写真:ソ・ヒョウォン/撮影:ラリーズ編集部日本のトッププレーヤーだけでなく、多くの外国人選手も在籍するTリーグ。彼らは、異国の地、日本で慣れない環境に身を置きながらも、試合のたびに目覚ましい活躍を見せる。その中でも、ひときわ可愛らしい笑顔で…

写真:ソ・ヒョウォン/撮影:ラリーズ編集部

日本のトッププレーヤーだけでなく、多くの外国人選手も在籍するTリーグ。彼らは、異国の地、日本で慣れない環境に身を置きながらも、試合のたびに目覚ましい活躍を見せる。

その中でも、ひときわ可愛らしい笑顔で多くの人々を魅了している選手がいる。トップおとめピンポンズ名古屋に在籍する凄腕カットマン、徐 孝元(ソ・ヒョウォン)だ。

韓国で生まれた徐は、韓国国内大会で何度も頂点に立っており、「ITTF ワールドツアー」でも3度優勝を飾った実力の持ち主。その実績と美貌の両方で、一部の卓球ファンからは「福原愛の後を継ぐ卓球界の女神」とも評されている。

そんな人気海外選手・徐の粘り強いプレーを支えるものとは――。試合では見られない彼女の素顔に迫った。

卓球を始めたきっかけは“チョコパイ”?

韓国の慶州市出身で、幼い頃から体を動かすことが好きだったという徐 孝元。数々のタイトルを総ナメにしてきた徐に、卓球を始めたきっかけを聞いてみると、意外な答えが返ってきた。

「小学校のとき卓球部があったんですが、そこに行くといつもチョコパイがもらえたんです。実は、もともとチョコパイが大好きで…(笑)。遊びに行くと、卓球の試合をさせてもらえるんです。卓球の試合に負けてもゲットできたので、つい嬉しくなっちゃって…。卓球部に通う機会が増えるようになって、気がついたら卓球に興味を持っていました。それから、卓球にのめり込んでいると授業に行けなくなるときもありましたね。勉強するより体を動かしている方が楽しかったので、そのまま卓球をする機会が増えていって、どんどん好きになりました」。

“チョコパイ”が欲しいという子供らしい理由で始まった卓球人生。当時、韓国ではそれほど卓球が流行っていなかったこともあり、卓球を始めたのは9歳と、プロ選手にしては遅めのスタートだった。

しかし、一度好きになった卓球は徐を夢中にさせた。また、卓球にのめり込んだのには、妹の存在も大きかったと彼女は語る。

「自分が卓球を始めるとき、家族の中で他にやっている人はいませんでした。だから自分がプレーするようになってから、妹もそこに連れていくようになって。自然と一緒にやるようになりましたね」。

大の仲良しの妹は、現在YouTuberとして活動している。卓球の楽しさをもっと大勢の人に知ってもらおうと、日々発信を続ける。徐 孝元自身も、時折一緒に出演して卓球の普及に一役買っているのだそう。


妹とともに出演するYoutubeでは、姉妹の仲の良さが伝わってくる。

「小学校のときはあまり強くなかった」と答える徐。しかし卓球に対する思いは日増しに強くなった。やがてチョコパイをもらうだけでなく、試合に勝つことにも喜びを覚えていく。韓国国内でメキメキと頭角を現しはじめ、国内大会で次々にタイトルを独占することとなる。

石川佳純に勝利 実力を世界に知らしめたコリアオープン

そんな彼女にもっとも印象に残った試合を聞いてみると、「2013年のコリアオープン決勝で石川佳純選手に勝って優勝したときですね」とすぐさま答えが返ってきた。

「韓国の代表に選ばれて初めて出場した国際大会だったので、それまでは自分の実力がよくわからない状況だったんですよね…。だから石川選手に勝って優勝できたときは、本当に嬉しかったです」。

その後の彼女の快進撃は、多くの卓球ファンの知るところである。2013年のポーランドオープン、2015年のベルギーオープンのシングルスも優勝。2014年には世界ランキング8位まで上昇、一躍世界のトッププレーヤーの仲間入りを果たした。

「あの大会がきっかけで、『自分はできるんだ』と世界に示せたような気がしました」そして、一戦一戦勝つたびに、卓球に対する自信もどんどん強まっていった。

と、ここまで順風満帆なキャリアを築いているように見える徐だが、その後、大きな挫折を経験することとなる。




写真:ソ・ヒョウォン/撮影:ラリーズ編集部

苦しかったリオオリンピック 支えた家族の絆

「2016年のリオデジャネイロオリンピックが始まる前、肘を怪我してしまったんです。そこから1ヶ月は練習を休まなければいけない状況で、練習もきちんとできず…。結局試合には出場しましたけど、いい結果が出せなくて悔しかったです」。

このリオオリンピックは、周囲から大いに期待されながらもシングルスは4回戦敗退、ダブルスは5位に終わってしまう。

リオオリンピックは、徐が自身にもっとも期待を寄せていたビッグゲームでもあった。自信もあっただけに、怪我をしたことで大きな苦しみを感じていたという。そんな精神的にも辛かった徐を、いつもそばで見守り支えてくれたのは家族の存在だった。

「どんなときでも励ましてくれたのは、精神的にやはり大きかったですね。今でも日本に試合を見に来てくれることもあって。住んでいる場所は違いますが、家族はいつも一番の支えになっています」。

ちなみに妹が試合に来ることも多いという。「妹が観に来た試合については、YouTubeに載っていたりもするんですよ」。

徐 孝元は、どこにいても、どんなときも一人ではない。日本という異国の地にあっても、家族がいつも心のそばにいる。支えてくれる人がいるからこそ、徐はこの地で頑張れるのだ。

多くのスポーツ選手と同様、卓球選手もまた、強くなるにつれてキャリアの選択を迫られる。プロとして活躍する選手が居る一方、社会人として仕事をしながらプレーを続ける道を選ぶ人も居る。日本でもTリーグが始まりプロへの道が開かれたとはいえ、その道を選ぶ決断は並大抵のことではない。

数ある選択肢の中で、徐はなぜプロの卓球選手になることを選んだのか。そして、どんな思いで日本のTリーグへの参戦を決めたのか。その決断の理由に迫った。(次回へ続く)

文:古山貴大