2020東京五輪に向け「スポーツ業界で働きたい!」と思っている学生や転職を希望している人が多くなる中、どんな職種があるの?どんなスキルが必要なのか?など分からないことが数あり、仕事の実際を知ることが意思決定には重要となる。そこで、スポーツを仕事としている人にインタビューし、仕事の“あれこれ”を聞いた。

東京医療保健大学 女子バスケットボール部ヘッドコーチ
名前:恩塚亨(おんづか・とおる)さん
職業歴:2006年~

仕事内容
・選手指導(練習メニューの考案など)
・選手とのコミュニケーション
・ナショナルチームでのコーチ業

記事前編

取材・文/斎藤寿子

恩塚さんはもう一つ、大きな挑戦をしている。2009年からはナショナルチームへ活動の場を広げているが、そのきっかけとなったのは2006年、自費で女子日本代表の海外遠征に帯同したことだった。

「やはりどこかで日の丸をつけてバスケの現場で働きたいという思いがあったことと、東京医療保健大学にバスケ部創設の企画書を提出した際に『どんな実績があるの?』と聞かれて、改めて実績を持つ重要性を感じました。それで『ないなら自分で作るしかない』と行動に移しました」

まさに“飛び込み営業”というかたちで代表チームに自らをアピール。自分ができることを探した結果、JOC(※日本オリンピック委員会)の『ビデオコーディネーター』としての役職を得た。しかし、すでに予算が決まっていたため“自費でなら”という条件で海外遠征に行くことになった。現在はどの競技でも代表クラスには必須のアナリストも、当時の日本では皆無に近かかったため、ビデオを撮って編集するだけでも重宝されたのだ。

翌2007年には、北京五輪のアジア地区予選で交通費が支給されるかたちで帯同することとなり、そこでの働きが認められ、2008年の最終予選には正式なスタッフとなった。そして、ヘッドコーチが替わり、新体制となった2009年からはアナリストを務めた。しかし当初、周囲からの目は冷ややかだったという。

「それは当然です。指導者としての何の実績もない者が、なんで代表の分析なんかやれるのか、と思いますよね。それに、まだアナリストという存在も確立されていなかったこともあって、理解を示す人はとても少なかったです」

女子日本代表チームのアナリストを務めた4年間で、徐々にその存在価値が認められ、男子日本代表チームにもアナリストが入り、そしてアンダーカテゴリーにも加わった。つまり、恩塚さんは日本バスケ界における“アナリスト”の第一号。2016年リオデジャネイロ五輪ではテクニカルスタッフとして帯同し、リオ後は、アシスタントコーチを務めている。

仕事の1日の流れとして、朝に大学での練習を行ったあと、午前中は大学でのオフィスワークや日本バスケットボール協会でのナショナルチーム関連の仕事、または高校を訪問してスカウトなどの仕事をこなす。その後、夕方から練習を再度行い、練習が終わった後にスタッフミーティングをして、翌日の練習メニューを考えるというのが日々の日常だ。

多忙を極める恩塚さん、大学の監督とナショナルチームのコーチ、二束のわらじを履く理由は何なのだろうか。

「大学では、このチームに対する愛着もありますし、一緒に優勝して喜びを分かち合う、成長を促すことは絶対にしていきたいです。日本代表では、バスケット界を少しでも良くしていきたいという想いです。僕はビデオを撮影して、記録、データを持っているので、こんなスキルがある、こんな戦術があるというのをナショナルレベルの人にも伝えていきたいです。加えて、ナショナルチームに入れるような選手の感性を学んで、大学のプレーヤーたちに教えてあげる。それができるからこそ続けています」 インカレを達成した同大学だが、決して環境に恵まれているわけではない。大学にある体育館は1コート分でエンドラインの外がすぐに壁というほどの広さしかなく、練習試合はいつも他のキャンパスか、他校に行かなければならない。しかし、恩塚さんは環境を言い訳にしたことはない。

それは、高校の指導者だった時代、ある人から学んだことが大きく関係している。当時、U-18のヘッドコーチも務め、神奈川県立金沢総合高校を何度も日本一に導いていた星澤純一氏(現・羽田ヴィッキーズヘッドコーチ)だ。国民体育大会の会場で名刺交換をしたことが縁で、何度も星澤氏が指導していた高校の体育館に見学に訪れ、アドバイスを受けながら練習方法を学んだ。

「当時、金沢総合高校では30人ほどの部員を抱える中、練習はハーフコートしか使うことができなかった。そうした限られた練習場所・時間の中で最大限の成果を得るために、星澤先生はさまざまな工夫を凝らし、日本一に導いていました。例えば、単に順番を待っているだけの時間をなくして、その間もできる練習をしているとか、あるいは他の選手のプレーを見て学ぶなどの指導をされていました。そういう中で日頃から“没頭・没入”の力を身に付けていたからこそ、試合で強さを発揮できていたのだと思います」

恩塚さんの指導も、練習で単なる“待ち時間”を作ることはない。プレッシャーのかかる試合で力を出すためには“試合以上のハードな練習が必要”だからだ。その指導のベースにあるのは“選手が自分自身の成長を喜んでほしい”という気持ちだ。

「本来、人って自分が何かにチャレンジをして成長していく過程が一番楽しいと思います。なのに、今は人と比べたり、他人を気にするあまりチャレンジすることに二の足を踏んでいる人が多いのではないかなって。人から無理と言われても、自分がやりたいと思ったことはチャレンジしていってほしい。その過程で必ず成長する自分がいるはずです」

その成長する喜び、そして人生の夢を叶えるための“賢さ”と“強さ”をバスケットボールを通して伝えていきたい、それが理念となっている。

最後に、恩塚さんが考えるこの職業に就くために必要なことを聞いた。

「自身がやりたいと思っている職業のベストな人に会うことが大切だと思っています。監督業であれば、自身が一番なりたいと思う監督に会うことです。本物の人がどういう努力をしているのかを見れば、同じ人間だなって思えますし、失敗・苦悩もあることが分かる。自分も頑張ればできると感じられるのではないでしょうか。もし監督業を行ったことがない人に相談すれば、なり方も分かりませんし“そんなこと無理だよ”となってしまいます。しかし、なった人であれば、その方法が分かります。

また、そんなに尊敬している人には、相手にされないと思いがちですが、本気であれば絶対に扉は開かれます。私自身も現役時代にはレギュラー選手ではありませんでした。一流の選手になれなかったとしても、すぐにコーチになれなくても、アナリストとして携わるなど、色々な道で目標を達成することは可能です。私の経歴が、監督業を目指す人の一助になればと思っていますし、練習など見学に来たいという人は、できる限り受け入れています。まず、自分の好きなことやりたいという想いがとても大切で、そこに一歩踏み出す勇気が大事ですね」

(プロフィール)
恩塚亨(おんづか・とおる)
1979年生まれ、大分県出身。中津南高等学校、筑波大学卒業。早稲田大学大学院修了。大学卒業後、渋谷教育学園幕張中学校・高等学校で教員を務め、2006年に東京医療保健大学の女子バスケットボール部を立ち上げ、創設11年でインカレ日本一に導く。日本代表チームにも自らの希望で自費参加で帯同し、代表チームをデータ面からサポート。功績が認められ、2008年オリンピック最終予選から正式に女子日本代表のアナリストを務める。現在は、女子日本代表アシスタントコーチを兼任。

※データは2019年4月5日時点