ボクシング「田中恒成×田口良一」の軌跡@前編“ドリームマッチ”の看板に偽りなし。3月16日、WBO世界フライ級チャンピオン田中恒成(23歳/畑中)と、元WBA&IBF世界ライトフライ級統一チャンピオン田口良一(3…

ボクシング「田中恒成×田口良一」の軌跡@前編

“ドリームマッチ”の看板に偽りなし。3月16日、WBO世界フライ級チャンピオン田中恒成(23歳/畑中)と、元WBA&IBF世界ライトフライ級統一チャンピオン田口良一(32歳/ワタナベ)が激突する。一度は白紙となり、二度と交差するはずのなかったふたつの拳が、再び交わるまでの軌跡を追う――。



田中恒成(左)と田口良一(右)がついに拳を交えることになった

「WBO世界フライ級チャンピオン」田中恒成
vs
「元WBA&IBF世界ライトフライ級統一チャンピオン」田口良一

 日本人ビッグネーム同士の対戦は、看板選手の戦績に傷をつけるリスクを負いたくないジムサイドの思惑や、放送するテレビ局をどうするかといった大人の事情により、成立することは稀だ。

 しかも、田中恒成vs田口良一の一戦は、一度は2017年の大晦日に実現しかけたものの、ふたりの選手が置かれる状況が当時とは激変したことを考えれば、今、この試合が成立するのは奇跡に近いと言っていいだろう。

 9歳という年齢差だけでなく、田中と田口はボクシングスタイルも、経歴も、性格も大きく異なる。

 しかし、このドリームマッチが成立したのは、ふたりのイズムがある一点においては、完全に一致していたからに他ならない。示し合わせたかのように両選手は口を揃える。

「強い相手と戦いたい」

 両選手の半生は、まさに対照的だ。

 空手を習っていた田中は2006年、小学5年の時にボクシングに転向。その年は、当時20歳の田口がプロデビューしたシーズンでもある。

 ただ、高校4冠に輝き、アマエリートとしてスポットライトを浴び続けた田中と異なり、田口は後に世界チャンピオンとなって脚光を浴びるまで、雑草のように日陰の道を歩み続けている。

 小学生時代、イジメられっ子だった田口は、マンガ『はじめの一歩』に憧れ、「強さがほしい」とボクシングを志(こころざ)した。しかし、高校1年で入門したジムは、友だちとの遊びを優先したため、ほとんど通わずじまいに終わっている。

 そんな田口は高校卒業を控え、「もう一度ボクシングを」とワタナベボクシングジムの扉を叩く。本人は、それを”運”だと言う。

「高校時代、いつもJR京浜東北線で家に帰っていたのが、その日だけたまたま山手線で帰ったんです。ちょうど五反田駅で電車が止まった時、車内の窓から見えたのがワタナベジムでした。直感で『このジムに入ろう』と決めたんです。

 そのワタナベジムで、会長や内山(高志)さん、当時のトレーナーに出会えました。このジムでなければ、僕は世界チャンピオンにはなれなかった。あの日、もし車両が違ったら、もし向いている方向が反対だったら、運命は違っていた」

 田口は2007年に全日本ライトフライ級の新人王を獲得。一歩ずつ階段を登り、2013年4月にはプロ20戦目にして日本ライトフライ級王者となった。しかし同年8月、井上尚弥(大橋)に判定負けを喫し、王座から陥落している。

 この試合を会場で見ていたのが、プロテストを目前に控えた高校3年の田中だった。

「もちろん、井上選手は強かった。ただ、とてもいい試合だったんです。田口選手、強いなと。言葉では言い表せないんですが、田口選手に何か感じるものがありました」

 その後、田口は井上戦から1年4カ月後となる2014年の大晦日に、WBA世界ライトフライ級王者アルベルト・ロッセル(ペルー)を判定で下し、プロ24戦目にして世界チャンピオンとなっている。

 対照的に田中は、世界チャンピオンまで最短ルートを駆け上がった。

 プロ4戦目に原隆二(大橋)にKO勝ちし、OPBF東洋太平洋ミニマム級王者に。その後、2015年5月にWBO世界ミニマム級王座決定戦に勝利し、日本最速となるプロ5戦目で世界王座を獲得した。

 そんな田中が、初めて田口との対戦を希望する発言をしたのが2016年5月。2階級制覇を目指すためにミニマム級のベルトを返上し、ライトフライ級契約でのノンタイトル戦に勝利すると、リング上で「次は田口選手とやりたい」と、当時WBA世界ライトフライ級王者を3度防衛中のチャンピオンの名前を口にする。

 そして同年大晦日、WBO世界ライトフライ級王座決定戦でモイセス・フェンテス(メキシコ)にTKO勝ちを収め、プロ8戦目での2階級制覇を達成。2017年5月に初防衛にも成功し、勝利者インタビューの最中、「田口選手、よかったらリング上にお願いします」と、ゲスト解説を務めていた田口をリングに呼び込んだ。

 突然の申し出だったが、この時、田口からは微笑みがこぼれている。

「もしかしたら呼ばれるかもしれない、と思っていたら本当に呼ばれたんで、つい笑ってしまいました」

 そして田中の「今年中にやりましょう!」との呼びかけに、田口は「次、自分がいい内容で勝ったら、ぜひ」と応じ、会場のみならず全国のボクシングファンを歓喜させた。

 同年7月、田口は6度目の防衛をTKOで飾り、田中とのビッグマッチが実現に向け、一気に加速していく。

 しかし、ここから運命の歯車はズレ始める――。

 2017年9月、勝者のはずの田中の表情が、敗者のように歪んだ。パランポン・CPフレッシュマート(タイ)と対戦し、9回1分27秒TKO勝ちで2度目の防衛に成功したものの眼窩底骨折と診断され、大晦日の田口との対戦にドクターストップがかかってしまう。

