Perfecta Naviをご覧の皆様、後閑信一です。
先日、大垣競輪場で行われたG2第3回ウィナーズカップにて桁違いの強さを見せつけて優勝。来年の2020東京五輪を控えたナショナルチームの一員でもある脇本雄太(SS・福井94期)選手の華々しい栄光の裏で、試練と戦いに挑む選手が数多くいます。その中から今回は清水裕友(SS・山口105期)選手の栄光と挫折。そして、復活への道程を私なりの見解として、綴っていきたいと思います。

清水選手と私の縁と言いますと、私が引退をする年の久留米G3のレースに同乗した時が始まりでした。当然、私とはラインは別線、105期の若手との激しい火花を散らす戦いとなりました。そのレースで私は清水選手に仕掛けさせないレースにしようと、清水選手より前へ出ました。そして、レースの流れに緩急をつけることでスピード競輪ではなく、技の競輪で戦ったのです。清水選手は好機に仕掛けることができずに敗退し、私が1着という結果に。走っていて手応えがなかったことに「こんな走りをしていたら、清水選手の今後のために良くない」と、検車場裏のハードケース置き場に呼び出し、私としては愛情を持ってアドバイス!周りからしたら完全に説教!?をしたのです。
私が清水選手に色々なアドバイスをした後の総括として「明日のレースからは赤板で押さえたらペースを落とさない。相手のラインがそれ以上の勢いできたらいかせて、番手か3番手に飛びつけばいい。来なければ、たかが残り1周チョットの先行ならば、駆けてしまう強い気持ちがあれば、きっと清水はトップクラスで走れるようになる」という内容。さらに「先行は……一つ安全に、二つ脚が着いて、三つ恩が売れる」ということも加えました。この三拍子が揃ってこそ近い将来、清水選手がタイトルを獲る近道なのだ!と、を私の実体験と共に伝えたのです。そのような私の話しを聴く清水選手の瞳は若い頃の平原康多(埼玉87期)選手と非常に似ていて、瞳がキラキラしていたのを今でもハッキリ覚えています。


清水選手はそれ以降、赤板から押さえてシッカリと先行をして逃げ切る程の強さを見せつけるようになりました。やればできることを証明して、その素直かつ謙虚な姿勢に、私は清水選手に無限の期待と可能性を感じたのです。私は身近なところで、平原選手をいつも見てきました。だからこそ照らし合わせると、どんな選手がスター街道を駆け上がり、どんな選手がいつの間にか脱落していくのか、私はたくさんの“例”を目の当たりにしてきました。清水選手は間違いなく、スター街道を駆け上がる方です。

昨年になりますが、9月に行われた高知G2共同通信社杯決勝で、縦横無尽に動いて2着に。10月の前橋G1寛仁親王牌でも優出。そして、11月の小倉G1競輪祭でまさに清水劇場は幕を開けたと言えます。本来ならば、初日予選5着で敗退となるはずが、6日制になったことで勝ち上がりがポイント制になりました。結局、2日目以降は人が変わったかのような強さを取り戻し、あれよ、あれよと、気がつけば決勝戦へ。その決勝戦も終わってみれば、3着で表彰台に上がりました。と、同時に年末の静岡で開催されるKEIRINグランプリ2018の切符を掴み取ったのです。

私は東京・お台場で行われたKEIRINグランプリ2018の共同記者会見と前夜祭にも出席をしてきた訳ですが、私自身、選手としてステージに立っていた風景から突如としてステージを見る側の人間になったことを改めて実感したもの。ステージの上と下での景色の違いに、信じられない気持ちと、複雑な思いが入り混じって出場メンバーを取材していたのです。
共同記者会見で各選手の表情やコメント、胸の高鳴りを自分の経験と照らし合わせながら見ていましたので、取材される立場、取材する立場の両方の経験ができたことは私にとって貴重な経験でした。


その中でも特に、私は初出場の清水選手を注目していましたが、そこでも清水選手の大物さを伺い知りました。ガチガチに緊張するのではなく、清々しさを感じられる表情で、堂々たる記者会見でした。コメントも「単騎で自力」という言い回しや声のトーンからは競り込んだり、粘ったりはないと、私はあの会見の場で確信したものです。
そして、清水選手は連携するラインはなく、単騎戦で年末の大一番・KEIRINグランプリ2018に挑みました。他のメンバーは競輪界を代表するトップレーサーばかり。加えて、静岡競輪場を埋め尽くす大勢のファンの地鳴りのような声援に、賞金1億円超という重圧もある状況。そこで目先の勝ちを意識するのか?自分のレースに徹するのか?そのような2択が迫られる中で清水選手は後者を選択、残り2周の赤板からただ1人でレースを動かしました。この部分でも清水選手と私自身の経験を照らし合わせてみると、アッサリ成し遂げてしまった清水選手は本当にたいしたものだと思います。決して高ぶらず、周りの雰囲気に飲まれず、初出場のグランプリでも自分の走りに徹することで盛り上げてくれたのです。



さらなる活躍が期待される中、年が明けて2019年の清水選手のスタートはKEIRINグランプリから僅か中3日、立川G3鳳凰賞典レースでした。前検日、私は清水選手に取材しようと待っていると、集合時間の13時である数分前、ギリギリのタイミングで姿を見せたのです。清水選手がタクシーから降りた途端、私はインタビューを敢行。時間が推しているという理由は私には通用しませんっ!それでも、清水選手は嫌な顔一つせずに、笑顔でインタビューに応じてくれました。私の経験から勝負にきている選手がイライラしたり、怒ったりした時は勝利の女神は微笑まない。はい、これは鉄則です!清水選手はそれも難なくクリアして、年明け一発目の記念競輪優勝を成し遂げたのです。今年は清水裕友の飛躍の年!と、誰もがそう思い、疑う余地もありませんでした。
(*次回に続く)

【略歴】


後閑信一(ごかん・しんいち)

1970年5月2日生 群馬県前橋市出身
前橋育英高在学時から自転車競技で全国に名を轟かせる
京都国体においてスプリントで優勝するなどの実績を持つ
技能免除で競輪学校65期生入学
1990年4月に小倉競輪場でデビュー
G2共同通信社杯は2回(1996年・2001年)の優勝
2005年の競輪祭で悲願のG1タイトルを獲得
2006年には地元・前橋でのG1レース・寛仁親王牌も制した
その後、群馬から東京へ移籍
43歳にして2013年のオールスター競輪で7年ぶりのG1優勝
長きに渡り、トップレーサーとして競輪界に君臨
また、ボスの愛称で数多くの競輪ファンから愛された
最後の出走は2017年11月10日のいわき平F1
年末の12月27日に引退を発表
2018年1月に京王閣、立川、前橋でそれぞれ引退セレモニーが行われた
現役通算2158走551勝
引退後は競輪評論家やタレントとして活躍中
長女・百合亜は元ガールズケイリン選手(102期)である