「普通の人になりたくない」 昨年の大学ラクロス界で、日本一の主将は誰であろうか。この問いは、価値観が多様化する大学スポーツの潮流に照らし合わせれば、いささか愚問とも捉えられてしまうかもしれない。しかし、『勝敗』という絶対的な定義を用いるので…

「普通の人になりたくない」

 昨年の大学ラクロス界で、日本一の主将は誰であろうか。この問いは、価値観が多様化する大学スポーツの潮流に照らし合わせれば、いささか愚問とも捉えられてしまうかもしれない。しかし、『勝敗』という絶対的な定義を用いるのであれば、答えは一人に絞られるだろう。後藤功輝(政経=東京・早実)——。早大ラクロス部男子・REDBATSの主将として、チームを関東王者、大学日本一、そして全日本選手権準優勝に導いた男である。

 小学1年時に地元のミニバスケットボールチームに入会した後藤は、中学校は地元一の強豪校に進み、高校は早実高にバスケットボール推薦で入学。だが、心のどこかで続けなければいけないと感じてしまっていた。また、大学ではバックパックや留学といった時間がなければできない経験をしてみたいという気持ちも芽生えており、計12年間のバスケットボール生活に終止符を打つことを決意した。そして迎えた大学生活であったが、蓋を開けてみるとどこか物足りなさを後藤は抱える。その根底にはある思いがあった。「普通の人になりたくない。何かで光っていたい」。サークルでプレーがうまくても、海外旅行をしても、留学をしても、あまり他の大学生がやっていることと大差がない。そんな後藤が体育会で最初に出会ったのがラクロス部であった。

 ラクロスは大学生から競技を始める人が多いことで知られており、スタートラインは横一線であるが、後藤はすぐに頭角を表す。3度開催される新人戦を全て制覇した最強世代において学年キャプテンに就任するなど、中心選手としてチームをけん引。1年時の3月以降はAチームに定着し、DMFで起用される。2年時の関東学生リーグ戦(リーグ戦)からはOMFに昇格し、早大のオフェンス陣内で確固たる地位を築いた。3年時には副将を任され、U22日本代表にも選出された。後藤が個の力で局面を打開し、早大に勝利を呼び込んだ試合は数知れない。

 一見すると順風満帆に選手生活を送る後藤にとって、今もなお心に残り続けている一戦がある。3年時の関東ファイナル、相手はリーグ戦開幕戦で13-6と快勝をしていた宿敵・慶大。後藤はグラウンドに立った時に少し違和感を覚えた。「慶応の方が全体的に勝ちにきている」。後藤の直感は的中し、試合は慶大ペースで進む。だが、早大も意地を見せて終盤はゴールを脅かし続ける。そして残り時間もわずかとなった時、この日無得点の後藤がグラウンドボールを拾った。視線の先には空いたゴールが見える。しかし、ショットは無情にもゴールネットを揺らすことはなかった。結局早大は1点差で慶大に屈し、4年連続で関東の舞台で姿を消した。後藤のこの試合での悔しさは、2019年の年明けまで携帯のロック画面を慶大の関東王者の写真にしていた事実が如実に物語っている。

 主将に就任した後藤は、部員おのおのが部活に対して真摯(しんし)に考える環境づくりを心掛けた。体育会の中でもトップクラスの大所帯であるラクロス部。一人一人の意識を高く維持することは難しいため、本来2月上旬のキックオフを1カ月早め、練習は週6日に変更し、物理的な時間を増やすことで意識の改善を図った。当然反対の声も上がったが、後藤に迷いはなかった。イメージができていない部員には、なぜ週6日で練習をするのか、いつまで週6日で練習するのか、いつ頃からどのような練習を始めるのか、徹底的に説明をした。不満を感じている下級生には電話で話を聞いた。そんな後藤の取り組みは、シーズン前半のヤマ場である早慶定期戦(早慶戦)で実を結ぶ。「部員から勝ちたいという気持ちが伝わって、グラウンドに立った時に今までにない雰囲気を感じた」。早大は15-6という圧倒的点差で3年ぶりに勝利し、後藤はチームが同じ方向を向くことができていることを確信した。


四年間で一番うれしかったという大学4年時の関東ファイナル4での後藤

 早慶戦に大勝した早大は、リーグ戦初戦の千葉大戦を20-6と最高のスタートを切る。しかし、「学生相手には負けない」——。チーム全体に慢心が広がっていた。4勝1分の無敗でリーグ戦ブロック戦を首位通過したが、早大は低調なパフォーマンスに終始する。そんなチームの関東ファイナル4の相手は、あの慶大となった。3年時から主力として戦っていた選手を多くそろえていた昨年の早大。雰囲気は否が応でも引き締まった。そしていざ試合が始まると、圧倒的練習量や初の海外遠征実施など、一年間かけてやれるところまでやってきた自負、ブロック戦とは違う謙虚さがチームには漂っていた。例年接戦での勝負弱さを露呈していたチームの姿はそこにはなく、同点とされた第4Qに4連続得点を奪って、慶大を突き放した。一昨年の雪辱を果たしたこの試合の勝利を、「四年間で一番うれしかった」と後藤は笑顔で振り返った。

 早大の四年間で輝かしい功績を残してきた後藤。「ラクロスは自分から前のめりになって、気付けばクロスを握っていた」。後藤とラクロスの出会いは偶然ではなく必然だったのかもしれない。卒業後の競技生活続行は悩んでおり、「目標が明確に定まらないままダラダラと続けたくない」と語った。もし続けるのであれば、2022年のW杯や正式種目採用が有力視される2028年のロサンゼルス五輪での日本代表を目指したいという。後藤はどのような決断を下すのだろうか。ただ一つ言えることは、その選択はきっと普通ではない。

(記事、写真 石井尚紀)