写真:松田吉時(株式会社ケアリッツ・アンド・パートナーズ取締役副社長)/撮影:沼田一十三(ニッタクニュース)1979年(昭和54年)東京都東村山市生まれ。卓球との最初の出会いは小学校4年のクラブ活動だったが、のめりこむほどではなかった。中学…

写真:松田吉時(株式会社ケアリッツ・アンド・パートナーズ取締役副社長)/撮影:沼田一十三(ニッタクニュース)

1979年(昭和54年)東京都東村山市生まれ。卓球との最初の出会いは小学校4年のクラブ活動だったが、のめりこむほどではなかった。中学は、私立武蔵中に入学。中高一貫の同校は、行事や部活動などの学校生活の運営に関して、生徒の自主性を重んじる校風である。友人に誘われて入部した卓球部もまた、先輩である高校生が練習メニューを作り、中学生を指導するのが通常だった。部活動の練習は放課後の週3回だったが、毎朝7時半には登校してサービス練習を行った。「サービス練習は1人でも出来、しかも、プレーの中で唯一相手に影響を受けない打球」と、毎日、ボール2箱分の練習をした。誘われて入部した卓球部だったが、中高6年間、真剣に取り組んだ。その理由を「サッカーや野球は中学の時点で、すでに能力の優劣が決定的。

卓球は個人技に加えてプレーの相性なども影響。強い相手にもどんでん返しで勝てる可能性がある。成果が点数になって表れやすいスポーツだから楽しかった」と分析する。

実践学園高が立ちはだかる負けたが高校最大の思い出




写真:松田吉時(株式会社ケアリッツ・アンド・パートナーズ取締役副社長)/撮影:沼田一十三(ニッタクニュース)

武蔵高時代、常に立ちはだかったのは、当時の強豪、実践学園だった。「実践学園はいつも外シード。僕らが内シードでやっと勝ち上がってあたる相手」。ゆえに思い出深い試合も数多くある。高2の団体戦では、木方慎之介さん(現・協和発酵キリン)に武蔵高は宮本剛宏(現・ケアリッツ・アンド・パートナーズ代表取締役社長)が対戦した。「フォア側に来たボールを宮本がうまくクロスサイドにカウンターで打ち返すことが出来た。『やった!』と喜んだ瞬間に打ち返されていた。そんなに力の差があるのかと愕然とした」自身の対戦相手はインターハイ6位の実力者。それでも毎日のサービス練習の効果があり、出足は3対1で先行した。しかし、松田さんの3球目攻撃に難有りと気づくと途端にツッツキで返球してきた。「しかもツッツキなのにノータッチで抜かれてしまい、そのあとは何をやっても通用しなかった。負け試合だったけど、僕らのハイライトです」

為替のトレーディングと通ずるともに素早い判断が求められる




写真:松田吉時(株式会社ケアリッツ・アンド・パートナーズ取締役副社長)/撮影:沼田一十三(ニッタクニュース)

東京大学に進学すると「スポーツ愛好会卓球パート」、いわゆるサークルに所属した。日大、早大、慶大、専大などが参加する同好会リーグ戦もあり、インターハイ出場経験者も参戦していた。「2、3回戦くらいまでは勝てるけど……という状況。でも、豪腕系のドライブを打つ人の試合を観戦するのは楽しかった」という大学時代。同サークルには、慶大の体育会卓球部に所属していた宮本氏も参加することがあった。社会人になると、武蔵中高卓球部の仲間たちは、それぞれの道を歩む。松田さんは日本生命保険相互会社を経て野村證券株式会社へ。為替のトレーダーとして24時間体制で仕事をしていた。

「為替の世界は見る間に値が動くので、瞬時に売り買いを判断しなければならない。それは卓球の試合で、来た球をどこに打ち返すのか、瞬時に判断するのと似ていた。為替のトレーディングには卓球のプレー経験が役立った」

仲間が再び集って起業出来たのは武蔵での濃い6年間があったから

2008年、リーマンショックが起きる。野村證券はリーマン・ブラザーズを買収し、仕事環境も大きく変化する。年頃から、宮本氏に「介護業界で起業したい」という相談を受けていたことから、年にケアリッツ・アンド・パートナーズの経営に携わることとなる。現在、同社の4人の役員は、ともに武蔵中高の卓球部メンバーだ。「中高6年間は、練習方法の議論をはじめ、人生や将来設計についていろいろな話をした。中学のとき、宮本に誘われて政治家の資金パーティーを見学に行ったこともある。そんな濃厚な6年間を過ごしたからこそ絆が深いのだと思う」当然のように、同社には卓球部があり、実業団チームとして大会にも参加する。中高時代、全国レベルで活躍していた社員もいる。練習は週2回。社有練習場近くの新宿御苑外周を走るトレーニングもある。年に2回の卓球合宿もあり、3分間の全力スマッシュ&ドライブなど、本格的な練習を行う。「卓球の腕は、今が一番強いと思う。相手の会心の一撃が余裕でブロック出来るようになった」。ますます進化する卓球人生。今の目標は、年後、中高時代に全国で活躍していた選手たちと肩を並べることだ。

※本コンテンツはニッタクニュース「日本の肖像」よりコンテンツを引用、掲載しております。

文:岩熊純子/編集:亀山翔/監修:沼田一十三