 試合翌日の会見で、田中は「ケガをしていなければ試合ができた。田口選手に申し訳ない」とうなだれた。さらに後日、田中は名古屋から東京のワタナベジムに出向いて、田口の出待ちをして対戦が白紙になってしまったことを直接謝罪したという。

 対戦が叶わなかったことを、田口は「ビックリでした」と振り返るが、「白紙になってモチベーションが一度は落ちたんですが、しばらくしてIBF世界ライトフライ級王者ミラン・メリンド(フィリピン)との統一戦が決まり、気持ちの面で立て直しはできました」と再び前を向いた。

 田口はメリンドに判定勝ちして統一王者となり、2018年3月には田中が復帰戦をTKOで勝利。再び、両者は拳を交える機会が訪れるかのようにも思われた。しかし同年5月、ヘッキー・ブドラー(南アフリカ)と対戦した田口が判定負けを喫し、3年半もの間保持し続けたWBA世界ライトフライ級のベルト、さらにメリンド戦で手にしたIBF王者のベルトをも失ってしまう。

「メリンド戦は統一戦だったこともあり、モチベーションが高かったんです。ブドラーとの試合は、どこかフワフワしているような変な感じがずっとしていました。対戦相手の映像を見て、プロ32戦目にして初めて、『あ、いけるな』と思ったんです。今、思えば、あれが慢心だったと思います。

 試合当日、リングに上がってブドラーと対峙しているのに、『これから本当に試合が始まるのか?』と、どこか集中しきれませんでした。負けるべくして負けたなと」

 その日、田中は畑中会長の息子の試合を応援するため、静岡にいた。携帯の速報で田口の敗戦を知り、言葉を失う。

「負ける相手じゃないのに……」

 敗戦後、周囲から再起を期待されたが、田口の心は引退に大きく傾いていた。

 田口の試合の解説をしたジムの先輩、元WBA世界スーパーフェザー級スーパー王者の内山高志は「1回負けたことでくよくよするタイプではない。これでまた強くなると思う。あきらめずに復活するはず。応援したい」とスポーツ新聞にコメントを寄せている。しかし、その記事を読んだ田口は、心の中で「すみません。辞めます」とつぶやいた。

 引退し、飲食店を開業しようと考えた田口は、ビジネス本を購入して勉強を始める。冷酷なまでに対戦相手を追い詰めるリング上の姿からは想像もつかないが、田口良一の本質は優しい。

「ボクシングをしていなかったら、飲食関係や医療系、介護など、人が喜んでくれたり、誰かの役に立つ仕事をしていたと思います。引退したら、そういう方面の仕事をしようと思っていました」

 しかし、日に日にボクシングへの想いは募っていった。

「あれで最後なら、後悔するだろうな」

 ブドラーにリベンジするため、田口は復帰を決める。しかし、新たな試練が田口を襲った。

 契約時のオプションがあったため、ブドラーとの再戦は叶うはずだった。再戦すれば、勝つ自信もある。しかし、その後は?

 ライトフライでは、減量がきつくなっているのは明白。きっと、すぐに王座を返上することになるだろうと、田口は思い悩む。くしくもジムの後輩、IBF世界ミニマム級チャンピオン京口紘人がライトフライ級への転級を決めていた。

「もちろん、リベンジしたかったです。でも、僕はワタナベジムに所属するボクサーである以上、ひとつのチームですから」

 多くの想いを飲み込み、田口は「長く防衛できないのであれば……」と、ブドラーと対戦する権利を後輩に譲った。

 一方、先が見えなくなった田口と反比例するように、骨折から復帰後の田中は完全な上昇気流に乗った。

 ロンドンオリンピックの金メダリスト鄒市明を破ってWBO世界フライ級王者に君臨した木村翔(青木)。2018年9月、田中はそんなもっとも勢いのあるボクサーに判定勝ちを収め、世界最速タイ記録プロ12戦目での3階級制覇を達成する。

 現役チャンピオンと、元チャンピオン。田口との対戦は、田中にとってはリスクだけが際立つ。夢は夢のまま。田中vs田口のドリームマッチは霧散したかのように思えた……。

 しかし、今年1月10日、田中の初防衛戦の相手が田口に決定したことが発表され、ボクシングファンは歓喜する。

 さらに周囲を驚かせたのは、対戦を打診したのが田口サイドからではなく、チャンピオンの田中からだったことだろう。

 このファン待望の、しかし大きなリスクをはらんだ対戦オファーの理由を、田中恒成はこう説明する――。

(後編へつづく)

【profile】
田中恒成(たなか・こうせい)
1995年6月15日生まれ、岐阜県出身。畑中ジム所属。2013年11月プロデビュー。プロ戦績:12戦12勝(7KO)。右ボクサーファイター。身長164cm、リーチ162cm。

田口良一(たぐち・りょういち)
1986年12月1日生まれ、東京都出身。ワタナベジム所属。2006年7月プロデビュー。プロ戦績:32戦27勝(12KO)3敗2引き分け。右ボクサーファイター。身長167cm、リーチ172cm。