西武×ヤクルト “伝説”となった日本シリーズの記憶(19)【初戦先発】ヤクルト・岡林洋一 前…

西武×ヤクルト “伝説”となった日本シリーズの記憶(19)
【初戦先発】ヤクルト・岡林洋一 前編

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 四半世紀の時を経ても、今もなお語り継がれる熱戦、激闘がある。

 1992年、そして1993年の日本シリーズ――。当時、”黄金時代”を迎えていた西武ライオンズと、ほぼ1980年代のすべてをBクラスで過ごしたヤクルトスワローズの一騎打ち。森祇晶率いる西武と、野村克也率いるヤクルトの「知将対決」はファンを魅了した。

 1992年は西武、翌1993年はヤクルトが、それぞれ4勝3敗で日本一に輝いた。両雄の対決は2年間で全14試合を行ない、7勝7敗のイーブン。両チームの当事者たちに話を聞く連載の10人目。

 第5回のテーマは「初戦先発」。前回の西武・渡辺久信に続き、熱戦の幕開けとなった1992年のシリーズ初戦で先発を務めたヤクルト・岡林洋一のインタビューをお届けする。



1992年の日本シリーズ初戦で完投勝利を挙げた岡林(左)と、サヨナラ本塁打を打った杉浦享(右)photo by Sankei Visual

プレッシャーはまったくなかった

――スワローズとライオンズが激突した1992年、1993年の日本シリーズ。その幕開けとなる1992年第1戦の先発マウンドを託されたのが岡林さんでした。

岡林 ずいぶん前のことですよね。「10年ひと昔」というのに、四半世紀も前の出来事で、もう「平成」も終わろうとしているんですからね(笑)。

――まずは14年ぶりのリーグ優勝を決めた1992年のペナントレースについて伺います。当時、岡林さんはプロ2年目。15勝10敗、防御率2・97という成績を残しています。

岡林 ルーキーの年の終盤に「来年のために」ということで3試合先発をしたんです。もともと「プロでも先発したい」と思っていたので、「このチャンスを逃さないぞ」と投げて2勝したことで、1992年は手応えを感じた状態でシーズンインしました。そのシーズン中、チームは9連敗を喫したりしましたけど、ずっと混戦が続いていたので「優勝できるかも」という気持ちで戦っていましたね。

――1992年10月10日、チームは甲子園球場で14年ぶりの優勝を決めました。それからわずか1週間後の10月17日には日本シリーズが開幕します。「初戦先発」はいつ頃、どのタイミングで告げられたのですか?

岡林 10月10日の優勝した試合は荒木(大輔)さんが先発でしたけど、僕は11日に先発予定だったんです。だから感覚としては、中6日で次の登板に備えるようなイメージでした。ただ、正式にいつ、どのタイミングで先発を告げられたのかというのは、記憶がないです。覚えているのは、「セ・リーグの代表として恥ずかしくないピッチングをしなければならない」という思いだけですね。

――大事な試合のマウンドを託されたというプレッシャーはありませんでしたか?

岡林 プレッシャーは全然なかったです。むしろ、楽しみのほうが大きかったですよ。当時の西武はとても強かったですから、「恥ずかしくない試合をする」ということだけを考えていましたけど、それはプレッシャーではなかったですね。


当時を振り返る岡林氏

 photo by Hasegawa Shoichi

何かをつかんで、後のピッチャーに託したい

――この連載において、スワローズの方々はみなさん、「当時の西武に勝てるわけがない」というニュアンスのことを口にしていました。岡林さんはどう感じていましたか?

岡林 僕も「勝てる」とは思っていなかったです。ただ、「勝てるはずはない」とも考えてはいなかったと思いますね。「まともにいっても勝てないだろう」という意識だったと思います。ただ、僕は大事な初戦を任されたわけですから、「何かをつかんで後のピッチャーに託したい」という思いを強く持っていました。

――そして迎えた初戦は、本拠地・神宮球場のマウンドでした。この日の調子はどうだったのですか?

