「あんたの人生なんやから、好きなことをやりなさい」元日本代表DF中西永輔の背中を押した母の一言http://www.sakaiku.jp/column/interview/2016/012133.htmlふたりのサッカー少年の父として、子育…

「あんたの人生なんやから、好きなことをやりなさい」元日本代表DF中西永輔の背中を押した母の一言
http://www.sakaiku.jp/column/interview/2016/012133.html


ふたりのサッカー少年の父として、子育てに取り組む中西永輔さん。現役時代はジェフユナイテッド市原(当時)や横浜F・マリノスでプレーし、フランスワールドカップに出場するなど第一線で長く活躍しました。彼がプロを目指し始めたのは、小学4年生のとき。高校時代は幼なじみの小倉隆史さん(現名古屋グランパス監督)、中田一三さん(FC.ISE-SHIMA監督)とともに「四中工(四日市中央工業)三羽烏」と呼ばれ、鳴り物入りでジェフに加入しました。Jリーグができる前からプロになりたいと思い、夢を現実のものとした中西さんですが、ご両親は子どもの夢をかなえるためにどのようなサポートをしてくれたのでしょうか?(取材・文・写真 鈴木智之)


■プロ入り前、母親が背中を押してくれた

――中西さんの少年時代はJリーグができる前で、日本リーグの時代でしたよね。プロのサッカー選手になりたいと思ったのは、いつ頃だったのですか?

両親に「プロになりたい」と言ったのは、小学4年生の時でした。1982年のワールドカップ・スペイン大会を見るために、親に夜中に起こしてもらったのをいまでも覚えています。多くのサッカー少年と同じように、ぼくもテレビでワールドカップを見て「あの舞台に立ちたい」と思いました。華やかな世界に憧れたんですよね。ただ、当時は日本にプロリーグがなかったので、プロになるには海外に行くしかなかったですし、中学校に上がるに連れて現実が見えてきて「プロは無理だな」と思うこともありました。

――とはいえ、四日市中央工業時代の活躍がプロの目に止まり、高卒でジェフユナイテッド市原(当時)に加入しました。

ぼくが高校生のころにJリーグができて、日本でプロのサッカー選手になることが現実味を帯びてきたんです。もちろん、最初はまさか自分のところにプロからオファーが来るとは思いませんでしたが、高校3年生のときに数クラブから声をかけていただきました。母親と一緒に強化担当の方の話を聞いたのですが「ジェフが一番、あんたのことを思ってくれているんとちゃうか」と言われ、最終的には「あんたの人生なんやから、好きなことをやりなさい」と背中を押してくれました。


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