Perfecta Naviをご覧の皆様、後閑信一です。今回も前回に引き続き山口県・清水裕友(山口105期)選手の続編をお送りしたいと思います。年が明けて2019年の立川G3も7着・2着・1着・1着で優勝を決めました。しかも優勝戦は単騎戦で浅…

Perfecta Naviをご覧の皆様、後閑信一です。
今回も前回に引き続き山口県・清水裕友(山口105期)選手の続編をお送りしたいと思います。

年が明けて2019年の立川G3も7着・2着・1着・1着で優勝を決めました。しかも優勝戦は単騎戦で浅井康太(三重90期)選手とのデッドヒートを制しての走りでした。現地の場内で仕事をしていた私はたくさんのファンの方々から「今年は清水裕友の年だね」とか「清水選手は今年、タイトルいけるね」などのお声を掛けられました。清水選手の走りに魅せられたファンの方が多かったと同時に、一気に清水選手への期待度が増した開催だったと思います。私も今年の清水選手がこの勢いで、どこまで登り詰めることができるのか?と、とても楽しみでした。
ですが、清水選手は次走の松坂G3を体調不良で欠場しました。昨年は9月の高知G2共同通信社杯で平原康多(埼玉87期)選手とのデッドヒートの末、見事に準優勝!そして、11月地元の防府G3で記念競輪初優勝を決めると、同月の小倉G1競輪祭でも決勝に進出して3着!さらには年末の静岡でのKEIRINグランプリ2018では単騎戦でも自分のレースに徹して、存分に見せ場を作りました。それで前述したように年明けの立川G3優勝!

私は経験上、清水選手の“雲行き”を見ていました。競輪選手もただの人間であります。細胞は胃腸が約5日周期、心臓は約22日周期、肌は約28日周期、筋肉や肝臓は約2ヶ月周期、骨は約3ヶ月周期。正常であれば、人間の細胞は新しく生まれ変わっていくものなのです!昔の先輩たちは「今、3ヶ月前の練習が出ているんだっ!」と、よく言っていたことを思い出します。これに当てはめると、清水選手の場合、9月の高知G2から3ヶ月後は年末のKEIRINグランプリ2018となります。恐らく、清水選手は年末くらいの時期から以前と違う違和感が生じていたのではないでしょうか?年明けの立川G3はオマケ(余力)で、よく頑張った方だというのが私の見解です。

そうなると清水選手は立川記念の後に9月くらいの細胞は入れ替わっていますから……「何か感じが違うんだよな?」という感覚が表れ始め、それが松坂G3の欠場なのだと、私は推測するのです。今年からS級S班となった清水選手は責任感と期待を背負いますから、中途半端な状態では走れません。身体の違和感と変化を修正して、別府G1全日本選抜競輪のタイトルを狙っていたのだと思います。
しかし、初日のレースから清水選手らしくないレースでした。気持ちの部分では確かに強く挑めているなと、伺うことはできたのですが、それに身体が反応していない。良い時の“蘇り”がないように感じました。


初日の特選は赤板で上昇してから抑えて、先頭誘導員の後ろに入りました。そのまま後ろを振り返りながら、誘導員の風受けもある状況を打鐘過ぎまで使い、本格的に仕掛けたのは残り1周チョット、約500メートルくらいでした。駆け出すダッシュ力は良かったのですが、その後の自転車が全く伸びていかない。清水選手の番手・中川誠一郎(熊本85期)選手も4コーナーでは清水選手の予想外の失速をかばい切れず、惰性に乗る形でゴールを通過。清水選手はいつも通り気合いの入った“らしい”レースを披露してくれましたが、良い時と比べると何かが足りない?という印象でした。


