の多いSH(スクラフハーム)にも挑戦する予定だ。石田は完治する秋まで、世界に通用するフィジカル作りに専念する。

 石田が再び、紫紺のジャージー、そして日本代表のジャージーを着てスタジアムを駆け抜ける姿を心待ちにしたい。