岡林 調子はよくなかったですね。真っ直ぐが走っていなかったので、ストレートでまともに勝負することができない。だから序盤は、変化球でごまかしていたような感じです。中盤からは徐々に立ち直っていきましたけど。

――プレッシャーは感じていなかったけれど、調子は万全ではなかったんですね。

岡林 先ほど、「プレッシャーはなかった」って言いましたけど、いざマウンドに立って初球を投げるまでは、自分でもわかるほど足が震えていました。「みんなに見えるんじゃないかな?」って思うぐらいの震えでしたね。最初はそうでもなかったんです。でも、マウンドに立って投球練習が始まって、第1球を投げるときには、もうブルブル震えて、足がガクガクしていたんです。それがとても気持ちよかったですね。

――気持ちよかった? 

岡林 はい。その震えが気持ちいいんです。もちろん西武打線は怖いんですよ。もう全部が怖い(笑)。だって、まったく穴がないんですから。でも、それが気持ちいいんです。足は震えているのに、なぜか気持ちいいんです。

延長12回、まだまだ投げるつもりだった

――そして、12時33分。ついにプレイボールを迎えます。ライオンズの先頭打者は辻発彦・現西武監督でした。

岡林 事前のデータで「辻さんは(日本シリーズ)初戦の第1打席でいつもヒットを打っている」と知らされていました。だから、「辻さんをなんとか打ち取ろう」と思っていたのに、アッサリとセンター前にヒットを打たれました(笑)。でも、二番の平野(謙)さんが簡単にバントで送ってくれたので、気持ちはラクになりましたね。ランナーは二塁に進んだけど、バントで簡単にワンアウトをもらえると、ピッチャーはすごくラクになるんです。

――結局、この回は無失点で切り抜けたものの、2回表にはオレステス・デストラーデに先制ホームランを浴びて、先制を許してしまいました。

岡林 スライダーでしたね。そんなに甘いボールではなかったと思うんですけど、簡単に打たれました。マウンドで、「えっ、そんなに簡単に打つの?」と思ったことを覚えています。ストレートが走っていなかったので、変化球主体でいったら簡単に打たれた。「これは困ったぞ」って思いましたけど、次第にストレートの調子が戻ってきて、5回くらいからは本調子に戻っていったような気がします。でも、7回にはまたデストラーデにレフトにホームランを打たれるんですけどね(笑)。

――確かに、7回表にはデストラーデにこの日2発目となる同点弾を打たれています。

岡林 そのときの球はフォークでした。落ちてないかもしれないですけど……。引っかけさせたかったのに、見事にレフトに打たれました。「引っ張ってくれよ」って感じでしたね(笑)。マウンドでは、「もう投げるところがないよ。どうやって抑えればいいんだろう」と考えていました。

――その後、試合は3-3のまま延長戦に突入します。ライオンズベンチは継投策を見せますが、スワローズは岡林さんが続投でした。延長12回を投げ終えて、この時点で161球を投じています。このときの心境は?

岡林 マウンドを降りるなんてことは微塵も考えていなかったですね。逆転されてからの降板ならあるかもしれないけど、まだ同点でしたから。この場面で降板することなんて、シーズン中も一度もありませんでしたから、まだまだ投げるつもりでした。シーズン中でも160球ぐらいはちょくちょく投げていましたからね、あの頃は。

――そして、3-3のまま試合は延長12回裏に。無死1、2塁のチャンスの場面で、岡林さんに代打・角富士夫選手が告げられました。

岡林 いっぱいいっぱいの状態でしたから、さすがに「まだ降りたくない」とは思わなかったです(笑)。あとはベンチから「頼むから点を取ってくれ」と祈るような気持ちで試合を見ていました。

――そして、一死満塁の場面で代打・杉浦享選手が登場。そして、杉浦さんの見事な代打サヨナラ満塁ホームランでチームは勝利。岡林さんは勝利投手となりました。

岡林 打った瞬間、「ホームランだ!」ってわかりました。映像を見てもらえばわかるけど、僕が最初にベンチから飛び出していると思いますよ(笑)。試合後には、先ほども言いましたけど、「セ・リーグ代表として恥ずかしくない試合をした」という安堵感がありましたね。そして、「ストレートが(本調子に)戻れば、もっと抑えられる」という手応えも感じました。

――劇的すぎる勝利で、まずはヤクルトが勝利。チームは幸先のいいスタートを切りましたが、岡林さんにとっては、これはまだまだプロローグにしかすぎない一戦となりました。

岡林 そうですね(笑)。このあと、さらに2回(第4戦と第7戦)も先発して、全部で3完投するとは思ってもいませんでしたからね……。

(後編に続く)