迎えた2日目の二次予選、ここで清水選手らしくないレースによって試練の時は訪れたのです。レースは4分戦の前から2番目のラインで周回を重ねました。清水選手は鈴木竜二選手が打鐘で先頭に出た瞬間を一気にカマシていこうっ!と、考えていたはず。背後をマークした香川雄介(香川76期)選手の詰まり方を見ると、香川選手もそのつもりだったと思います。しかし、清水選手の身体は反応せず、最終第2コーナーからの捲りになりました。それでも、マークの香川選手が離れてしまうほどの加速力、誰もが清水選手が捲り切ってしまうだろうと、信じていたはずです。が、最終3コーナーで空いていないインを併走する内側の神山雄一郎(栃木61期)選手、外側の坂口晃輔(三重95期)選手の間へ清水選手は突っ込んだ末に単独落車……場内からはどよめきが起こりました。清水選手は鎖骨を骨折、人生で初めての鎖骨骨折だったそうです。

私も現役時代に数え切れない程、骨折してきました。2度、3度、ICU(集中治療室)に入ったこともあります。ドクターヘリで運ばれたこともあり、家族も呼ばれるような命に関わる落車事故も経験しました。それでも、毎回、思うことは「ヨーシ、やったろうじゃねぇか!」と、ただこれだけでした。どんなに辛い苦難に見舞われても絶対にヘコタレない!落ち込んでいたら敵が喜ぶ!負けず嫌いな私は1日でも早く退院して、レースへ復帰することに執念を燃やしていました。普通、2ヶ月休むならば、私は3週間で。1ヶ月半休むならば、私は2週間でレースに復帰。時には1場所も欠場せずにレースに復帰して、周りの同業者をビックリさせたこともありました(笑)。幸い私は現役時代、東京都心に住んでいたので、その恵まれた環境を最大限に活かしました。積極的に最新の医療と最新のリハビリやトレーニングに巡り会えたことで40歳を超えても怪我にも負けず、タイトルを獲れるパフォーマンスも発揮できたのだと思います。


清水選手は昨年の栄光から初めての挫折。その後の清水選手が気になっていましたが、奈良G3と玉野G3の2場所を欠場しただけで、見事に大垣G2ウィナーズカップで復帰。そこには同じ別府G1で落車をしたグランプリ王者・三谷竜生(奈良101期)選手も肩鎖関節の手術をしたにも関わらず、シッカリ復帰してきました。はい、この2人は気持ちが強く、本当に立派です。
そして、復帰した清水選手のウィナーズカップでの走りを毎日、現場で観ていましたが、鎖骨が粉々に折れた選手とは思えない程の攻めるレースでした。本人は「全く納得がいかなくて情けない、お客さんに申し訳ないです」と、言っていましたが、4日間のレースで攻める姿勢は崩さず。時には身体をぶつけて闘志を見せたレースもあり、S級S班の清水裕友として相応しい立派な戦いであったことは間違いありません。

脇本雄太(福井94期)選手の優勝で幕を閉じた第3回ウィナーズカップ。この栄光の裏で、挫折と懸命に格闘していた清水選手にスポットを当ててみました。2019年は残り約8ヶ月、まだまだ清水選手の走りから目が離せません。

【略歴】


後閑信一(ごかん・しんいち)

1970年5月2日生 群馬県前橋市出身
前橋育英高在学時から自転車競技で全国に名を轟かせる
京都国体においてスプリントで優勝するなどの実績を持つ
技能免除で競輪学校65期生入学
1990年4月に小倉競輪場でデビュー
G2共同通信社杯は2回(1996年・2001年)の優勝
2005年の競輪祭で悲願のG1タイトルを獲得
2006年には地元・前橋でのG1レース・寛仁親王牌も制した
その後、群馬から東京へ移籍
43歳にして2013年のオールスター競輪で7年ぶりのG1優勝
長きに渡り、トップレーサーとして競輪界に君臨
また、ボスの愛称で数多くの競輪ファンから愛された
最後の出走は2017年11月10日のいわき平F1
年末の12月27日に引退を発表
2018年1月に京王閣、立川、前橋でそれぞれ引退セレモニーが行われた
現役通算2158走551勝
引退後は競輪評論家やタレントとして活躍中
長女・百合亜は元ガールズケイリン選手(102期)である