昨年、夏の100回大会を終えた甲子園は今、”平成最後”のセンバツ大会で沸いている。そんな甲子園で、平成という時代を象徴する人物をネット裏で見つけた。

「ええボール放るなぁ。(昨年秋に)神宮大会で見た時は『速い、速い』と聞いていたらコントロールもええし、変化球もええなと思ったけど、今日も抜群や。こういうピッチャーは追い込まれたら打てんから、その前にどうするかが勝負。まあ、それが簡単やないんやけど。ホンマ、ええボールや」

 大会初日第3試合の星稜(石川)と履正社(大阪)の一戦。現役感が残る口ぶりで、大会屈指の好投手である星稜の奥川恭伸のピッチングについて語るのは、昨夏まで智弁和歌山を率いていた高嶋仁(72歳)だ。



昨年夏で智弁和歌山の監督を勇退した高嶋仁氏

 甲子園通算68勝を挙げた最多勝監督は、春夏合わせて38回の出場で、じつに103試合も戦った。この春からは解説者としてネット裏に座り、球児たちの戦いに熱い視線を送っている。

「しゃべりはまだ慣れん。智弁学園(奈良)時代に1回だけ、夏の甲子園でゲスト解説をやったことがあるらしいんやけど、全然覚えてない。それに、もともと褒めることが苦手やし、思っていても言えないことがあるし……大変や(笑)」

 智弁和歌山の監督をしている時も、甲子園に出てない年は何度もゲスト解説の依頼を受けたが、放送席に座ることはなかった。

「甲子園で(解説者として)しゃべるということは、甲子園に出ていないということ。なら、しゃべる暇があったら練習せんと……」

 勇退後は講演活動や野球教室、取材などで忙しくする一方で、名誉監督としてチームとの関わりは続いている。

「ただ、僕がちょこちょこ顔を出すと、現場がやりにくいだけ。たまに行っても、気になったことをちょっと言うぐらいですよ」

 とはいえ、今回センバツに出場する智弁和歌山の選手は昨年まで指導していただけに、やはり気にかけている。

 その智弁和歌山の初戦は大会6日目、3月28日に熊本西と対戦するのだが、抽選会の日、この日程になった瞬間、軽い身震いを覚えた。

 なぜなら3月28日は、今から43年前(1976年)の春に智弁学園(奈良)を率いていた高嶋が監督として初めて甲子園に足を踏み入れた日だったからだ。札幌商業(北海道)に勝利(5-0)した高嶋の最多勝監督への道はここから始まったのだ。

 本人にこの”偶然”を告げると「ホンマ? 試合のことは覚えとるけど、日にちのことは全然知らんかった」と返ってきた。当時29歳、監督になって5年目でつかんだ甲子園だった。

「私学で3年間甲子園に出られなかった。そろそろ交代というのが頭にあって、その間、辞表を3回書いた。嫁さんにも『クビになったら1年だけ辛抱してくれ。その間に次を探すから』と言うてやっていた時。4年目の秋に近畿大会でベスト8になり、あのセンバツやったんです」

 甲子園に出られない時期、前理事長だった藤田照清の”圧”は容赦ないものだった。

「負けた次の日の朝、理事長の部屋に報告に行ったら『学校潰す気か!』ってボロカス言われて……ドアノブを持ったまま入れんこともあった。大会が終わってすぐ、その日のうちに理事長の家に報告に行った時は会ってもらえず、門前払いされたり。そら、きつかったですよ」

 藤田の圧もあり、高嶋の勝利への執念はさらに加速し、練習はより激しさを増した。4年目の秋には、選手によるボイコットもあった。しかし、それを乗り越えてのセンバツ出場、そして甲子園初勝利だった。

「途中まで全然点が取れんで。選手よりも僕があがっていた。どこにも負けない練習をやってきた自信はあったし、『やったるで!』という気持ちもあったけど、甲子園で戦うことに慣れとらんかった。いつもと違ったんやろうね。ランナーは出るけど点が取れん。やっと少し落ち着いてきた後半に3点、2点と入って5対0。選手に勝たせてもらった、というのがあの甲子園でした」

 試合序盤はサインミスによるスクイズ失敗など、「ちぐはぐな攻めもあった」と言う。

「金属バットが導入されて、たしか3年目。どのチームも今みたいに打球は飛ばんし、守り中心の手堅い野球が主流で、今とは野球が違う……そんな時代でした」

 懐かしい話をネット裏で聞きながら、話題は2019年の3月28日へと移っていった。あらためて、この偶然の一致について尋ねると、「43年経って同じ日というのは、縁というか、巡りあわせというか、なんかあるんやろうね」と。

 しかも新体制となって初めての甲子園で、チームを率いるのは中谷仁(39歳)。高嶋仁と中谷仁。読みは「ひとし」と「じん」で異なるが、これもなにかの縁を感じずにはいられない。

 中谷は智弁和歌山のOBで、1997年に初めて夏の甲子園で日本一に輝いた時の主将だ。現役時代から藤田前理事長から「将来は高嶋の後継者に」と目されていたのが中谷だった。

 中谷は97年のドラフトで阪神からドラフト1位指名を受けて入団。その後、楽天、巨人でプレーし、引退後はブルペン捕手としてチームを支えるなど、16年間プロの世界に身を投じていた。そして2017年春から正式にコーチとして母校に復帰し、昨年夏に高嶋からバトンを受けた。高嶋は言う。

「当然プレッシャーもあるやろうし、しばらくは周りからオレのことばかり聞かれて大変やろうけど、とにかく思い切り、思うようにやったらええ。それしか言うことはない」

 一方の中谷は監督就任以降、こう繰り返してきた。

「引き継いでいかなければいけないことはいくつもありますが、一番に思っているのは高嶋先生の勝ちへの執念。智弁和歌山として結果にこだわっていきたい」

 その言葉どおり、昨年秋の近畿大会では公式戦5連敗中だった大阪桐蔭を倒し、監督1年目にしてセンバツ出場を果たした。とはいえ、選手は4季連続出場となる黒川史陽、東妻純平、西川晋太郎を筆頭に甲子園経験者がズラリ。しかも昨年センバツでは準優勝を果たしている。チームとして「昨年の春以上の結果」を目標に掲げ、厳しい冬を乗り越えてきた。高嶋に現チームについて聞くと、こんな答えが返ってきた。

「とくに野手は経験者が多いし、力もそれなりに持っとる。投手陣がどこまで頑張るか。ただ、よくABCの評価とかをつけてやっていますが、僕のなかではBかなと思っています」

 無用な重圧をかけないように、あえて控えめな評価にも思えたが、大きな可能性を秘めていることは間違いない。

「甲子園のネット裏から智弁和歌山の試合を見るというのは、変な感じやね。自分が教えとった選手もたくさん出とるし、負けとったりしたら『おいっ、負けたら帰ってダッシュ100本や!』ってベンチに言いに行きたくなるんとちゃうかな(笑)」

 高校野球ファンとすれば、高嶋の解説で智弁和歌山の戦いを見たいところだが、放送局には「OBや関係者は該当チームの解説を担当しない」という一定の基準がある。

「だから試合の時は、ネット裏の関係者席とかで普通に見ていると思います。ただ、決勝まで行ったらそれは関係ないらしい」

 そこで決勝の予定を尋ねると、解説の予定が入っていると言う。そういう楽しみもあるが、まずは初戦だ。高嶋が見つめる前で、新生・智弁和歌山はどんな戦いを見せてくれるのだろうか。運命の1日から新たな一歩が始まる。